50年前の黑いりうきう社会

今年は、ご存じの通り、我が沖縄が本土に復帰して50年の記念すべき年です。そして、それに伴いさまざまなイベントの開催や、復帰前後の沖縄社会を題材にしたドラマや映画が放映されたりしました。

もちろんこれらイベントは復帰50年に “花” を添える意味合いがあり、なるべくネガティブな部分は取り上げていませんが、試しに昭和47年(1972)当時の新聞をチェックすると、前年のニクソン・ショック(ドル切り下げ)の影響で、社会に不況感が蔓延していたことと、昭和32年(1957)から続く高度経済成長に伴う “負の部分” が深刻化し、あと復帰後の見通しが不鮮明なため、社会全体が暗い雰囲気に陥っていたことは間違いありません。

特に “負の部分” が社会にもたらす害は深刻であり、新生沖縄県はそれらに全力で立ち向かわないといけない状況だったのです。ではその負の部分とは何か、それは「売春、それに伴う性病のまん延」「交通事故の多発」、そして「薬物禍」です。

薬物禍に関しては、 昭和48年9月19日から始まった琉球新報特集記事 “恐怖の白い粉” とそのまとめページで詳しく紹介しますが、今回は昭和47年3月5日付琉球新報社説 “麻薬、暴力、売春の追放” の全文を紹介します。ブログ主が当時の記事や沖縄県警の史料をチェックした限り、この社説に言及された内容は事実であり、我が沖縄県政は50年の歳月をかけて “麻薬天国” あるいは “性病県” の汚名を返上したのです。

それゆえに、ブログ主は吉原特飲街(現在の美里1区)や新町社交街(現在の真栄原2丁目)などの違法風俗摘発には全面的に賛成していますし、アメリカ世時代の “本当の負の遺産” を解消できた事実だけでも沖縄が本土に復帰してよかったと確信しています。

だがしかし、復帰50年の節目に

 “ぽってかすー” が知事を歴任できる風土が誕生してしまった

との近代デモクラシーの負の遺産は後世の沖縄県民に解消してもらうとして、まずは50年前の社説をご参照ください。

社説 / 麻薬、暴力、売春の追放

20数年間にわたって米国の施政下におかれている間に、沖縄はいろんな面で本土と格差が生じている。なかでも本土とくらべて10数年も遅れた暗い面が、売春と、これにからむ暴力、性病である。それに最近では麻薬が急速にはびこってきている。

本土では16年前に売春防止法が立法化され、2カ年の準備期間をおいて完全実施に移された。ザル法との批判を受けながらも、その効果をあげつつあるのは、売春防止と並行して、売春と関連を持つ暴力や麻薬、性病に対する行政上の適切な措置が次々と打たれるとともに、健全な市民の関心が集まったためだと考えられる。

沖縄でも2年前に売春防止法が交付され、その完全実施を前に、対策委員会も設置されている。しかし約1万人と推定される特殊婦人の更生施設は、残念ながら積極的に推進されているとはいえない。現状のままで行くと、復帰後、売春防止法の完全実施に伴って管理売春は、暴力と結びつき、地下にもぐって悪質化することは明らかである。

売春と性病が密接な関係を有することはいうまでもない。男子性病患者の過半数が特殊婦人から感染しており性病患者数も保健所や開業医で治療を受けている者が約7,000人だが、実数は2万人ないし3万人はいるのではないかとの推定もある。このような性病まん延の原因は公然たる売春にあることは明白であろう。

ところが沖縄では、これまで観光収入、基地収入との関連で、管理売春を必要悪として是認するような社会環境があったことは否定できない。少なくとも不当な前借制度による管理売春を積極的に排除することなく、売春制度に不感症になっていたことは否めない。売春防止法の完全実施とともに徹底的な売春防止対策、性病対策、そして暴力取り締まりを実施しないと、復帰後も依然として”売春天国” ”性病県”の汚名を全国にはせる要因は十分である。

とくに復帰後は本土との往来が自由になるので、暴力団や特殊婦人がはいり込むことも容易になるし、世界初の国際海洋博覧会が沖縄で3年後に開催されることが決定しているので、これに備えた売春、暴力の地下組織ができることも予想される。もし、観光収入に対する誤った認識から、この種の管理売春を是認する空気が出たら、手がつけられなくなろう。

表向きは別として、現実には異常に多い特殊婦人が、売春の対象としている中に米軍人が少なからずいるし、特飲街と米軍人とは密接な関係を持っている。また暴力団の手に渡っている凶器のうち、短銃、弾薬などの武器が米軍基地、米軍人からの盗品、横流れ品が少なくないなど、暴力団と米軍との関係も無視できない。

加えて、4年ほど前から民間に出まわりはじめた麻薬も、米軍のベトナム帰休兵が持ち込んだのが始まりだといわれている、しかも、そのまん延は予想外に広範囲で、検挙されただけでも2年間に一挙に3倍にもなっている。取り締まりの目をのがれた潜在的な麻薬使用者の数は、昨年1年間の検挙135人を、はるかに上回ることは確かである。

麻薬の場合は、その供給ルートが、おもに米軍基地内の米軍人だとみられている。最近では米人、沖縄人による密売組織ができ上っていて、基地周辺のコザや那覇などで麻薬密売がひろがっている。これも復帰後は、本土の暴力組織とつながり、沖縄の米軍人から沖縄の暴力団、そして本土の暴力団へと、麻薬のルートが確立されてしまう恐れがある。

”平和で豊かな沖縄県”をつくるためには、本土との格差をなくし、積極的に明るい面、プラスの面を前進させなければならないのは当然である。だが同時に暗い面、マイナスの面を復帰を前に徹底的に解消する構えもなくてはならない。暴力、売春、性病、麻薬の追放に、市民の強い関心と、政府の行政措置を集中し、その一掃を期すべきである。

さらに復帰後も米軍基地のほとんどが残ること、暴力組織や麻薬、性病などが米軍人とも関係することなどから沖縄側だけの対策では十分とはいえない。麻薬取り締まりや外人犯罪などで軍民の取り締まり協力態勢が保たれてきているが、復帰後も、麻薬、暴力、性病などの対策に、米軍側も協力させる態勢を今のうちから確立しておくべきであろう。(昭和47年03月05日付琉球新報04面)

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