大正時代のうちなーぐちと “しまくぅとぅバカ”

先日アップした記事、「俺が調子に乗って “しまくぅとば” が普及しない理由を見つけた結果」に絡んで、ここ数日ブログ主は所蔵の琉球語関連の史料をチェックしてみたところ、興味深い一節を見つけましたので紹介します。

それは昭和41(1966)年9月に発行された、新垣信一訳「琉球語讃美歌(第五版)」の中の「第六番 降誕(111)」で、訳者は伊波普猷先生、つまり大正時代に使用されていた “うちなーぐち” が掲載されているのです。

ちなみに、なぜ大正時代の方言なのかは、「琉球語讃美歌五版に序す」の一節をご参照ください。

そもそも琉球語讃美歌は最初、故文学博士伊波普猷先生並びにその令弟伊波月城氏等によって、山上の垂訓とともに記されて、大正の初期、広く沖縄全土に愛唱されたのであるが、しかし、その数は僅かに数首に過ぎなかった。(下略)

では、実際に伊波先生による琉球語訳の讃美歌の史料をアップしますので、是非ご参照ください。

ただし、現代の沖縄県民では一読してわからない部分もありますので、ブログ主判断で漢字を追加してみました。

一、御万人ぬ 君の生子や 今宵どゥ 生りみしよちやる 出かちりてぃ ベツレヘムに 急ぢ行ちやい 拝まに

二、シザぬ胎かてぃ 此世に 生りみしよちやる 生子や 君の君 真ぬ神 急ぢ行ちやい 拝まに

三、御神崇み みしよりてい 天殿ぬ シザぬ歌ゆん 此世ぬ シザん歌やい 急ぢ行ちやい 拝まに

四、何時む変らん 御言葉や 今どゥ世界に 生りしやる 此日御願しやる 人ゆ などぬ幸(しやはし) 誇らに

これなら、大雑把ではありますが、現代の沖縄県民でも通じるかと思われます。ちなみに意訳はこんな感じでしょうか。

一、万人の主、神の御子は今宵生まれ給う。さぁ出かけよう、ベツレヘムに。急ぎ行きて拝まずにはいられようか。

二、(人間の女性の)胎からこの世に生まれ給う御子は、真の神そのもの(唯一神ということ)、急ぎ行きて拝まずにはいられようか。

三、神を崇め栄あれと、天の(み使い)が唱え、この世の(人たち)も唱えつつ、急ぎ行きて拝まずにはいられようか。

四、何時までも変わらない御言葉よ、今日の世界に顕現し給う。この日を待ち望んでいた人よ、この幸せを喜ばずにいられようか。

ちなみに、ブログ主が一番興味を覚えたのは「君の君 まくとゥの神」の一節で、これはオモロの反復法そのものなんです。参考までに、君はオモロ用語では「神」を意味なので、「君の君」は「神のなかの神」と訳せます。そして、「まくとゥの神」とつなげることで、当時の沖縄県人に対し、「唯一神」の概念を広めようとの苦心が伺えるのです。

伊波先生の天才をもってしても、外来の思想を現地語に訳すのは困難を生ずるという傍証かもしれませんが、当時のキリスト教徒たちは、その苦難を乗り越えて、多くの讃美歌の琉球語訳を残したのです。それはつまり、外来の思想(キリスト教)の布教に対し、現地の言語や風俗を尊重しつつ、真摯な態度で翻訳に臨んだ証なのかもしれません。

ところが、現代の “しまくとぅば” の普及活動には、大正時代のキリスト者たちのような真摯な態度を伺うことができません。それもそのはず、現代の「しまくぅばの布教」には、他府県人に対する一種の劣等感から生ずる反発があり、具体的には「(うちなーんちゅぬ)うしぇーらんけー」という下卑た本心が見え隠れしているのです。

それゆえに、ネット上では “にわかうちなーぐち” で相手に対してマウントを取る恥ずかしい行為が散見されるわけです。一例をアップしておきますが、この手の

“さながらふりむん” たちが、結果的にうちなーぐちにとどめを刺す

ことになりかねないことに危惧を覚えつつ、(無駄とは思いつつも)せめて、大正時代のキリスト者の100分の1の真摯な態度でうちなーぐちを使用してほしいと神に祈りつつ、今回の記事を終えます。

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