戦前と戦後の沖縄県民で最も変わってしまったものは何か

一昔前に「26ショック!」という言葉がありましたが、当ブログを訪問される読者は覚えていますでしょうか。平成12年(2000)の都道府県別平均寿命において、沖縄県男性の平均寿命が平成7年の4位から26位と大きく順位を落としてしまったときに誕生したフレーズです。長寿県奪回に向けてさまざまな取組みがなされているようですが、効果はいまいちのように見受けられます。

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-538982.html

上記の Web ページは算出方法を変えているとはいえ、従来喧伝されてきた「長寿の島沖縄」というプロパガンダが、幻想以外何者でもないことを明示して、ブログ主にとっては嬉しい限りです。微増とはいえ、平均寿命は上昇していますから、そこまで順位にこだわる必要ないと思いますがいかがでしょうか。

我が沖縄は全国でも屈指の肥満県で有名です。その理由として「外食が多い」あるいは「食の西洋化が進んだ」など様々な理由が挙げられていますが、ブログ主は肥満が増殖した最大の理由は「糖質(炭水化物)の摂取方法が激変した」ことにあると考えます。

戦前(大日本帝国時代)の沖縄県人と現代の沖縄県民で最も変わったのは「味覚」です。これは間違いありません。かつての沖縄県人の主食は甘藷(イモ)でした。17世紀に伝来した甘藷はあっという間に沖縄全土に広がり、以後数百年に渡って主食の座を占めていました。琉球新報社会部が刊行した『昭和の沖縄』には昭和初期の一般的な農家の食生活について記述がありましたのでご参照ください。

一日に三回も おかずは漬物

琉球古典音楽の楽曲に「イモの葉節」というものがある。有名な「諸屯節」とともに演奏されるものだが、歌の意味はイモの葉にできた露の美しさをたたえ、赤い紐で通して首飾りにしたい、といった内容。十七世紀初め、日本で初めて導入された甘藷は、のちに「サツマイモ」として国内に広がるが、「イモの葉節」は県民とイモの古く強いつながりをうかがわせるに十分だ。戦前、戦後間もなくまで、イモは県民の主食だった。

「一日二回、いや三回はイモを食べて暮らしていましたよ。米のごはんは一日一度、夕食の時にあれば良いほうでした」

と戦前の農家の食生活について話すのは浦添市字城間ニ六一六、宮里栄正さん(八九)

昭和十年ごろの宮里さん宅は家族八人暮らし。約一万平方メートル(三千坪)あった土地の半分はイモ畑で「城間クージュ」という現在の米軍牧港補給基地あたりで耕作。城間クージュは県内でも名の知れた肥えた土地でスイカの名産地でもある。イモは前日の夕刻までに掘り出し、海岸や川でよく洗った。朝、明けきらないうちに女性たちが、大きなシンメーなべいっぱいに盛りあげたイモを煮た。ふかしイモである。家族八人と牛、馬、豚の家畜の分が早朝一挙に出来上がる。

一日の代表的なメニューを挙げると、まず朝はふかしたイモとお茶、簡単なおかず。おかずは漬物か味噌煮など。畑へ出かけて帰った昼食がやはりイモとおつゆ。

「豆腐が一個入っているかいないかの汁ばかりでねぇ」

午後三時ごろにも時々、イモを食べて腹の足しにした。(中略)

旧“主食”のイモは、現在、琉球料理の中で命脈を保っている。那覇市久茂地の新島料理学院では琉球料理のメニューを百五十ほど教えているが、この中にイモを材料にした戦前からの素朴な料理が四種ばかり。ウムクジアンダギー、ウムクジプットゥルー、クジムチ、ジーマーミードーフ。ウムはイモのことで、イモデンプンはくずイモを使ったものが多い。

院長の新島正子さん(六八)によると、ウムクジプットゥルーはいわばイモのデンプンを使ったお好み焼き。デンプンを水でといてネギかニラを入れ、みそで味をつけて油をしいたナベで炒めるだけ。

「戦前、台風で食べ物が底をついたりしたときに家族でよく食べました。当時、どこの家にも保存用のくずイモ、デンプンがありましたから」

かつてイモは余すところなく利用されていた。茎や葉もカンダバー汁のおつゆ、カンダバー雑炊として食膳にあがった。飽食の現代からは、確かに隔世の感だが、県内ではわずか4.50年前の庶民の食生活はイモ抜きで語れなかった。

もう1つデータを掲載します。大正14年(1925)に刊行された『沖縄経済事情』に当時の県人の3大栄養素(糖質、蛋白質、油脂)をどのような方法で摂取したか(全国平均との)比較表が明示されていましたので、ブログ主が一部編集して抜粋します。

これらのデータから、戦前の沖縄県人は糖質を甘藷から摂取していたことが分かります。この状況がアメリカ世の時代になると激変するのです。当時の世代にとって衝撃的だったのはA&Wに代表されるファーストフード文化の流入とインスタントラーメンの登場で、その結果かつて主食の座にあったイモはあっという間に駆逐されて一気に飽食の時代に突入します。

現代の沖縄県民はあらゆる分野においてアメリカ世の時代の影響を受けているのですが、その最たるものが「味覚」です。その結果糖質の摂取方法が激変してしまい、肥満が激増していると思わざるを得ません。長寿県沖縄(という胡散くさい)フレーズを現実のものにするには、糖質の摂取方法を見直すのが近道ではないかとブログ主は考えています。(終わり)

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