琉球新報は何事を為したる乎 – その1

●琉球新報は何事を為したる乎(一)

◎新聞紙が文明の社会に於て重要欠くべからざる一機関たることは世間既に定論あり。我輩が今更喋々するの要なかるべし。然して本県の旧社会が殆んど解体して新社会未だ建設せられず万事草々人々相率ゐて以て暴乱暗黒の谷底に陥らんとする時本紙は時代の要求に応じ特別の使命を帯て生れたり。時は明治二十六年九月十五日、場所は那覇区字西の借屋なりき。

◎本紙は出産以来幾多の艱苦(かんく)を嘗め、その発育亦甚だ遅々たりと雖も、幸にして少しも退歩することなく年を追ふて幾分の発達をなし、本年九月十五日を以て満十年の齢を迎ふるを得たり。加之(これにくわえて)十年の齢を迎ふると同時に漸く自家設計の家屋の新築し、爰(ここ)に昨日を以て十年記念会を兼ね落成の式を挙ぐるに至れり。是れ偏へに読者諸君の高庇(こうひ)の致す所にして我輩先づ其厚情を謝す。

◎扨(さ)て琉球新報は果して時代の要求に副ひ特別の使命を果したるか虚心平気に既往の成跡を顧みれば、議論の奇とすべきものなく思藻の称すべきものなく文致の喜ぶべきものもなし。此点より見るときは実に一文の価値なし。然れども深く県地の事情を察し言はざるべからざる時は必ず言ひ、議せざるべからざる時は必ず議し、諸般緊要の問題に対し常に慎重の態度を保ち、適正の方針に依り穏健の手段をとり公平無私県民の福利を保護し進境の開拓に勤めたるは我輩聊(いささ)か自負する所あり。只実を主として名を衒(てら)はざるのみ。

◎本社創立の当時にありては本県到る処、二大主義の大衝突を見ざるなかりき。二大主義の衝突とは何ぞや。俗に云ふ開化頑固即ち守旧主義と進歩主義との争ひなり。二者当時の勢力を比較するに前者は七八分を占め、後者は纔に二三分を占むるの有様なりき。この微弱なる勢ひを頼りに我輩は常に進歩軍の陣頭に立つて奮闘したり。他府県の諸君は我輩の行路を以て無事平穏と思ふものあるべしと雖も、家族を持ち親類縁者を有する我輩の身にとりては実に云ふに言われぬ苦心ありき。

◎然れども時運は何時まで守旧主義を跋扈せしむべき日清戦争の砲声はさしもに堅き主旧派の迷夢を覚醒せしめ、それと同時に政府の本県に対するの方針も多少趣を異にするに至り、爾来甚しき齟齬なくして進行し来り、三十三年七月十五日を以て八ペーヂの小紙面より現今の紙面に拡張するを得たり。

◎我輩の職分は素より言論にあり。諸般出来事の報道にあり。尚ほ精しく言へば未発の利益点を発見して之を報告するは我輩の職分なり。之を採収して以て社会をして其利択に濡(うる)はしむるは世自らその人あり。社会の病症を診断して矯正救治の処法を示すは我輩の職分なり。薬石を投じ手術を行ふて以て其病根を除くは世自らその人あり。責任者その職務を怠り為めに不利を社会に及ぼすに当り其怠慢を責め其罪を鳴すは我輩の職分なり。その罪過を反省すると否とは我輩が関する所にあらざるなり。然れども勧化の好手段は反響の来るまで絶叫するにありとは我輩が常に記憶する所、「試みにいさや呼はん山彦のこたえたにせは声は惜まし」是我輩が常に愛誦する所、在〔る〕問題に遭遇し世人を覚醒せんとするに当り反響の来るまで絶叫すべし、答へあるまでは声は惜まざるべし。故に我輩の主張する所は題を替へ文字を改め手段を異にすることあるも、基本旨に至りては終始一貫毫厘(ごうり)の矛盾なきを信ず。

◎終始一貫の本旨とは何ぞや

全国に向つて沖縄県民の勢力を発展する事

是なり。有体に云へば我輩の眼中には「如何にせば沖縄県をして他府県と同等の勢力を有せしむべき乎」と云ふの外何の問題もなし。若し片髪(かたかしら)を結び大帯(うふうび)を纏(まと)ふて以て全国民と比肩するを得ば、我輩は強て散髪も勧めざるなり。四書五経の知識を以て全国民と比肩するを得ば我輩は敢て新教育をも推奨せざるなり。読者我輩を以て小志となす勿れ、辺境となす勿れ、読者若し旅程に上り同行者に後れなば之に追付んとするの外他を顧みるの暇あらんや。我輩若し明日此目的を達するを得ば、明後日よりは直ちに範囲を拡張し、全国は愚か進んで世界の問題にも関与すべし。

