「でも売春が禁止されたら性犯罪が増えて、堅気の娘たちが危険にさらされるのではないでしょうか?」
かなり知的な婦人でも、こういう心配に取りつかれている。
キャラウェイ高等弁務官は立法院(第二十三回定例議会)に送ったメッセージの中で、売春禁止法の立法を勧告している。行政府もまたそのための実態調査予算を計上した。売春禁止法の制定が問題になってくれば、かならず反対意見の中に「性犯罪増加の危険」がいわれてくるにちがいない。
「でも売春が禁止されたら性犯罪が増えて、堅気の娘たちが危険にさらされるのではないでしょうか?」
かなり知的な婦人でも、こういう心配に取りつかれている。
キャラウェイ高等弁務官は立法院(第二十三回定例議会)に送ったメッセージの中で、売春禁止法の立法を勧告している。行政府もまたそのための実態調査予算を計上した。売春禁止法の制定が問題になってくれば、かならず反対意見の中に「性犯罪増加の危険」がいわれてくるにちがいない。
働く女子年少者保護育成週間が二十二日からはじまりました。対象は全流の各職場で働く年少者となっていますが、この「保護」からもれている万余の女性がいます。それはいわゆる赤線、青線地帯の女たちです。売春禁止法もなく、彼女たちの更正、福祉施設もないまま、売春が放任されている沖縄の現実……。しかし「必要悪」だからといって見て見ぬふりするわけにもいきません。働く女性の保護育成にちなんで、売春の実態と彼女たちの保護について、読売新聞那覇特派員中沢道明氏の寄稿を紹介しましょう。
昭和38(1963)年10月21日、米国民政府高等裁判所(以下民政府高裁)は喜舎場朝信、新城喜史にかかる殺人未遂、証人脅迫事件の初回公判を開きました。
平成28(2016)年5月から運営を開始した当ブログですが、気がついたらあっという間に4年が経過し、まもなく5年目に突入します。琉球・沖縄という地域史のジャンルの中で予想の斜め上をいく新たな発見の連続があり、そして当初の目標である1000記事発信が現実味を帯びてきました。
先月16日に政府が全国に新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言を行い、それに伴い我が沖縄でも同月20日「沖縄県緊急事態宣言」を発出して県全体で新型コロナウィルスの感染拡大防止に全力で取り組んできました。
(続き)前回の記事において、医生教習所の碑が波の上宮にあった件について言及しましたが、その前に明治19(1886)年に起きた天然痘の大流行について興味深い記事を見つけましたので紹介します。
4月30日時点でグーグルニュースが公開している我が沖縄の新型コロナウィルス感染者は141名、そのうち死亡が4名となっております。この数字が多いか少ないかブログ主は専門家ではないため判断できませんが、歴史的に見ると未知の病の蔓延にしてはきわめて少ない印象があります。
以前ブログ主は、”我が沖縄社会の犯罪統計を調べてみた結果”の記事の中で
これまで4回に分けて掲載してきた『続・沖縄の証言 変転10年を刻む – 暴力団抗争』のまとめページを作成しました。ブログ主がこの記事に非常な興味を抱いたのは、アメリカ世時代の沖縄タイムスは暴力団関連にはあまり力を入れてなかった印象があるからです。
手向かうなら撃て – 本部長も強い姿勢
第四次抗争は、第三次抗争までと異なり、白昼堂々と発砲を繰り返したことやつぎつぎにアジトを襲撃するなど一般社会への影響に見境なく銃器を使用した事件が続発した。なかでも初めて警備にあたっていた警察官に短銃を向けて発砲、負傷させたことによって、斉藤県警本部長は、警察への挑戦として「手向かうなら撃て!」と異例の強い姿勢での決断を下し指示した。このように強い姿勢で暴力団抗争に臨んだ例はかつてなかったことであり、この指示は当時の情勢からして「当然だ」とする県民の支持する声もあった。直接の担当だった三島はこう語る。
葬儀参列で30人が来沖、県警追い返す
しかし、執念深く挽回を図る上原組は山口組大平組と手を組み、山口組系大平組内上原組を旗揚げした。この動きに呼応するように、東亜友愛事業組合沖縄支部の幹部(仲本政弘)が山口組系大平組内古川組組長の舎弟となり、同会を脱退して琉真会を結成、那覇市内に看板を掲げた。第四次抗争の後期は、沖縄に山口組の進出がなるかという新しい要素が加わり、旭琉会対上原組・琉真会という図式での抗争となった。後期の主要事件は –
今月18日、県庁前の広場で1万枚のマスクを無料配布して現地を混乱に陥れた会社社長さん(68)についてですが、この案件について公開情報を調べたところ、実に面白いことが分かりました。
今回から数回に渡って、大正6(1917)年9月9~10日に行われた琉球新報社主催「第二回県下野球大会」の試合報道を紹介します。
スポーツイベントに熱狂するのは古今東西を問わず我が沖縄も例外ではありませんが、それにしても当時の新聞報道を参照すると、
血で血を洗った第四次抗争に発展
佐藤・ニクソン日米共同声明により復帰が目前となったころ、山口組を中心とする本土暴力団の来沖が目立ってきた。
本土暴力団の進出警戒して結束強化
「沖縄の暴力団の歴史は、鮮血に彩られた対立抗争の歴史である。縄張りと権利の維持と拡張にとりつかれた欲張り徒輩が分裂しては戦い、つぶし合い、そして統一し、再び争って分裂することを繰り返してきた歴史である」 – 竹花豊(前沖縄県警本部捜査二課長)は「沖縄県における暴力団の実態と取り締まり」(東京法令出版社刊)のなかでこう記述している。