祖国復帰運動の矛盾 – われら日本国民(強制したとは言ってない)〈その2〉

前回の記事において、 “日本は祖国か” と題した投書を琉球新報が掲載した件について言及しましたが、その投稿に対する当時の大人たちの反応が(現代人から見ると)極めて興味深いので、今回はこの点についてブログ主なりに解説します。

結論を先に申し上げますと、大人たちの反応は大雑把にまとめると、この投書はあくまでも “少数の意見” であって、全体を代表するようなものではない。だがしかし、このような意見が出て来た事実は重大なため、ひとつは学校教育の現場で復帰教育を強力に推し進めること、もうひとつは早急に復帰することですべての問題は解決できる、との2つに別れます。

参考までに屋良朝苗沖縄県教職員会長の投書に対する感想をご参照ください。

根本策は日本復帰

屋良朝苗氏(沖縄教職員会) 投書には荒木文相来沖の際、沖縄教職員会が「日の丸」の手旗を持って歓迎することを強要したとあるようだが、そのような事実はない。沖縄のような特殊な環境が長年続けば確かに投書に見られるような考え方も生まれることが考えられる。そのことには、われわれもじゅうぶんに注意を払い、教育の力で正しい日本人としての意識づくりに尽くしてきた。「日本を祖国と思わない」という声は一部の特殊な環境にある子供たちのことで全体的な意見だとは思わない。

一般に子供というのは一方的な考えをしがちだ。本土に行ったことも見たこともない子供たちの多い沖縄では無理もないことである。しかし日本を祖国として否定するという考えが露骨になってきたということは重視しなければならない。根本的な解決は早く祖国へ復帰し、現在の特殊は状況から正常に戻すことだ。

ブログ主はこの発言には驚きを禁じ得ませんでした。ご存じの通り屋良朝苗氏は「人格者」で通っていますが、上記投稿に対しては「一部の特殊な環境にある子供たちのこと」であり、現在の特殊な状況がこのような「日本を祖国と思わない」との考えを生み出していると見做しているのです。つまり教育者が、

特殊な環境で培われた意見なんて聞く耳を持つ必要はない

と断言しているわけです。唯一の救いは “投書には荒木文相来沖の際、沖縄教職員会が「日の丸」の手旗を持って歓迎することを強要したとあるようだが、そのような事実はない” と教育現場の行き過ぎを否定するコメントを発している点です。

ちなみに現代人であれば、 “日本は祖国か” の投稿に関してはこのような回答になると思われます(石原昌淳さんのコメントをベースに作成しました)

戦後教育基本法の下で正しい日本人教育を目ざし、多くの教育者が努力してきたにもかかわらず、祖国(日本)を否定する考え方が現われて来ることは残念だ。たしかに投書は学校、氏名とも不明で、はたして生徒自身の投書か疑問に思われる。だがしかし、投書の内容に現われていることは現在の社会情勢を鑑みるに十分に考えられることである。

われわれ(教育関係者)はあくまでも正しい日本人の意識づくりをめざし推進しなければならない。だがしかし教育現場で日本人教育や復帰運動が “強要的” に行われているならば、それは正しい日本人の意識づくりにマイナスになる恐れがある。ましてや現場における暴力的な指導は論外だ。投書に書かれている件に関しては今後調査が必要だが、われわれは学校教育における復帰運動のありかたを改めて見直す必要があるのではと思われる。

この内容であれば、投書の内容を吟味した上で、教育現場における復帰運動の在り方を見直すべきとの “おとなの対応” ができます。逆にいえば投書について「未熟だ」「特殊だ」で片づける時点で、当時の大人たちの自信のなさが反映されてしまったわけです。そして教育現場に限らず、復帰運動にかかわる大人たちが屋良さんのような考え方であったならば、

思春期の少年・少女たちが感情的に反発するのも無理はない

とブログ主は痛感し、そしてその時の苦い経験をいまの60~70代の一部は抱き続けているのではと思わざるを得ません(続く)。

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