誤解を招きかねない表現

今年の9月15日付琉球新報〈社説〉において「琉球新報はきょう創刊125年を迎えた。明治、大正、昭和、平成の激動の時代を歴史の目撃者として記録し、県民の利益、人権を守る姿勢で報道、言論を続けてきた。」との記述がありました。琉球新報は沖縄初の新聞社として明治26年(1893年)9月15日に創刊されたことは間違いありませんが、”創刊125年”という表現は正確ではありません。理由は〈社説〉でも言及していますが、琉球新報は終刊の歴史があるからです。さっそくですが昭和15年12月18日の琉球新報の記事をご参照ください。

けふ限り・「琉球新報」終刊

新体制に即應し强力な”沖繩新報”創刊   三社統合し愈よ來る二十日より

光輝ある紀元二千六百年の佳年に力强く發足した大政翼賛運動に卒先縣民指導啓發の本然たる義務を盡すべく縣下朝刊三新聞社は●ねて新體制に即應する無論●關の强化擴充を期して强力なる一社を創設することに決定名稱も「沖繩新報と銘打つていよ〱來る二十日創刊第一號を發刊することになつた。新しく誕生する「沖繩新報」は琉球朝日日報三新聞社が時局下益々新聞の使命重大を患ひ欣然統合した組織ある統制と淸新なる計劃性を以つて六十万縣民に對し豊嘉なる報道と適切なる指導性を發揚し以つて高度國防國家の完遂と縣勢の振興文化の發展に貢獻せんとするもので社長に男爵家朝助氏を推戴し別項社告の如く新●容を發表したのである

沖繩新報の社郭として現在の沖繩朝日新聞社を譲受け之に改造を加へ琉球新報社の優秀なる輸轉機を装備することになつたが、社郭完備までには相當の日時を要することゝて差し當り本社を創刊事務所に充てヽ二十日より沖繩新報を發刊 讀者へお目見得するもので紙面も増大し朝刊六頁●とし各面とも最も充實した編卽で眞に名實ともに沖繩一大新聞として提供することになった

沖繩新報創刊により明治二六年創刊●日まで四十有八年の古い曆史と本縣文化開發に盡して來た我が琉球新報も第一万四千一百四十一號をもつて本日限り發展的終刊をなることになつた

上記引用からもお分かりの通り、琉球新報社は48年の歴史を持っていったん終了してます。その後昭和26年(1951年)9月10日に又吉康和さんの尽力によって「琉球新報」に復元改題、そして今日に至ります。

つまり琉球新報の歴史は

・明治26年9月15日から昭和15年12月18日までの48年間の「第一次琉球新報」

・昭和26年9月10日から現在(平成30年12月14日)までの67年におよぶ「第二次琉球新報」

に分類するのが正しいのです。断絶の歴史がありますので”創刊125年”の表現はふさわしくない、たとえば「沖縄に新聞が創刊されて125年、琉球新報社はその一翼を担い今日に至る」と記載すると正確さが増します。

同社説において「インターネットが普及した今、玉石混交の情報が飛び交う。沖縄を標的にした悪意あるフェイク(偽)ニュースも意図的に流されている。裏付け取材した事実を基に検証していきたい。ネット時代だからこそ、真実を追求する新聞力の出番だと自負する」と明記しています。それならば

社史をもう少し正確に記載することから始めてはどうか

とツッコミを入れたい気分にならざるを得ないブログ主であります(終わり)。


【参照リンク】

〈社説〉本紙創刊125年 県民本位の姿勢を貫く

「琉球新報」に復元改題

・昭和15年(1940年)12月18日付琉球新報4面。

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