前回の記事において、源武雄さんの論文「王代記から見た尚家の家督相続」を参照にトートーメーにおける3大タブーについてブログ主なりに説明しました。今回はトートーメーのタブーを通して尚家の家督相続について言及します。
ちなみにトートーメーにおけるタブーは18世紀以降、王族や士族社会に徐々に定着したことが考えられます。理由は系図座の設立(1689年)によって王族や士族の間で”家督相続のルール”が強く意識されるようになったからと仮定していますが、今回はこの件については言及しません。18世紀以降に定着したと思われるルールを15~16世紀の王家における家督相続に当てはめて考えるのはちょっと無理がありますが、それでもきわめて興味深いことに気がつきましたので読者の皆さん、是非ご参照ください。
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ここ数日ブログ主は”権力の継承の観点から見た琉球・沖縄史”のテーマでいろいろと考えていました。その理由は琉球・沖縄史において権力の継承が一番安定しているのが現代と慶長の役(1609年)から廃藩置県までの尚家支配の琉球国の時代であり、意外にも不安定だったのが廃藩置県後の大日本帝国とアメリカ世(1945~1972)の時代であることに気がついたからです。
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本日(27日)ブログ主は琉球新報朝刊を読んで思わずため息をつかざるを得ませんでした。その理由はコラム〈金口木舌〉の内容にがっかりしたというか何というか、現在の記者の”劣化”を実感したからです。
国連気候行動サミット2019に関してはブログ主は門外漢のため言及できませんが、たしかに同サミットにおいて日本が温室効果ガス排出対策に関して具体的な提言を行わなかったことや小泉進次郎環境相の発言あたりは批判の対象になるでしょう。同コラムでもその点を指摘していますが、だからといって(自称)若者代表のグレタ・トゥンベリさんの行動を賞賛するかのごとき文面はいかがなものか。
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今回は琉球・沖縄の歴史において、ブログ主が思うに「忘れ去りたい記憶」について言及します。いわゆる黒歴史ですが、琉球・沖縄の歴史をふりかえるとそんなものは当然ながら掃いて捨てるほどあります。そのなかから今回は欧州大戦(第一次世界大戦)当時の好景気を取り上げます。
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平成2(1990)年12月21日、沖縄県において暴力団追放を目的とした団体「暴力団追放沖縄県民会議」が設立されました。その理由は同年9月に勃発した旭琉会の内部抗争によって11月に民間人に死傷者が出たからです。
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先日ブログ主はアメリカ世の昭和32(1957)年1月に日本プロレスの力道山一行が来島して、3日間にわたって那覇市久茂地でプロレス興行を開催した記事を見つけました。
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今回は通称スターこと又吉世喜さんが始めて沖縄マスコミに登場した記事を紹介します。
彼の存在は昭和36(1961)年に月間沖縄11月号の特集記事『縄張り”暁に死す”』で世間に知られるようになりましたが、その記事より4年前の昭和32(1957)年1月に沖縄タイムスおよび琉球新報に彼の起こした(であろう)傷害事件が掲載されていました。先ずは沖縄タイムスの記事全文を書き写しましたので読者のみなさん是非ご参照ください。
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今回はこれまで蒐集した沖縄ヤクザ関連の史料(大部分が琉球新報の記事)から、ちょっとしたエピソードを紹介します。
当ブログでは原則として公開情報だけを扱っていますが、そのなかから昭和36~41年にかけてのじわじわくる話を厳選?しました。ほかにも面白い話はありますが、今回は紙面の都合上3つに絞りました。読者のみなさん是非ご参照ください。
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今回は復帰後の沖縄において実際にあった反自衛隊闘争について言及します。いまではありえないことですが、我が沖縄において自衛隊所属のスポーツ選手は沖縄代表として国体に派遣されることはありませんでした。その前例になった事件については後日説明しますが、昭和52(1977)年10月開催の第32回国体秋季大会(青森県)で初めて自衛隊所属の選手が国体に派遣されます。
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ここ数日、当ブログのアクセス数が異常な伸びを示していたので、Google Analytics を使ってその原因を探ってみました。どうやら令和元年8月26日の沖縄タイムス電子版の記事がきっかけで、当ブログの該当記事にアクセスが集中したようです。
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今回もアメリカ世時代の新聞ネタをもとに記事を作成しますが、昭和39(1964)年8月7日付琉球新報夕刊1面に”ものくゆすどわが御主”というタイトルで祖国復帰に関する世代間対立のコラムが掲載されていました。
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1964年5月8日付琉球新報に「おかあさんありがとう」と題した母の日図画作文コンクールの記事が掲載されていました。琉球新報とデパート・リウボウとの共同企画で全琉の小学生からおかあさんへの感謝の気持ちを表す図画と作文を募り、特賞、一等などの入選者はその作品が掲載されていました。
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本日もブログ主は沖縄県立図書館を訪れて史料チェックをしていましたが、その中で極めて興味深い記事を発見しました。それは昭和52(1977)年8月29日付琉球新報5面に「学びの国…がぴったり」と題したとある国の教育事情についての記事です。
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前回の記事においてブログ主は沖縄原水協の分裂騒動について言及しました。なぜこの記事に関心をもったかと言うと、実は以前に沖縄人民党第七回党大会(1956年1月22日)および民連選挙の綱領を見たことがあるからです。
たとえば沖縄人民党第七回党大会の綱領には
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本日沖縄県立図書館で琉球新報の記事をチェックしていたところ、昭和39(1964)年7月21日付琉球新報朝刊1面に「原水協、分裂状態に」と題した沖縄原水協の分裂騒動についての記事が掲載されていました。ブログ主は原水協(原水爆禁止日本協議会)など日本の原水爆禁止運動については詳しい知識はありませんが、それでも記事内に気になる記述がありましたので当ブログにて紹介します。
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