前回、”第一回弁当屋さんの天ぷら選手権”と題したグルメレポートを掲載しましたが、「あまり天ぷら関係ないやしぇ~」というごもっともな突っ込みがありまして、今回から”街の弁当屋さん選手権”に変更して弁当屋さんの食レポを掲載します。
沖縄市中央地区を散策した際に気がついたのですが、同地区はグルメスポットのレベルが高いです。そして意外に弁当のレベルも高かったので、ブログ主が確認できた限りの弁当屋さんを紹介します。B級グルメ好きの読者のみなさん是非ご参照ください。
前回、”第一回弁当屋さんの天ぷら選手権”と題したグルメレポートを掲載しましたが、「あまり天ぷら関係ないやしぇ~」というごもっともな突っ込みがありまして、今回から”街の弁当屋さん選手権”に変更して弁当屋さんの食レポを掲載します。
沖縄市中央地区を散策した際に気がついたのですが、同地区はグルメスポットのレベルが高いです。そして意外に弁当のレベルも高かったので、ブログ主が確認できた限りの弁当屋さんを紹介します。B級グルメ好きの読者のみなさん是非ご参照ください。
一 それは各間切に諸按司が城を築き、石垣を高くして兵火の絕えない昔のことであつた。玉城間切は百名村(今の玉城村字百名)に白樽と云ふ一人の若い男が居た。此の男は性質温厚篤実で、從つて親に孝友と交つて信、常に自分の良心に從つて惡を斥け善事を爲した爲め、間切内の人氣者であつた。それで領主玉城按司のお目がねに叶ひ、若按司鬼武能の姫の婿に選ばれて目出度夫婦となつた。白樽は世の幸福を一身に集めた故に、他若者達から羨望の的となつた。
今回はこれまでブログ主が精力的に蒐集した沖縄ヤクザ関連のちょっとした小ネタを提供します。年末年始の忘年会あるいは新年会など飲み会の雑談で利用していただくとありがたいです。
今回に限らず沖縄ヤクザ関連のお話は原則として新聞など公開情報を元にしています。伝聞あるいは非公開情報は取り上げないようこころがげていますのでご了承ください。
※令和05年01月28日、サイト内整理に伴い、一部加筆・修正済。訂正を加えた分は青地で表記しています。
今回はすこしゆるいグルメレポートを提供します。ここ数回那覇西部地区の散策レポートをアップしましたが、その際に意外というか街の弁当屋さんの人気に気がつきました。
今回は那覇西部地区(久米、西、辻)の弁当屋さんの散策レポートを掲載します。なお題字は適当につけたので、てんぷら以外の食材も登場します。それと第二回があるかは未定ですのでご了承ください。
本日ブログ主は那覇市辻地区を散策してきました。実は前にも同地区はチェックしたのですが、どうしても気になる点があったので、過去のゼンリンの地図などを参照して本日再度訪れた次第であります。
結論を申し上げると、現在の辻地区はかつての華々しさは感じられず、街全体に”黄昏”を感じざるを得ません。ブログ主が撮影した辻町の現状を紹介しますので読者のみなさん是非ご参照ください。
以前”【暫定】大日本帝国が沖縄に対して行った残虐非道な所業で打線を組んでみた”と題した記事を掲載したところ、予想の斜め上を行くアクセス数がありました。2番煎じになりますが、今回は沖縄戦以降のアメリカ世から復帰後の施政権者(米国民政府、琉球政府および日本政府)が我が沖縄に対して行った悪行について打線を組んでみました。
今回は大正13(1924)年4月発行の『沖縄教育』から「彽徊趣味断片」と題した随筆を紹介します。筆者は当時編集長を務めていた又吉康和さんで、往年の首里郊外の景観が美しい文章で紹介されています。
原文はすこし読みにくいところがあったので、思い切ってブログ主が旧漢字を訂正しました。プラス”其の”や”尙ほ”などの現代では使わない用語もひらがなに変換することで原文のよさを損なうことなく、現代人にも読みやすい文章に編集しました。音読することをお勧めします。大正時代の知識人のレベルの高さを実感しつつ、当時の首里郊外の情景が目に浮かんでくる名文です。読者の皆さんぜひご参照ください。