◎我県民をして此目的を達せしむる第一の手段は即ち同化なり。同化とは何ぞや、有形無形を問はず将(また)善悪良否を論ぜず一から十まで内地各府県に類似せることなり。我輩曾て此件に関して論じたることあり。其要領に曰く、沖縄県今日の急務は一から十まで他府県に類似せることなり。極端に云へば嚏(クサメ)することまでも他府県人の通りにすると云ふにあり。全国の百分一にも過ぎざる一小地方の勢力を以て従来の風習を維持することは到底不可能の事なり。既に不可能とすれば我より進んで全国に化するか、自然の趨勢に一任するか、取るべき道は二者あるのみ。即ち積極にやるか消極にやるかの二者あるのみ。然れども若し消極的に化するときは毎に優勝劣敗の数理に支配され、幾多の不利不便を感ずること当然なり。恰も大樹の下なる小木が遂に十分の発育をなす能はざるが如し。斯る場合には人為的に引延して大樹の抑圧を免れしむるを要す。今本県を内地化せしむるに最も困難を感ずるは女子なり。他府県に於て本県の女子を見るときは常に目に馴れたる我我さへ異様の感を禁ずる能はず。況や他府県人をや。本県をして他府県と比肩せしめんと欲せば、先づ他府県人の頭より琉球と云ふ観念を除去せざるべからず。然るに婦人の有様が斯(かく)の如き時は此観念を払ふこと頗る難し。之を要するに内地風の家庭を作り、内地へもどしゝ入り込んで人と人との関係を繋ぐのみならず、家族と家族との関係をも密ならしむるにあらざれば、内地本県間の牆壁(しょうへき)は何時までも撤去すべからざるなり。この牆壁を撤去するの任は抑も誰の手にあるか、是即ち女子の任なり。女子をしてこの任を全ふせしむるの方法は如何、云ふまでもなく女子教育を盛にするにあり云々。我輩は女子教育に対し斯の特殊の要求を有す。当局者はこの要求を忘れざらんことを望む。

◎何事をなすにも先だつものは知力と資力なり。知力を養成するには教育の設備あり。然して之が局に当る者は皆専門の学者にして其施設方法の如き我輩が敢て間然すべきものなし。然れども専門家は動もすれば一方に偏傾(へんけい)して時務に適せざるの意見を抱くことあり。故に我輩は一般の教育に向つても亦聊(いささ)か当局者に希望する所あり。此希望の如きも曾て陳述したることあれども、今尚ほ反響に接せざるは遺憾なり。(続く)

●琉球新報は何事を爲したる乎(一) – 原文書き写し

◎新聞紙が文明の社會に於て重要缺くべからざる一機關たることは世間旣に定論あり我輩が今更喋々するの要なかるべし然して本縣の社會が殆んど解体して新社會未た建設せられず万事草々人々相率ゐて以て暴乱暗黑の谷底に陥らんとする時本紙は時代の要求に應し特別の指名を帯て生れたり時は明治二十六年九月十五日塲所は那覇區字西の借屋なりき

◎本紙は出産以來幾多の艱苦を嘗めその發育亦甚た遲々たりと雖も幸にして少しも退歩することなく年を追ふて幾分の發達をなし本年九月十五日を以て満十年の齢を迎ふるを得たり加之十年の齢を迎ふると同時に漸く自家設計の家屋を新築し爰に昨日を以て十年記念會を兼ね落成の式を擧くるに至れり是れ偏へに讀者諸君高庇の致す所にして我輩先づ其厚情を謝す

◎扨て琉球新報は果して時代の要求に副ひ特別の使命を果したるか虛心平氣に旣往の成跡を顧みれは議論の奇とすべきものなく思藻の稱すべきものなく文致の喜ぶべきものなし此點より見るときは實に一文の價値なし然れども深く縣地の事情を察し言はざるべからさる時は必ず言ひ議せざるべからさる時は必ず議し諸般緊要の問題〔に〕對し常に愼重の態度を態度を保ち適正の方針に依り隱健の手段をとり公平無私縣人の福利を保護し進境の開拓に勤めたるは我輩聊か自負する所あり只實を主として名を衒はざるのみ

◎本社創立の當時にありては本縣到る處二大主義の大衝突を見さるなかりき二大主義の衝突とは何そや俗に云ふ開化頑固即ち守舊主義と進歩主義との爭ひなり二者當時の㔟力を比較するに前者は七八分を占め後者は纔に二三分を占むるの有様なりきこの微弱なる㔟ひを頼りに我輩は常に進歩軍の陣頭に立つて奮闘したり他府縣の諸君は我輩の行路を以て無事平隱と思ふものあるべしと雖も家族を持ち親類縁者を有する我輩の身にとりては實に云ふに言はれぬ苦心ありき

