琉球・沖縄における”改名”についてのちょっとした考察

ふとしたきっかけで琉球・沖縄と中国大陸(および台湾)との文化の相違についてブログ主なりにあれこれ調べてみたところ、一番わかりやすい”違い”は”名前(姓名)”であることに気が付きました。よく考えてみると我が琉球・沖縄は権力者間(たとえば尚家と中華の皇帝)で長きに渡る付き合いがあり、アメリカ世の時代は台湾との交流も盛んでした。にもかかわらず民間の文化や民族に中国的なセンスが浸透しているとは思えない節があります。

具体例として中国大陸、あるいは台湾であれほど盛んな”道教”がついに沖縄に入ってきませんでした。書物(四書五経)などで中華の文明に触れることはあっても、大陸や台湾の風習が琉球・沖縄の民間に入ってきた事例は非常にすくないと見做しても構いません。

最も分りやすいのが”名字に対する感覚”でしょうか。琉球・沖縄における人名は、その人の現時点における”地位(ステータス)”を表しています。この点は『沖縄大百科事典』の〈沖縄の人名〉項目、あるいは Wikipedia の〈沖縄県の名字〉を一読すれば理解できます。つまりその人の現在の(政治的あるいは社会的な)身分が姓名に反映されるのです。

言い換えると、琉球・沖縄社会ではステータスが変更すれば改名しても何ら差し支えありません。例えば牧志・恩河事件で有名な牧志朝忠(まきし・ちょうしゅう)は最初は板良敷(いたらじき)で次は大湾(おおわん)、そして最後に牧志を名乗りました。有名な蔡温も同じく自身の政治的地位が変わるたびに名前を変更しています。ちなみにこの感覚は大日本帝国時代も同様で、有名なのが松岡政保さん、宜野座→松岡に改名しています。改名の理由は日本本土で働くには和名のほうが都合がいい、松岡の名前も実家の裏山の丘に松が生えていたから「松岡」にしようとのことで、実に気軽に姓を変更しているイメージすらあります。

これが中国大陸や台湾ではそうはいきません。中国人にとって姓名は”属性(所属している宗族)”をあらわすものだからです。だから中国人は結婚しても改姓しない(父系社会なので子供は父親の姓を名乗る)。社会的および政治的にステータスが激変しても苗字を変えることはしない、実際に毛沢東も習近平も国家主席まで登りつめても改姓していません。

我が沖縄と中華文明ではこれほどまでに”名字”に対するセンスが違う、その理由は中国大陸あるいは台湾のように徹底した”父系社会”ではなかったからです。父系制のセンスはありますが、社会全体に浸透していない。具体的には”トートーメー”の相続で母から娘に引き継ぐケースが散見されます(父系制が徹底している社会では母→娘の相続は絶対にありえない)。「中国と琉球・沖縄は五百年のお付き合いがあった云々」と唱えても、肝心のところが我が沖縄社会に伝わっていない、この点が沖縄県民と中国人との相互理解を妨げている最大の理由ではと思わざるを得ません。

最後にちょっと意地悪な指摘ですが、仮に沖縄が独立した際に、われわれはそのまま”和名”を引き継いでいいものかどうか。先に琉球・沖縄社会において”名字”は地位(ステータス)を示すものと述べましたが、独立してもそのまま和名を名乗るのは論理的に筋が通りません。なぜなら現在のうちなーんちゅ(沖縄県民)は日本国民であることを示すために和名を用いているからです。差別(身分制度)の象徴である童名(ドーナ、ワラビナー)を復活させるのか、それとも新時代の名字を住民に提供するのか、独立論者がそのあたりをどのように考えているか一度お伺いしたいところであります(終わり)。

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