公同会運動の顛末 琉球新報社が果たした役割 その4

前回は、公同会運動とは直接関係ない沖縄タイムスの沿革について記述しました。せっかくの機会なので、この場を借りて沖縄タイムスがなぜ偏向とまで呼ばれるような論調を記載し続けるか、ブログ主なりに整理しましたのでご参照ください。

沖縄タイムスは伝統的に既存の権威や権力、および社会的勢力に対して徹底的に距離を置くスタイルです。それ故に旧革新勢力(現オールおきなわ)や市民団体等よりの記事が目立ちますが、理由は

1.前回の記事で記述した通り、戦前の沖縄朝日新聞(1915~1940)の伝統を受け継いだこと。

2.初代社長である高嶺朝光(たかみね・ちょうこう)氏の影響力。

の2つです。とくに朝光氏のカリスマは絶大で、彼が今日の沖縄タイムスの論調を築き上げたことは間違いありません。では、高嶺朝光とはどのような人物か、ブログ主如きが論ずるのも恐れ多い偉大なお方ですが、できる限り簡潔にまとめて説明します。

朝光氏は、首里士族の中でも名門中の名門の生まれで、代々高嶺間切を拝領された家系です。父の朝教(ちょうきょう)氏は、廃藩置県後に第一回県費留学生として学習院、慶応義塾に学んだ新知識人で、琉球新報の創刊にも関わっています。その後朝教氏は、沖縄銀行頭取、第一回の県会議員、第一回の衆議院議員と順調に出世しますが、1915年(大正4)の首里門閥の内紛で衆議院議員を無理やり辞めさせられたことががきっかけで、尚順男爵と距離を置くようになります。

息子の朝光氏は、慶応義塾大学中退後に、1923年(大正12)に帰沖して沖縄朝日新聞社に就職します。なお当時の沖縄朝日新聞社は、経営的に厳しい状態で、いつ廃刊になってもおかしくない状態でした。ほかにも有利な就職口があるにも関わらず、あえて反門閥(ぶっちゃけて言えば尚順男爵この野郎)の沖縄朝日新聞に勤めたのは、父の不遇も多分に影響していると思われますが、反骨精神の旺盛な性格が一番の原因になったのではないでしょうか。

朝光氏は、沖縄朝日新聞の記者として活躍し、ジャーナリストとして成長します。1940年(昭和15)の一県一紙の国策によって、沖縄新報が創刊された際には総務局長を務め、戦争中も疎開せずに最後まで沖縄に残り新聞を発刊し続けます。

戦後は戦争協力者として、米軍機関紙の『ウルマ新報』の創刊に関わることができませんでしたが、1948年(昭和23)に旧沖縄朝日新聞のスタッフを集めて、沖縄タイムスを創立します。そしてアメリカ軍の占領行政時代は、反権力の姿勢が鮮明な論調を展開して、戦後世代の圧倒的な支持を得ます。沖縄の復帰運動におけるタイムス社の果たした役割は極めて大きく、その結果沖縄タイムス社は沖縄の歴史において最も成功した新聞社となります。

それ故に朝光氏の影響力は絶大で、その反骨精神は現在の沖縄タイムスの社説にも濃厚に受け継がれています。実施際にブログ主は60年代のタイムスの記事と70年代の記事、あと本土復帰当時の記事を読んだことありますが、現在の論調と殆ど変っていないことにびっくりした記憶があります。

高嶺朝光氏は、王族出身の名家中の名家出身で、父も明治時代におけるエリート中のエリートです。そんな家系で育った彼が反骨精神旺盛な新聞社を育て上げたことはまことに興味深いのですが、残念なことに現代の沖縄タイムスは、彼が心血注いで築き上げた社風が逆に大きな足かせになって社内の言論の自由を著しく狭めていることが否定できないのです。

たとえば、現在の辺野古や高江の(自称)市民活動家の実態は、現地に派遣されている記者が知らない訳ないのです。10月の「土人発言」にしても、あくまで現場レベルの発言であることは承知しているにも関わらず、タイムス社の伝統が大きな妨げになって反権力的な論調で記事を掲載してしまいます。

辺野古の問題にしても、元凶は1998年の名護市長選挙で受け入れ賛成の岸本建夫氏が当選したにも関わらず、その選挙結果を無視した大田昌秀県知事(当時)と、2009年9月に誕生した鳩山政権が、2010年5月に辺野古への受け入れを正式に合意した(なお沖縄県の意志はガン無視された)ことです。そんな歴史的事実はタイムスの記者なら百も承知ですが、そのことを強調できない。現在の安倍政権は、単に鳩山時代の合意を実行しているだけで、仮に国際合意を反故にした場合の危険性をジャーナリストなら知らない筈がありません。それでも記事は安倍ガー、自民党ガーになってしまいます。

つまり、現代の沖縄タイムス社内に異端を認めない硬直した運用になっているとしか考えられないのです。偉大なる朝光氏が築いた社風が絶対になってしまい、それに抵抗することができない状態で、これは立派な大企業病です。はっきり言って一番可哀そうなのは20代から30代の若手記者で、門外漢のブログ主から見ても、自由に記事が書けない辛さは察して余りあります。

だからブログ主はあまり沖縄タイムスの悪口は言いたくないのです。中国共産党の犬でもないし、北朝鮮の手先でもありません。歴史的経緯からそうなっただけで、もはや彼等自身では軌道修正できないほど硬直した会社なのです。沖縄タイムスは戦後の沖縄の歴史を象徴する新聞社ですが、将来は没落する運命で間違いありません。それ故に沖縄タイムス社に対してはボロクソに批判するのではなく、静かに消滅するのを見届けるのが一番ベターではないでしょうか。

 


【関連項目】

琉球新報ほか沖縄のマスコミ関連の資料 http://www.ayirom-uji-2016.com/ryukyu-shimpo-and-other-materials-related-to-mass-media-in-okinawa

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