上級県民の一例

以前、当ブログにて「上級県民の考察」と題した記事を配信しました。今回は昭和52年(1977年)に実際に起こった出来事を例にして、ブログ主なりに上級県民の生態について言及します。

その出来事とは毎年15日に行われる那覇市主催の成人式に自衛隊員を招待しない問題で、昭和52年1月12日に自衛隊側が那覇市に対して質問状を提出したことから大問題になりました。その時の記事は以下ご参照ください。

ことしも招待せず – 自衛隊員の成人式出席

那覇市が正式通知 – 会場の混乱理由に

十五日に各地で成人式が行われるが、那覇市では今年も市が主催する成人式典に自衛隊員を招待しないことを決め、十日午前、市教育委員会の宮里政秋委員長らが自衛隊を訪ね正式に通知した。那覇市では自衛隊が沖縄に配備されて以来、一貫して自衛隊を成人式に招待していない。「自衛隊員が出席すると会場が混乱する」というのが理由だが、自衛隊側では「隊員といっても、成人式は市民として個々人が迎えるものだから那覇市の通知はどうも…」と、那覇市の通知に納得していない。しかし、県労協などでは那覇市の不招待を支持している。沖縄市や具志頭村、知念村などでは招待状を出している。

県下に駐とんしている自衛隊員でことし成人式を迎えるのは二百五十一人。このうち那覇市内居住の自衛隊員は百三十四人(陸上五十六人、海上十六人、航空六十二人)いる。那覇市ではこれまでも自衛隊員を成人式典に招待しなかったが、ことしの式典出席について十日午前、宮里教育委員長、外間永律教育次長らが航空自衛隊那覇基地に横田博司令を訪ね、”不招待”を申し入れた。宮里委員長らはこの中で「自衛隊員を招待すると民主団体が反対したりして混乱する。トラブルが起こると成人を迎えた一般市民も自衛隊員も不愉快な思いをするので出席は遠慮してもらいたい」と伝えた。これに対し横田司令は、申し入れの趣旨を了解しなかったという。

自衛隊では那覇市の”不招待”について正式コメントを出していないが、陸上自衛隊那覇駐とん地の広報官は「現在、どう対処しようかと部隊内で相談している段階だ。成人になるのは隊員としてなるというよりそれ以前の市民としてなるのであって、個々人の問題。大旗君の時もそうだったが、今回の成人式の場合は部隊として直接的には動いていない。配備されて五年目になってまだずっとこういう扱いを受けるのはおかしい。他府県ではこういうことは聞いたこともない」と話している。

陸上自衛隊では十五日の那覇市主催の式典に隊員が出席できなかった場合、那覇商工会議所で行われる経済界主催の成人式に隊員が出席することになろう、といっている。

引用:昭和52年1月11日付琉球新報朝刊9面

なおこの問題は那覇地方法務局が”人権問題の疑い”で調査に乗り出す事態になり、それに対して那覇市は「招待するしないは市長が判断するもので、人権問題でもなんでもない」と真っ向から反論します。そして自衛隊側から出された質問状に対して同月13日那覇市長が記者会見を行いますが、予想の斜め上をいく内容でブログ主も唖然としました。血圧高い読者は心して下記引用をご参照ください。

自衛隊は招かざる客 – 平良那覇市長、成人式招待で会見

「当然の行政判断」、反戦平和の立場を強調

「市主催の成人式に、自衛隊員は招待しない」 – との態度を那覇市が打ち出したことに対し、各方面で議論が巻き起こっているが、この問題について平良那覇市長は十三日午前、記者会見し「差別されているのは県民、市民だ。反戦平和、自衛隊配備に反対する私の信念と、それによって市民の信託を受けた市長として当然の行政判断である」との立場を明らかにするコメントを発表した。これは、これまでの「自衛隊員が参加すれば混乱が予想される」という、運営上の配慮を理由とした姿勢から、さらに一歩踏み込んで「反自衛隊」の姿勢を前面に打ち出したものとして注目されている。またこの日、那覇市議会の野党・新政会が「差別は憲法違反である。自衛隊員を参加させるべきだ」と抗議したのに対しても「自衛隊は招かざる客で、考え直す余地はない」として、強い態度でつっぱねた。なお、「人権侵害」でこの問題を調査している法務局は十四日午後二時から市長と会うことにしている。平良市長の記者会見要旨は次の通り。

