1913年(大正2)のユタ裁判 その5

今回は1913年(大正2)3月1日に行われた第二回の公判の全文をアップします。

証人城間ゴゼイの証言次第で運命が決まるユタ側では、かたずを呑んで待ち受けた。ゴゼイは、深く心に決するものがあるようで、判事の偽証罪についての注意にもキッパリ誓って訊問に応じた。

長野判事 仲地カマドとは親戚関係、及び平素心安き知己ですか?

城間証人 親戚関係もなく、初対面でした。

長野判事 仲地カマドが2月17日午後7時頃西町仲本屋敷の前で大声で神の祟りで西町の底氏より出火し西町全体及び辻遊郭も全焼すると叫んだのを聞いたことがありますか?

城間証人 聞きました。私は西町に親戚も貸家もあるので、それを聞いて大変驚き、早速西町の安慶田に駆けつけて告げました。

長野判事 神の祟りと大声で叫んだ女はこの人に相違ありませんか。(判事は被告席のユタを指す) 

城間証人 相違ありません。 

長野判事 当時被告が大声で出して叫んだことをもう一度言って下さい。 

城間証人 西町は底氏により出火して全焼する。 

長野判事 何処で言ったのですか?

城間証人 具志堅マウシの宅にて言いました。

長野判事 証人は具志堅マウシ宅前を通る時、聞いたのですか?

城間証人 ハイ、そうです。

長野判事 具志堅宅は往来(ここでは道路の意味)より見えますか?

城間証人 往来より僅か半間(1m弱)しか離れておりませんので、よく見えます。

長野判事 その時仲地カマドは立っていましたか?

城間証人 ハイ。声でこの人だと分かりました。

長野判事 その時具志堅宅は明け放していましたか?また証人の外にも人が立っていましたか?

城間証人 明け放っており、私の外にも沢山の人が集まっていました。

長野判事 具志堅の家には他にも人がいましたか?

城間証人 深くのぞきませんでしたから分かりません。

長野判事 仲地カマドは独り言を言っていたのではありませんか?

城間証人 他に言っていました。仲地の外、具志堅マウシは見ましたが、他の人がいたのかどうかは知りません。

長野判事 具志堅に向かって神事を話していたのですか?

城間証人 自分は直ぐ帰ったので分かりません。

長野判事 仲地のいた所と証人の立っていた場所とは何間離れていましたか?

城間証人 半間位の所で群集の後ろでした。

長野判事 仲地カマドが神事を言ったのは群集に向かい、言ったのですか?又は具志堅にのみ話していたのですか?

城間証人 家で話していたので誰に向かって言ったのか分かりません。

長野判事 どういう風にして話していましたか?

城間証人 後ろより見たので分かりません。

長野判事 それなら、どうして神を拝む風をしていたことを知ったのですか?

城間証人 具志堅宅には、神を祭っていると聞いたので、そう思いました。

長野判事 神を祭っているとは何日聞きましたか?

城間証人 東町の火災後聞きました。

長野判事 具志堅マウシは前からの知り合いですか?

城間証人 顔を見て知っているだけでした。

長野判事 神事を叫んでいたのは具志堅ではなかったのですか?

城間証人 いいえ、仲地カマドでした。

長野判事 仲地カマドは初対面の人なのにどうして知っているのですか?

城間証人 彼女の声で知りました。

長野判事 見知らぬ人の声を何故知っているのですか?

城間証人 他の見物人の評判で初めて仲地カマドの声だと知りました。

この時前島弁護士の注意で、長野判事は城間証人が被告仲地カマド及び具志堅マウシ、安慶田オミト等の神人として平素懇意に交際しているかを聞いた。城間証人はそんな事実はありません、と否認。この訊問中ユタ・仲地カマドは絶えず被告席より立ち、大声出してテーブルを叩き、証人に威喝を加え、判事より幾度となく注意された。

長野判事は仲地被告に向かい、きびしい声で聞いた。「先回当法廷で陳述した被告の申立は、今証人の言葉によれば全然ウソではないか。それとも城間証人がウソをついていると思うか?」

長野判事に突っ込まれた仲地被告は大いに狼狽して言うには「事実のようですが、チト言いまぎらした所がある」と述べ傍聴席を笑わせた。

長野判事 どこに言いまぎらした所があるか?

