琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その9

廃藩置県後の沖縄県の産業経済活動は寄留商人(鹿児島系)などの県外人によって牛耳られてしまいます。廃藩置県後は県内移入の物資と県外移出の商品が激増したため、経理に長けた日本人たちでないと商品の流通を取扱うことができなかったのです。

時代の変化に那覇の女性商人たちは無力でした。彼女らは算数を知らないために巨額の金額を取り扱うことができませんでした。彼女らは従来の露天商売を行うのみで、前述した通り近代的な経営者に転身した人物は一人もいませんでした。

この時期について「明治政府は沖縄県を経済植民地にした」と記述する歴史家もいるようですが、それは真っ赤なウソです。廃藩置県後に那覇と本土を結ぶ交易が開かれて、物資の輸送が激増するなかで当時の沖縄県には商品の流通を取り扱うことができる人物や団体が全くなかったのです。そのため県外の経済人が台頭するのも当然な話で、明治政府が意図的に経済的植民地に仕立てあげたのではありません。

那覇の市場の仲介人たちが学問があって経理に長けていたならば、明治期に寄留商人の跳梁跋扈を許さなかったと思いますが、これはあくまでも仮定の話です。琉球王国時代に男性が商業活動を蔑視し、女性に学問を許さなかった結果そうなったのです。「明治政府は沖縄県を経済植民地にした」と主張する輩はもう少し琉球・沖縄の産業史を勉強して欲しいですね。

余談ですが、琉球・沖縄の歴史で女性で初めての近代的経営者は誰でしょうか?この問いに答えられる人は少ないと思います。せめて女性のみなさんは即答してほしいのですが、正解は金城キク女史(1909~1966)です。彼女の実家は建材屋で、県立第一高女卒業、東京実践女子専門学校へ進学するも在学中に両親を亡くしてしまったために1928年(昭和3)、専門学校を退学して家業を引き継ぐことになります。

彼女の凄いところは沖縄戦で一切の財産を失ったにも関わらず、1950年(昭和25)に家業の建材屋を再建し、しかも一代で金城キクグループ(金城キク商会、金城キク建設等)を築き上げたことです。彼女のメンタリティーは近代経営者そのもので、廃藩置県当時の那覇市場の商人(あるいは仲介者たち)とは全く違います。金城キク女史の経営者としての軌跡を振り返ると沖縄女性の秘めたるポテンシャルは高いことが分かります。

現代の琉球・沖縄史において金城キク女史の軌跡を教えないのは明らかに不当で、歴史家の怠慢と言わざるを得ません。彼女は女性経営者のパイオニアとして永遠に語り継がなければならない存在なのです(続く)。

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コメント

  1. 宜野湾 より:

    県内で有名な金城キク商会 その屋号って 創始者の名前だったんですね!
    勉強になります!!

  2. ayirom-net より:

    コメントいただきありがとうございます。
    現在の歴史教育において金城キク女史の功績を教えないのはあまりにも不当とブログ主は断言します。
    アメリカ軍の占領行政の時代(1945~1972)においては彼女を知らない沖縄の人はいないほどの有名人です。
    なぜ彼女が琉球・沖縄の歴史から重要視されないのか、主はまったく理解できません。

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