反自衛隊闘争はなぜ “凋落” したのか その1

今月12日から3日間の日程で行われた沖縄全島エイサーまつりも無事に閉幕しました。開催前には一部メディアが自衛隊の参加について抗議する市民団体の記事を掲載していましたが、初日(12日)の自衛隊演舞が市民団体によって “阻止” されることなく、実際には第15旅団エイサー隊の演舞は観客の大歓声を浴びて無事終えることができました。

50年前なら民主団体(※現在では「市民」に該当する存在)の実力行使によって、演舞が阻止された案件ですが、ではなぜ何事も起こらなかったのか。ブログ主は手持ちの史料などから、反自衛隊闘争の致命的な “欠陥” について気が付きましたが、その前に(いまさらとは思いますが)12日の自衛隊による演舞の様子をアップします。

12日当日、ブログ主は演舞開始時間(19時)の40分前に現地スタンバイして、空港通りを軽く散策しましたが、印象的だったのが警備にあたる警官のリラックスした様子でした。そして現地観客と穏やかにゆんたくする警察官の姿を見て、今日は何も起こらないと確信できました。

19時に予定通り演舞が始まり、大盛況のうちに終了しました。ブログ主はXにその時の様子をアップしましたが(19:21)、それが思わぬ反響を呼んだのにはびっくりしました。

https://twitter.com/Ayirom_uji/status/1966447052914622520

なお、現地にいたことを証明するため、動画も撮影しました。20分以上のため分割してアップします。

※長時間動画のアップは当運営ブログにて初の試みになります。画質等については素人撮影のためご了承くださいませ。

改めて動画を見直しましたが、翌日新聞などで報じられた「反自衛隊のステッカーを掲げた50代の女性」らしき姿は確認できません。どうやら(固定演舞会場から遠く離れた)ミュージックタウンの国道330号線沿いにいたようです。

市民団体「止めよう辺野古新基地沖縄市民会議」のメンバーらしき人も見当たりません。いま考えると(地元出身の)仲村未央県議も、島袋恵祐くんもシージャたちにつきあわされた感があり、気の毒な立場だなとおもいつつ、せっかくなので来場して一発ぶっぱなせばなと余計なことを思ったブログ主であります。

全島エイサー大会終了後も、自衛隊演舞については新聞紙上を賑わすことなく、抗議活動そのものが忘れ去られてしまった感ありますが、はっきりいって抗議メンバーはなんとも思っていないでしょう。だって「抗議することそれ自体が目的」なんですから(以下自粛)

ただしブログ主が興味を覚えたのが、復帰後に華々しく活動していた反自衛隊闘争がなぜここまで凋落したのか、そこで復帰後の史料をチェックした上で一つの結論に達しました。次回はその点について言及します(続く)

【追記】12日の固定演舞会場Aの自衛隊の演舞だけで、今年の

ピースフルラブロックフェスティバル以上の観客を動員

していたのはちょっと笑えました