復帰50年を経て沖縄は何が変ったのか

今年はご存じの通り、我が沖縄の本土復帰50周年の節目となります。今回はこの50年間で「何が変ったか」をテーマに真面目な記事を作成しました。

私事で恐縮ですが、数年前に浦添市立図書館で史料をチェック中、とある地元の著名な作家さんがインタビューを受けており、その場面に遭遇したことがあります。その中で作家さんが「今の若い人たちは自分でものことを考えない」と喝破してましたが、ブログ主はこの発言にある種の違和感を覚えざるを得ませんでした。

この作家さんの真意は、誤解を恐れずにハッキリ言いますと、「時代には固有の思想・信条があるが、若い人たちはそれをそっくりそのまま受け入れて、自分の意見として述べる傾向がある。(もう少し考えてから発言してもいいのでは)」になりますが、裏を返せば「自分たちの時代はそうではなかった」と自負を込めて主張しているわけです。

そうなると、50年の若者の言動が気になるわけですが、試しに50年前の昭和47年(1972)3月5日付琉球新報4面に掲載された、那覇市在住23歳公務員の投書全文を書き写しましたので、読者のみなさん是非ご参照ください。

支配者の心を見る機動隊とテレビの巧みなゆ着

2月28日、あさま山荘で人質救出という美名のもとにすばらしいショーが展開された。キドー隊とアナウンサーはブラウン管の主人公として猛ハッスル。

連合赤軍の人質事件は、マスコミの旗手=アナウンサーが白々しく「……はだいじょうぶでしょうか」「キドー隊が旗を振振っています」「許せませんネ」とあさはかなヒューマニストぶりを発揮し、キドー隊は持ち前の平板的頭脳でもって、人質救出=国民的英雄を脳裏に描きながら、身の危険をかえりみず突入。

人質救出、たしかに美しいことである。私も異論はない。しかし、ハデなトーチカの構築、大型土木機械、キドー隊(1400人余)の導入、サイルイガス、高圧放水車の配備、マスコミの報道体制…これらは人質救出のみをねらっての布石か、支配者の真のねらいはなにかを考える必要があろう。本土の各地に発生している公害、とりわけ悲惨な水俣病に対する資本家とその政治の場への代表者、政府の態度を見るがよい。

廃棄物水銀の濃度について、なま身の人間の主観的な叫びをまったく無視し「排出された廃棄物と疾病との因果関係が、数値的に明らかにされない限りは工場側が責任を負うべき化学的根拠がない」(朝日ジャーナル工学万能思想の破産=星野芳郎)としりぞけ、有機水銀を脳ミソに蓄積せしめ(有機水銀は体内の脂肪、なかでも脳ミソおよび妊婦の胎盤に付着するという)多数の人間をして狂死、あるいは死産というまったく悲惨なこの世の地獄に至らしめた。それのみではない。ドル問題に関連して、わが沖縄の労働者の深部からの声を無視しつつ1㌦308円換算をたくらむ、さらに便乗値上げによう損失など一切を労働者に押しつけた。

このように日常労働者の人命、生活を無視している資本家=政府=支配者はいま1人の人命救助にハデなショーを演出したのである。いうまでもなくこの事件は、学生、労働者の反体制運動圧殺をねらったものにほかならない。4次防衛、自衛隊沖縄配備で体制を固め、マラッカ海峡を防衛しつつ、アジア侵略をたくらむ支配者が痛部を撃つ学生、労働者を鎮圧するために、国民に合意を取りつける芝居以外の何者でもない。

彼らの心中では、機動隊の諸君も単なる消耗品である。今回のみでなく日常、機動隊と学生を対置せしめ、ことあらば勲章贈呈でもってことをかたづける者が、コタツの中でヌクヌクとして混濁したマナコから光を放っていることを忘れてはならない。(昭和47年3月5日付琉球新報4面)

上記投稿は一読すると、当時のあさま山荘事件報道に対する批判的な内容ですが、ハッキリいって言いたいことを書き綴っただけで非常に分かりにくい文章に仕上がってます。ブログ主も写本してようやく真意がつかめたのですが、要約すると「あさま山荘事件の報道は深刻な社会の矛盾から目をそらすために政府(権力者)とマスコミが結託したショーである」になりましょうか。

ブログ主が興味を覚えたのは、投稿者も当時の社会風潮、そして若者たちに支配的だった社会主義・共産主義的な考え方をベースに「自分の考え」を述べている点です。人間は社会を営む以上、やはり “時代の制約は受けざるを得ない” わけで、この点は50年前も今も同じです。

つまり、地元の著名な作家さんの唱える「今の若い人たちは自分でものことを考えない」はあくまで彼の持つイメージであって、実態は今も昔も変わらないのが真実なのです。だがしかし50年前と大きく変わったのが若者の「伝える力」がケタ違いにレベルアップした点です。

ブログ主が常々感心することのひとつに、現代の沖縄県民、とくに平成以降に生れた世代は “言葉を選んで自分の意見を正確に主張できる能力にたけている点” です。具体的には

相手(聞く側)を考慮して、自分の意見を正しく述べる

ことができるわけであり、先に引用した投稿者と比べるとレベルの違いは一目瞭然です。つまりコミュ力がアメリカ世、あるいは復帰直後の世代と全く違うのです。この事実だけでも “復帰してよかった” と実感できますし、復帰して51年目以降の沖縄の未来は明るいと確信しているブログ主であります。だからこそ、中高年、そして年配たちは余計なアドバイスはせずに、若者たちの歩みを黙って見届けるべきだと主張せざるを得ません。 (終わり)

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