金城正雄さんの謎 – 番外編

ご存じの通り、当運営ブログでは故川満勝弘さんの証言(ロックとコザ)を掲載してますが、彼の証言の裏付け史料を探しているうちに、ついうっかり沖縄ヤクザ関連の新鮮なネタをゲットしてしまいました。

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俺が調子に乗って牛丼チェーン店でタコライスを食べ歩いた結果www

今月6日からすき家にて「新メニュー販売開始のお知らせ」と題して、夏季限定でタコライスが販売開始されると報じられ、翌7日以降から実際に食べ歩いたブロガーたちからの記事が多数目につくようになりました。

ちなみにブログ主は沖縄在住なので、吉野家のタコライスと比較食べ歩きができる環境にあります。だがしかし、タコライスといえば「キング・タコス」の思い込みが極めて強いブログ主は、他の店でタコライスを注文したことがほぼありません。ただし、今回はいい機会なので、牛丼チェーン店のタコライスを食べ比べてみました。B級グルメ好きな読者の皆さん、是非ご参照ください。

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ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – マヤー回(その3)

□🐈殺せる人ってなかなかいないよ 家に帰って、大きな鍋にスブイ(冬瓜)と昆布と🐈の肉も切って全部入れて、🐈汁というのか🐈鍋というのかこれ作って、「ウリヒャー、トォー・シグ電話・サヒー(ほらできた、すぐ電話しょうな)」といってライブハウスの家主のところに連絡したら、「イッターン・カメー(あんたたちも食べなさい)」といわれて、私たちも「ヤッサー・ヤー(そうだね)、食べてみようかね、食べよう」といって一緒に参加することになったんです。それで「マー・サッサー・ヤー(おいしいねぇ)」といってみんな食べていました。

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【史料】小室直樹著‐日本の「一九八四年」

りうきう独立芸人に絡んだ記事を作成するにあたり、小室直樹著 – 日本の「一九八四年」(PHP研究所)を参照しましたが、昨今のマスコミ報道を省みるに、40年も前に小室博士が指摘したマスコミの問題点が現代もなお引き継がれていると痛感しました。

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ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – マヤー回(その2)

(続き)やっぱり、夜でも砂辺の海岸にはアベックがたくさんいましたよ。三時ごろに、私たちはその中を懐中電灯を持って歩きながら、「エー(なあ)🐈でもさ、魚を三枚におろすさ、あれと同じみたいなもんじゃないか」といったら、「皮がついてる。キー・ブター・シ、カー・チャー・スガ(毛だらけだのに、皮はどうするわけ)」といわれたんです。それで「皮な。皮は焼いたら」とかいうと、また「違うさ。あれは、鶏でもなんでも焼くのは、焼きブタとかじゃないか、毛を取るとかああいうの」というのもいるんです。

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我が沖縄が “独立” できない理由

ここ数日、ツイッターをチェックしていたところ、ブログ主の目を引いた投稿がありました。名護市議として活動中の” りうきう人” さんのつぶやきですが、極めて興味深い点についうっかり気が付きましたので、備忘録として当ブログにてまとめてみました。

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ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – マヤー回(その1)

□マヤーの肉 昔、私たちが借りているライブハウスの家主の奥さんが「カッちゃん、馬肉とか、牛肉、豚肉たくさんあるけど、うちのお父さんがね、内臓(腎臓の病気)には🐈の肉が効くっていうから。那覇の市場に行っても🐈の肉は売ってないのよ」といいだしたんです。それで私は「何、🐈食べるわけ」と聞くと、奥さんに「あのね、どこにも売っていないから、あんたなんか鶏も蛇も食べるさね、だからあんたなんかだったら🐈も料理して持ってくるんじゃない」といって頼まれてしまったわけです。

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ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その11

(続き)でも私は「アッハー・ワカタン、イッター・シーカタ・ワカタン。ワッター・ガ・オーン・ディ・イレー・カラ、イッターヤ・ウヌ・バンドー・ウリサーニ・シムン・ドー・ンディ(わかった、あんたたちのやり方はわかった。俺たちがいいよっていったら、あんたたちはこのバンドはこれでいいってよ、というんだな)。ああ、イッター・ワカタン、ナー・ダメ・ヤッサー・ウレー(あんたたちのはわかった、もうこれもだめだね)」といって、といって、彼らがバンドから了解を得たからといって給料の上にプラス三〇ドル・ンディ・イーネー(といえば)、バンドもOK出しているからオーナーに対して強くいえるので、断ったんです。

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ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その10

(続き)今度はまた、中堅幹部が「エー・イッター仕事ヤ・何時にウワイ・ガ、ワン・マッチョー・チュク・トゥ・ヤー、ウマン・カイ、玄関ンジ。ヒンガ・サン・ドー、チュウ・ヤ(おい、お前たち仕事は何時に終わるのか。俺は玄関でまっているからな、今日は逃がさないからな)」と店まで来て脅かすんです。

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琉球譯讃美歌の考察

前回紹介した「琉球語讃美歌 – 降誕(111)」について、明治41(1908)年12月25付琉球新報1面に発表された原文、および大正4(1915)年の「琉球語讃美歌及箴言」の初版に掲載された同歌をチェックしたところ、前回の記事で紹介したブログ主の意訳に一部誤りがあることが確認できたので、今回改めて考察記事を纏めてみました。

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大正時代のうちなーぐちと “しまくぅとぅバカ”

先日アップした記事、「俺が調子に乗って “しまくぅとば” が普及しない理由を見つけた結果」に絡んで、ここ数日ブログ主は所蔵の琉球語関連の史料をチェックしてみたところ、興味深い一節を見つけましたので紹介します。

それは昭和41(1966)年9月に発行された、新垣信一訳「琉球語讃美歌(第五版)」の中の「第六番 降誕(111)」で、訳者は伊波普猷先生、つまり大正時代に使用されていた “うちなーぐち” が掲載されているのです。

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ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その9

□ヤクザとの対立 私はバンド活動を、学生のころのように調子にのってやっていましたから、あのころの暴力団から縄張り代を請求されたこともありました。だから、私は中部病院にも運ばれましたよ。私は高校のときにも上級生から目をつけられましたけども、社会に出てもそんなことがあるんだなと思いました。

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ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その8

□死体洗い その時のバンドのメンバーは、沖縄で一番キャラクターが強い奴ばかり集めて組んでいたわけですが、性格が合わずに一人抜け、二人抜けして、入れ替わりが激しかったんです。そのメンバーから抜けた奴の一人でヒコー(嘉手刈武彦さん)がいましたが、彼は陸軍病院の死体の浮かぶプールでベトナムから送られた顔や内臓のない死体を洗っていたんです。

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