仲地被告 城間証人は通りがけに聞いたと述べたが、実は私が具志堅に話している際来合せて聞いたのです。城間証人はその時大いにあわてて具志堅宅に来、具志堅が、私から底氏より出火するとの話を聞いたが、どういう事か?と私に問い返したので、実はかくかくと話しただけです。

長野判事 すると神事を初め言ったのは具志堅マウシですか? 

仲地被告 そうです。 

長野判事 それならば今、城間ゴゼイの証言は全くウソと思うか?

仲地被告 ウソか事実か分かりません。

長野判事はさらに証人城間ゴゼイに問う。

長野判事 被告の話では具志堅マウシが神事を叫んだと言うがどうですか? 

城間証人 いいえ仲地カマドです。 

この時弁護士の注意で、長野判事が「証人は具志堅の宅にある観音を信仰しているのかどうか?」と問えば、証人は、信仰しておりませんと答えた。

長野判事は前島弁護士に向かい「証人城間ゴゼイの証言で、ほぼ事実の真相を得たと思うが、さらに具志堅マウシを証人に呼ぶ必要がありますか?」と聞いた。弁護士は折角許可された証人ですから、是非一度取調べを望みます、と答えた。中原検事は、証人は不要です、と発言したあと罫紙に書き綴った聴取書を出して述べた。

「長野判事が二人の証人を喚問したのは事実の真相の追求のためだと考えたので、本官は確実な証拠を得るため、警察に命じて仲地の神事を聞いた婦人連の聴取書を集めさせました。彼女たちは区内上流家庭の婦人等で、新嘉喜ゴゼイ、慶田ミト、安慶田マイヌ、伊波マツル、城間カマド、嘉数カマド、漢那オト、永田カメ、玉城マツ、城間ゴゼイの十人、皆その言う所大同小異で、被告の犯罪は明らかです。具志堅を呼び出す必要があれば、右の十人も召喚しなければなりません」

と反論したが、前島弁護士も頑として自論を屈せず、 「その十人を、召喚して貰えば、言うことありませんが、具志堅マウシを必ず取調べ……」との言葉半ばで、中原検事再び立ち上がり、論駁して曰く、

「問題は警察処罰令のささたる事ではないでしょうか。こんな証拠判然たることにさらに時日を延ばして争う必要がどこにあります」と畳かれられ、前島氏は起立のまま、しばらく言葉に詰まった末、「裁判官の決定を待ちます」と席に着いた。 長野判事は結局、具志堅マウシを証人に喚問する日を宣し、11時30分閉廷した。

第二回の公判で仲地カマドさんは城間ゴゼイの証言によって面目丸つぶれの状態になりました。この後の第三回の公判で、もう一人の主人公である具志堅マウシさんが証人に登場することで、カマドさんは絶体絶命のピンチに追い込まれます。(続く)

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【参照】 1906年(明治39)の那覇区の地図。ブログ主にて西町、東町、久米および裁判所にチェックを付けました。

明治39年の那覇

 

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コメント

  1. 佐藤みゆき より:

    昔は今と違いいろんな事が当たり前だったんですよね
    家の母も小さいときに 猫に憑かれて
    当たる”人が居ると言われ連れて行ていかれたと言っていました
    昔は当たり前だったように思えます
    ユタさんも イタコさんも 当たる”人も 昔は必要だったんですよ

    だから 嘘だと 言えないと私は思います

  2. 佐藤みゆき より:

    琉球(沖縄)好きです
    一回行って見たいと思っています
    昔の事をいろいろしりたいですね
    ありがとうございますm(__)m

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