沖縄の成人式 – 昭和54年以降その2

前回の記事において、昭和54(1979)年の那覇市小禄地区における成人式の混乱について言及しました。自衛隊員の成人式参加を阻止するために、阻止団が小禄地区成人式実行委員会の許可を得ることなく検問を実施し、実際に自衛隊員を追い返したことは実行委員会のメンツをつぶした行為に外なりません。翌55(1980)年の成人式を円滑に開催するためには、

1、自衛隊員を成人式に招待しない。

2、当日押し寄せて来る阻止団に対して何らかの対策を取る。

の二通りになりますが、小禄地区の実行委員会は成人式当日に”警察と機動隊を配置”して、予定通り式を開催する方法を取ります。前年度の阻止団の行動に対して実行委員会がどれだけ頭に来たかを察することができますが、残念なことにこの年の成人式は前年以上に荒れた展開になりました。試しに琉球新報の記事をご参照ください。

那覇市小禄の成人式 – 大荒れ、2人逮捕される

”自衛隊参加に反対”- 阻止団と機動隊が衝突

那覇市の小禄地区成人式実行委員会(上原実実行委員長)が主催する第二回成人式典は自衛隊員の参加をめぐり、隊員参加を阻止しようとする護憲反安保県民会議や自治労など労組員や学生ら約二百人と会場に隊員を入れるため通路を開けようとする警察官約百人のにらみ合いの中で行われた。「自衛隊員の参加は許さん、帰れ」と叫ぶ阻止団、「道を開けなさい。参加者を通さないと実力を持って排除する」と通告する那覇署員、同成人式の会場となった小禄中学校の正門は正午過ぎから約一時間半にわたり厳然としたふん囲気に包まれた。阻止団と警察のマイク合戦の中では自衛隊員を案内して入ろうとした係員と阻止団が衝突、待機していた機動隊が導入され、阻止団員の学生二人が逮捕された(中略)。

ことしも護憲反安保県民会議ら阻止団は”実行委員会の許可なく”検問を行い、自衛隊の参加を阻止すべく実力行使にでます。その時の様子は以下の記事をご参照ください。

小禄地区で成人になるものは五百九十一人で、その中に自衛隊員が約百名いるといわれる。自衛隊員の成人式参加を阻止しようと護憲反安保、自治労、那覇市職労、学生など約二百名がハチマキやヘルメット姿で十五日午前十一時ごろから小禄中学校正門前で陣どった。次々に会場を訪れる成人式参加者で女性はそのまま会場にいれたものの、男性は自衛隊員か否かをチェックされる始末。

十二時二十分ごろ、背広姿の自衛隊員三人が中学校内に入ろうとしたが、阻止団に取り囲まれた。

「人殺し自衛隊は帰れ」

「上の命令で来たのだろう」

「宣ぶ工作は許さんぞ」

と阻止の労組員。これに対し「反対しているのはここにいるだけじゃないですか。ほかに同人いるのか。県民全体は反対していない」とやり返す自衛隊員。「戦争に反対する気持ちはあるのか。どうして君は自衛隊にはいったのか」。「自衛隊を選んだ理由など説明する必要はない」。「成人式は隊で終わったのだろう。上司に命令されて民間の成人式まで来ることはないよ。帰れ」「自分の意思だ」-など押し問答が続くうちに、会場を訪れ阻止団に囲まれた自衛隊員は十四、五名とふくれ上がった。全員が背広姿のため中には他の参加者にまじって入場する隊員もいた(中略)。

このやりとりは現代の沖縄県民にとっては不愉快極まりない言動ですが、当時の阻止団にとっては実に当たり前の行動で、全然悪びれていないのが印象的です。実行委員会はこの混乱を放置することなく、ついに機動隊が投入されます。その様子は以下の記事を参照ください。

阻止団とどうしても入場しようとする自衛隊員の押し問答が三十分も続いたため、成人式典実行委員の上原委員長は

「通路を開けて招待者は全員通して下さい。機動隊を導入しますよ」

とマイクで呼びかけた。同時に阻止団、警察のマイクが鳴り響いた。阻止の学生と自衛隊員を案内した係員との衝突が起こり、機動隊が導入され、その間に足止めされていた自衛隊員全員が校内に、後に来た一般の式参加者も阻止団と機動隊の間から会場に入っていった。

このため式典は午後一時から始まる予定が三十分遅れて開会。式には約五百四十人が出席し、関係者から大人への仲間入りを祝福された。

機動隊員を導入してまで開催する前代未聞の成人式になったわけですが、その過程で実行委員の一人が阻止団員に殴られてケガをします。

逮捕の二人は黙秘続ける

十五日午後零時五十五分ごろ、那覇市宇榮原の小禄中学校正門前で、自衛隊員の成人式参加を阻止した男二人が、生涯と公務執行妨害の現行犯で、那覇署に逮捕された。二人とも黙秘を続けており住所氏名などはわかっていない。

那覇署の調べによると同時刻ごろ、成人式へ参加しようとした自衛隊員を案内していた小禄地区成人式典実行委員会の平良幸太郎(四一)は、阻止団に道を開けるよう指示して、正門から入ろうとした。

そこに、ヘルメットをかぶった男が立ちふさがり、平良さんの顔を殴って、唇右上に傷を負わせた。

警備に当たっていた警察官が傷害で現行犯逮捕したところ、他の男一人が、警察官の足をけりつけたため、この男も公務執行妨害で現行犯逮捕された。(昭和55年1月16日付琉球新報13面)

ここまでの展開を(現代流に)まとめると、護憲反安保県民会議等の阻止団は式典に来場した自衛官相手にさんざんヘイトスピーチをまき散らし、しかも実行委員に対して暴力をふるったことになります。ちなみに「勝手に検問」などの言動は現代でも辺野古に行けば見ることができますが、当時と現代との違いはマスコミがこの事実を報道したか否かになります

すこし話がそれましたが、さすがにここまでやられると小禄地区の実行委員会も激怒します。よく考えると部外者がさんざん式典開催を妨害し、しかも委員の一人に対して暴力を振るわれているのですから怒らないわけありません。翌年から意地とメンツにかけて自衛隊員を成人式に参加させるようになります。昭和56(1981)年の小禄地区の成人式における騒動については改めて言及することにして、今回はこれにて記事を終えます。

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