
今回は、当運営ブログの趣旨に少し反するかもしれませんが、ブログ主個人の経験から、我が沖縄がなぜ日本に復帰したかについて言及します。
昭和の世代には経験あるかもしれませんが、戦前を生きたオジー・オバーたちに「沖縄はなぜ日本に復帰したの?」と聞くと「沖縄は日本だからさー」と回答されたことありませんか。そして「沖縄戦であんなに酷い目にあったにもかかわらず、なぜ沖縄は日本に復帰したのさ?」と聞くと、困った表情をしながら「沖縄は日本だからさー」と答えます。
これまでの歴史教育において、オジーオバーたちの認識は同化政策として取り扱われた感ありますが、ブログ主はそれだけではないことに気付かされたことがあります。個人的な話になりますが、25年前の平成12年(2000)、ブログ主は明治38年(1905)生まれの沖縄戦に従軍した関西出身の方(当時95歳)にお会いしたことあります。
そのお方が沖縄出身であるブログ主に対して、
(あの戦争で)沖縄を守ることができず、申し訳ない
と発した言葉が今でも忘れられません。そしてその時に沖縄のオジー・オバーたちの認識も理解できたような気がしました。それはつまり本土と沖縄の両者の間には、あの時代を共に生き抜いた仲間意識、すなわち “戦友” との感覚があったのです。
大雑把に説明すると、本土側には「共に戦った仲間との切り離された悲しみ」があり、沖縄側には「仲間の下に帰りたい」との想いがあり、オジーオバーたちの「沖縄は日本だからさ」の言葉には同化政策の一語で片づけられない “重み” があることに気が付かされたのです。そしてその仲間意識が我が沖縄における復帰運動の原動力になったのは疑いの余地がありません。
この点は極めて重要かと思われますが、残念なことに我が沖縄における平和教育の現場では被害者(沖縄)と加害者(本土)の認識が強いように思われます。でもこれはしょうがない部分があり、戦友などの仲間意識はあの時代を共に生きた者にしか分からない特別な感情だからです。
今回はブログ主の個人体験をもとに、なぜ沖縄は本土復帰したかについて言及しました。たしかに明治12年の廃藩置県はヤマトによる天皇共同体への強制参加の側面が強いですし、同化政策も歴史的な事実ですが、ただそれだけで一括りできるほど、我が沖縄が歩んできた歴史は単純なものではないことを理解していだければ幸いと思いつつ、今回の記事を終えます。