琉球藩の時代 その1

ここ数日高校野球ネタばかり記事にしていて本ブログの趣旨である琉球・沖縄の歴史の記事がなかなかアップされていませんでした。夏の甲子園沖縄予選の決勝も終わったので、本題である歴史の話題に戻ります。今回から琉球藩から大日本帝国の沖縄県に至るまでの歴史(1872~1879)を簡単に記述しますが、これまでの歴史家が記述する否定的な内容とは一線を画する内容になります。

1879年(明治12)の廃藩置県は現代の沖縄史では琉球処分として記述されています。琉球処分の用語は琉球藩の時代における明治政府の正式な行政用語で、アメリカ軍の占領行政時代の1960年代あたりから一般的に広まってきます*。それまでは廃藩置県、あるいは廃藩と呼ばれていました。

*このあたりの事情は沖縄歴史散歩(大城立裕著)の第三部_日本同化のなかで…の琉球処分の章を参照にしました。

琉球処分という用語からはマイナスイメージが強く感じられるのですが、では1879年(明治12)に時の明治政府が強引に琉球藩を廃して沖縄県を設置したことは歴史的にどのように評価すべきでしょうか?

ブログ主は「よかったと言わざるを得ない。それ以外の評価はない」と即答します。理由は薩摩藩時代の琉球王府の時代、とくに1730年~1872年の間の政治・社会的停滞が惨すぎるからです。一番の理由は薩摩藩の搾取云々ではなく、琉球王府の為政者たちが尚真王の時代に完成した政治・社会秩序を墨守するあまり結果として琉球国の政治・社会を底辺の惨状に貶めてしまったからです。

では現代の歴史家が廃藩置県および大日本帝国の時代を過少評価するのは何故か?それには3つの理由があります(続く)。

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