売春は古い社会の古いものがたり

今回は約50年前の琉球新報に掲載された中国訪問記を紹介します。『中国の旅』と題した特集記事が昭和48年7月から15回にわたって掲載されていてましたが、3回目の内容が非常に気になったので全文を書き写しました。

特集記事の著者は外間米子さん(1928~2005)、婦人活動家としても有名で『時代を彩った女たち / 近代沖縄女性史』の監修者としても知られています。

捕捉すると、復帰前後の沖縄は売春(とそれに伴う性病)問題が深刻で、外間さんが昭和48年当時の中国共産党の施策に極めて興味を示したのは理解できます。ブログ主が驚いたのは彼女が新聞記者(うるま新報)の経歴持ちだったことで、当時の一部知識人における中国神格化はホントなんだと痛感しました。話が長くなりましたが記事全文を紹介しますので是非ご参照ください。(一部句読点を追加、および読者の便宜を図る上で記事レイアウトを編集しています)

〈3〉売春は社会の古いものがたり

”売春問題”を是非調べたいというのも、今回の旅行の目的の一つだった。

上海市滞在中、婦人労働者や教師、売春関連の仕事にたずさわった人との座談会が、宿舎の「和平飯店」で開かれた。

売春問題は、上海市民政局の事務室主任、王学顔(53)から伺った。彼は

「売春は古い中国の古い物語で、もう歴史になりました」

と前おきして次のように報告した。

解放前の上海は、日本をはじめ英、米、仏、ソなど十以上の国ぐにの中国侵略の基地として多くの租界地があり、国民党反動派の支配によって上海は暗黒の都市として知られ、とくにゴロツキと売春婦が多いことで有名。ある通りなどそこの人口90%が売春婦だった。

当時の不完全な統計でも売春婦は約3万人、業者は8百人。その他統計に現れない形の変わった売春婦も大勢いた。(当時の資料によると、人口は約110万近く、うち6万以上が外国人、人口1人あたりの娼妓を比較すると、東京や北京は250人、上海は130人に1人が娼妓、なおある人の話によると、沖縄からも終戦当時の45~47年ごろまで米軍の下士官以上が軍用機で上海へ遊びにいくのも多かった、という)。

業者の売春婦に対する、さく取のやり方はさまざまで、父母に金を渡した、として彼女がどんなに客をとっても金は貰えない、「収入のうち7割が業者、業者はとばく場もひらき、とばくを通じて売春婦の金を吸い上げる」「アヘンなどを売って儲ける」「高利で金を貸す」等々、いろんな形で女たちから金を吸い上げ、さらに規則をつくって1日何人以上客をとらないと、なぐる、食事をやらない、とか決め、病気をしても治療して貰えず、治りそうもない、と知ると、生き埋め、生きたまま葬るなど売春婦は全く人間としての扱いを受けなかった。

1949年、上海は解放されたが、政府は社会治安を維持し新しい社会を建設するため早速売春対策に手をつけた。

業者に対して

政府が、売春業の営業禁止令を出し、期限をきめて転業された。それとともに、女を生き埋めした、などというもっとも悪質な業者に対しては銃殺。そうでない業者は新しい人間として立ち直るよう一箇所に集めて改造工作を行った。

ゴロツキに対しても、悪質なものは銃殺。そうでない者は集中的に人間改造を行った。

売春婦の更正対策

彼女たちに対して二つの更正政策をとった。

心身ともに深く毒されているのは1カ所に収容して人間改造を行う。

あまり毒されてない人たちは各家庭に帰し、分散的に改造を行う。

つまり大衆を立ち上らせて、売春をしないよう勧告をさせ一緒に学習をしながら労働をするなかで立直らせるようにした。

の場合、まず彼女たちの意識を改めるため政治思想教育をする、とくに階級的教育に力を入れ、なぜ自分たちは売春婦になり下がったのか、これは帝国主義侵略、国民党反動派の支配、地主のさく取があるからこと、このようになった、ということを認識させ、さらにこれまで前途がなかった社会にも新しく変わって前途の明るい社会になっていることを根気よく説いた。また働く習慣をつけ、一定の技術教育をする、その後それぞれに職業を与える方針をきめた。

それとともに、彼女たちのほとんどが性病にかかっていたので、それを国家の金で徹底的に治した。子どもたちは、児童教護院や託児所であずかって、安心して更正の道を歩むよう配慮した。さらに一般大衆にも売春問題の本質を理解させ、とくに売春婦の親せきや友人たちから手紙を送って彼女たちを励ますよう側面からの強力も行った。

売春婦は、ほとんど文盲だったので、字を教え、文化的教育も与えて将来に備えた。

こうして売春婦更正の仕事は、解放後の1945年から58年までの10年間にわたった。

更正した婦人たちは、農業、工場労働者、看護婦、人民公社の会計係、街の清掃隊の隊長、児童福祉員の幹部となって働いている。王さんは次のように報告を結んだ。

「毛主席と共産党の指導で、私たちは旧社会の複雑な問題を解決しました。彼女たちは古い社会は人間を鬼にし、新しい社会は鬼を人間にしましたといって感謝しています」。

ところでほんとに売春はなくなっただろうか?。三週間の旅のなかで、

中国がものすごく健康な社会であり、働かざる者は食うべからずの原則の下に職が保障され、人間が人間をさく取する機構がなく、社会保障が徹底し、たえず集団学習している社会では、売春は起りえないということを私は確信した。

引用元:昭和48年07月12日付琉球新報夕刊03面『中国の旅』

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