県政百年の知事メッセージ(昭和54年)

本日は、(ブログ主的に)野球シーズンがひと段落したので、ブログネタになりそうな史料を探しに、ひさびさに沖縄県立図書館を訪れました。そういえば4月4日は、明治12(1879)年に廃藩置県が施行されて140年以上経っているなと思いつつ、試しに復帰後の関連記事をチェックしたところ、興味深い史料を発見しました。

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『県差別のない社会づくり条例』の考察

先月30日の琉球新報DIGITAL版によると、「沖縄県議会(赤嶺昇議長)の2月定例会は20日、最終本会議を開き、公共の場やインターネット上での差別的言動(ヘイトスピーチ)の解消を図る『県差別のない社会づくり条例』を賛成多数(賛成29、反対19)で可決した。」とあり、”反ヘイトスピーチ” に対して初の県条例が制定されたと報道されていました。

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自衛隊配備ハンタイの黄昏

今月はWBCに始まり、春のセンバツ、そして春季高校野球大会(沖縄)と野球イベントが続く影響もあって、当運営ブログも事実上のお休み状態でしたが、(野球イベントが落ち着いてきたので)今回はひさびさに真面目なコラムをアップします。

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俺が調子に乗ってセンバツ展望(沖尚)を語ってみるよ – その2

今年(令和5年)3月18日から連日絶賛開催中の第95回記念選抜高等学校野球大会(以下センバツ)に関して、読者の皆様はご存じかと思われますが、我が沖縄代表の沖縄尚学は、大会初日(18日)の第3試合、大垣日大(岐阜)を相手に4-3、そして大会7日目(25日)の第1試合にて、クラーク国際(北海道)を相手に3-1と勝利し、3回戦にコマを進めました。

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新城喜史さんについて知っていること

今回は、ブログ主からのちょっとしたサービスで、これまで蒐集した新城喜史さん関連の史料の一部を公開します。ちなみにブログ主が想定する彼のイメージは、“悪いアントニオ猪木” ですが、その心は ① 人相に特徴がある。② 人当たりがよく誰からも好かれるタイプ。③ただし、思いつきで行動する傾向が強いので、周りに迷惑をかけてしまうでしょうか。

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アメリカ世のギャング・スター

最近、当ブログの運営に関し、「沖縄ヤクザネタの成分が不足している」との指摘(というか禁断症状)が一部読者から散見されるようになりました。改めてチェックすると、今年の1月15日を最後にアシバー関連の記事は掲載されていないため、今回はブログ主が蒐集した史料の中から、満を持して新城喜史さんネタを紹介します。

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たまおとんのひのもん(玉陵の碑文)の謎 – その2

(続き)今回は、玉陵(たまうどぅん)について言及しますが、実はこの建築物は調べれば調べるほど “矛盾” だらけなのです。参考までに『球陽』をチェックすると、「尚圓王已ニ薨シテ、見上森ノ陵ニ葬ル。今番新ニ玉陵ヲ中山坊内ノ池ニ築ク。前ハ首里ノ大街ニ臨ミ、東ハ天界寺ヲ側ニス。先王尚圓王ヲ奉シテ、コノ玉陵ニ移葬ス。」とあり、見上森の陵(みやーぎむいうたき)に埋葬されている尚円王の霊骨を、1501年(尚眞王即位25年目)、玉陵に移葬したと記述されています。

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たまおとんのひのもん(玉陵の碑文)の謎 – その1

ここ数回、当運営ブログでは珍しく “古りうきう” の真面目な仮説記事を掲載し続けています。それはつまり、「古琉球の深淵 – おぎやかの謎」の続編を掲載すべく、彼女に関して集めた史料を改めてチェックしたところ、これまで気が付かなかった “盲点” に気づいたためですが、今回もその流れで「たまおとんのひのもん(玉陵の碑文)」について言及します。

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浦添朝満の謎 – その(2)

(続く)今回は、浦添朝満(1494~1540)の “失脚” について、ブログ主なりに言及しますが、実はこの案件で困ったことがあります。それは、彼が尚眞王の長男でありながら最終的に廃嫡の憂き目にあったため、後世の人たちから悲劇の主人公扱いされている点です。

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ロストテクノロジー

昨日、ブログ主はツイッターをチラ見した際、沖縄タイムスの〈大弦小弦〉に対する複数の呟きが目に留まりました。「なんかまたやらかしたのか」と思いつつ、本日改めて該当のコラムをチェックしたところ、興味深いことに気が付きましたので、試しに当ブログにてまとめてみました。

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俺が調子に乗って “辻のホテル” で思索に耽った結果……

今月16日、ブログ主は沖縄県立図書館に出向いて、『おもろそうし』の写本、ほか家譜のチェックなどで充実した時間を過ごしました。ただし、ちょっとはりきり過ぎたせいか、精神的にバテてしまった感があったので、那覇市辻のホテルでついうっかりひと休み&ブログネタの思索に耽ってきました。

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浦添朝満の謎 – その(1)

今年に入って、「二代目聞得大君の謎」と題した記事を3回配信しましたが、実はブログ主の予想の斜め上を行く反響がありました。その際に、二代目聞得大君こと峯間(みねま)の史料をできる限りチェックしたところ、向氏小禄家(一世朝満)の一族に関する思いがけない事実に気が付きました。

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