以前、ツイッターをチェックしている際に、11月13日付の沖縄タイムス社の阿部岳記者のツイートが目に留まりましたので全文を書き写します。
”尊敬する歴史家から「為政者の悪行は石碑に刻んで、100年、200年後の子どもたちに伝えるべきだ」という話を聞いた。”
この尊敬する歴史家が誰か記載はありませんが、ここはひとつブログ主が『球陽』を参照に為政者の悪行を紹介しますので読者のみなさん是非ご参照ください。
先月30日から本日にかけてブログ主は沖縄市上地(なかのまち)や中央(パークアベニューや一番街など)を所用を兼ねて散策しました。前日は”帯広豚丼炭火焼とんたん”のグルメレポートを掲載しましたが、今回は街中散策レポートを紹介します。
改めて実感したのですが、沖縄市中央地区の”じわじわくる”ポイントの多さにはびっくりします。その中からブログ主が厳選?した見所をまとめてみましたので読者のみなさん是非ご参照ください。
今回は今年の11月に沖縄市嘉間良にオープンした”帯広豚丼炭火焼とんたん”のグルメレポートを掲載します。沖縄に帯広の豚丼屋が進出するニュースは前々から聞いてましたが、はたして沖縄の食志向にマッチするのかずっと気になっていました。
今回も(自称)名誉若狭民であるブログ主が、若狭地区の紹介を兼ねてグルメスポットを紹介します。
今月20日の散策では波の上周辺(旭ヶ丘公園など)に時間をとられてしまい、若狭地区すべてのチェックは時間的に無理でしたので、ブログ主が確認できた限りの”じわじわくる”ポイントをまとめてみました。食ネタ好きの読者のみなさん、是非ご参照ください。
本日ファミリーマートに立ち寄った際に、”ファミマでUEMA”と題して上間てんぷらが店頭販売されていました。琉球新報の記事によると本日(26日)からの販売との記載があり、実際に購入して食べてみました。
4月に試験販売した際は大好評だったようで、そのときは残念ながら購入することができませんでした。今回はさかな・いも・いかの三種類を無事購入することができましたので早速記事にまとめてみました。読者のみなさん、ぜひご参照ください。
今回も(自称)名誉若狭民であるブログ主が旭ヶ丘公園などに設置されている”石碑”について記事をまとめてみました。若狭地区の散策で始めてわかったのですが、旭ヶ丘公園付近は沖縄を代表する”石碑のメッカ”です。本来ならじっくり時間をかけてひとつひとつ紹介したいところですが、限られた時間内なので主な石碑のみ撮影してきました。読者のみなさん是非ご参照ください。
今回は那覇市若狭(わかさ)の散策結果を紹介します。旧那覇からの由緒ある地名にも関わらず”存在感の薄さ”が際立つ若狭地区ですが、その理由はやはり”波の上”の圧倒的知名度にあります。
たとえば沖縄県民なら”波の上神宮”をよく知っていますが、その所在地が”那覇市若狭一丁目”であることを知る人は少ないはずです。”波の上ビーチ”も同様で”若狭海浜公園”の中にあります。那覇市民であればご存知かもしれませんが、典型的な宜野湾民であるブログ主にとっては、
今回は復習の意味もかねて、大日本帝国が沖縄を支配していた時期(1879~1945)年における悪行について打線を組んでみました。本来は別の記事を掲載する予定でしたが、前日フェイスブックに面白い投稿&リクエストがありましたのでそれに応える形になりました。
ブログ主は朝鮮半島の歴史はよく知りませんが、「日本が朝鮮にした恐ろしいこと!!!」という画像をみて「大日本帝国マジやべー」と思った次第であります。我が沖縄も朝鮮半島のように日本帝国主義の残酷極まりない仕打ちにあったのかと思うと胸が痛みます。とくに女性たちが気の毒で涙がとまりません。読者のみなさん心してご参照ください。もちろん異論は認めます。