◎然れども時運は何時まで守舊主義を跋扈せしむべき日淸戰爭の砲聲はさしもに堅き主舊派の迷夢を覺醒せしめそれと同時に政府の本縣に對する方針も多少趣を異にするに至り爾來甚しき齟齬なくして進行し來り三十〔三〕年七月十五日を以て八ペーヂの小紙面より現今の紙面に擴張するを得たり

◎我輩の職分は素より言論にあり諸般出來事の報道にあり尚ほ精しく言へば未發の利益點を發見して之を報告するは我輩の職分なり之を採収して以て社會をして其利澤に濡はしむるは世自らその人なり社會の病症を診斷して矯正救治の處法を示すは我輩の職分なり薬石を投し手術を行ふて以て其病根を除くは世自らその人あり責任者その職務を怠り爲めに不利を社會に及ほすに當り其怠慢を責め其罪を鳴すは我輩の職分なりその罪過を反省すると否とは我輩が關する所にあらざるなり然れども勸化の好手段は反響の來るまで絕叫にありとは我輩が常に記憶する所「試みにいさや呼はん山彦のこたえたにせは聲は惜まし」是亦我輩が常に愛誦する所或問題に遭遇し世人を覺醒せんとするに當り反響の來るまでは絕叫すべし答へあるまでは聲は惜まざるべし故に我輩の主張する所は題を替へ文字を改め手段を異にすることあるも基本旨に至りては終始一貫毫厘の矛盾なきを信ず

◎終始一貫の本旨とは何そや

全國に向つて沖繩縣民の㔟力を發展する事

是れなり有体に云へば我輩の眼中には「如何にせば沖繩縣をして他府縣と同等の㔟力を有せしむべき乎」と云ふの外何の問題もなし若し片髪を結ひ大帯を纏ふて以て全國民と比肩するを得ば我輩は强て散髪も勸めざるなり四書五經の知識を以て全國民と比肩するを得ば我輩は敢て新敎育をも奨勸せざるなり讀者我輩を以て小志となす勿れ偏狭となす勿れ讀者若し旅程に上り同行者に後れなば之に追付んとするの外他を顧みるの暇あらんや我輩若し明日此目的を達するを得ば明後日よりは直ちに範圍を擴張し全國は愚か進んて世界の問題にも關與すべし

◎我縣民をして此目的を達せしむる第一の手段は即ち同化なり同化とは何そや有形無形を問はず將善惡良否を論せす一から十まで内地各府縣に化する事なり我輩曾て此件に關して論したることあり其要領に曰く沖繩縣今日の急務は一から十まで他府縣に類似せることなり極端に云へば嚏することまでも他府縣人の通りにすると云ふにあり全國の百分一にも過ぎざる一小地方の㔟力を以て從來の風習を維持することは到底不可能の事なり旣に不可能とすれば我より進んで全國に化するか自然の趨㔟に一任するか取るべき道は二者あるのみ即ち積極にやるか消極にやるかの二者あるのみ然れども若し消極的に化するときは毎に優勝劣敗の數理に支配され幾多の不利不便を感ずること當然なり恰も大樹の下なる小木が遂に十分の發育をなす能はざるが如し斯る塲合には人爲的に引延して大樹の抑壓を免かれしむるを要す今本縣を内地化せしむるに最も困難を感ずるは女子なり他府縣に於て本縣の女子を見るときは常に目に馴れたる我々さへ異様の感を禁する能はす況んや他府縣人をや本縣をして他府縣と比肩せしめんと欲せは先づ他府縣人の頭より琉球と云ふ觀念を除去せざるべからず然るに婦人の有様が斯の如き時は此觀念を拂ふこと頗る難し之を要するに内地風の家庭を作り内地へもどしゝ入り込んで人と人との關係を築くのみならず家族と家族との關係をも密ならしむるにあらざれば内地本縣間の牆壁は何時までも撤去すべからざるなりこの牆壁を撤去するの任は抑も誰の手にあるか是れ即ち女子の任なり女子をしてこの任を全ふせしむるの方法は如何云ふまでもなく女子敎育を盛にするにあり云々我輩は女子敎育に對し斯く特殊の要求を有す當局者がこの要求を忘れざらんことを望む

◎何事をなすにも先つものは知力と資力なり知力を養成するには敎育の設備にあり然して之か局に當る者は皆専門の學者にして其施設方法の如き我輩か敢て間然すべきものなし然れども専門家は動もすれば一方に偏傾して時務に適せざるの意見を抱くことあり故に我輩は一般の敎育に向つても亦聊か當局者に希望する所あり此希望の如きも曾て陳述したることあれども今尚ほ反響に接せざるは遺憾なり

●明治卅六年拾貮月廿壹日(月曜)- 琉球新報(二)

SNSでもご購読できます。