一、自衛隊員七十一人から文書が届き、南西航空混成団司令部人事部長の小川宏一等空佐から市教育次長に手渡された。匿名の質問状と受け取っており、今さらコメントする必要もないが、市長に問う形になっているので一応答えたい。招待しないということは、平和と市民自治の立場から市民の戦争体験に基づいた当然の行政措置であることを隊員や関係者に理解してもらいたい。若者を特別な理由で差別するものではない。

一、それは反戦平和、自衛隊配備に反対する信念と、市民の信託を受けた市長としての行政判断である。違憲判決にもあったように、自衛隊は国民の全体的合意もなく、那覇市民の政治的合意も得ていない。那覇市民は軍隊を必要とした政治の犠牲者であり、過去の歴史においてわれわれこそが、差別された市民である。

一、過去、アジア民族が標的となり、われわれ那覇市民も加害者として銃をとり、罪のない人たちを撃ってきた。また、日本帝国主義軍隊の標的として多くの犠牲者も出した。戦後三十年の米軍占領は当然のむくい、戦争責任としてあった。しかし、それは沖縄県民だけが受けたもので、本土の人たちが私たちに背負わせてきたものである。それで本土の人たちは高度成長を遂げてきた。戦後史は本土側とわれわれとは異質のものである。

一、(自衛隊の)若い人たちが「市民でありながら招待されない」と憤慨する気持ちはわかる。しかし、同じ国民でありながら「差別されてきた」と叫びたいのはわれわれである。市民の差別は多岐にわたり、根も深いことを指摘したい。この政治上の不公平、人道上の犠牲を強いていて、これを解決しないで、極部的な人権、不公平差別をいうことは許せない。責任は自衛隊とそれを配備した日本政府にある。

一、このように市民性をなぶられいて、どうして(成人式参加を)容認するのか。招かざる客でも招待するというのはおかしい。これを支持する市民の代表として招かないことにした。若い人(隊員)たちも、二十歳になった機会に、上官から教えられるのではなく、自らの目と心で戦後史を読み、市民の心情を理解してほしい。そして「どうして招かれなかったのか」ということを、私に質問するのではなく、自分でじっくり考えてもらうことが有意義である。今度の質問状は、背後の人たちが政治的、意図的にやったのだろう。

引用:昭和52年1月13日付琉球新報夕刊3面

選挙で選ばれた市長がこんなぶっちゃけた記者会見を行ったところに時代を感じますが、要するに平良那覇市長は

・我々こそ差別されてきたし、いまも差別されている。

・だから(本土の方は)我々(沖縄県民)を特別扱いすべきだし、思想信条も黙って受け入るべきである。

ことを主張しているのです。これが典型的な上級県民の言動であって、残念ながら現代にも脈々を受け継がれているのが実情です。

ただしブログ主は平良良松さんの心情も理解できます。それは彼個人の思想信条は「反自衛隊」であっても、沖縄社会(とくに那覇市)が自衛隊にどっぷり依存している現状を考えると那覇市から自衛隊を排除することが不可能なことを痛感せざるを得ない立場だったのです。つまり「嫌いなものに依存している」状態をいやというほど実感する日々を送っていたわけで、

だれだって招かざる客に頼って生活すると、思いっきり憂さ晴らししたくなるのは人情として否定できません。

ブログ主は一県民として平良良松さんに一種の憐みを感じることと、そして現在の「辺野古新基地反対運動」にも通ずるものがあるなと痛感する次第であります。(終わり)

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