声 – 差別意識にとらわれるな

ご存じの通り、今年は我が沖縄が本土に復帰して50年の節目になりますが、ブログ主が見る限り世間一般ではあまり関心がないように見受けられます。その象徴が今年公開された映画「ミラクルシティーコザ」や、NHK連続テレビ小説『ちむどんどん』の想定外の不振になりましょうか。

ちなみに我が沖縄では毎年5月15日になると、「本土復帰してよかったか」のアンケートが行われますが、毎回8割程度「よかった」と回答されます。誤解を恐れずにハッキリ言えば、我が沖縄県民は復帰前の沖縄社会なんて興味がなく、「日本国民」として現在の生活を満喫している訳です。

ではなぜ、沖縄県民の大多数は本土復帰(正確には日本への施政権返還)に満足しているのでしょうか。それは(時間こそかかりましたが)本土の人たちが琉球住民を「日本人」として受け入れ、琉球住民も沖縄県民として “本土並み” を受け入れたからに他なりません。

参考までに、昭和47年(1972)年に復帰したときは、政治制度や感情の上でも ”本土並み” を受け入れざる風潮があったのは事実です。卑近の例を挙げると「豚肉は手に取って触って買ってはいけない。本土の法令に従ってラップで包んで販売するように」との県の通達に消費者が猛反発した事例があります。そして本土並みに対する反発の最たるものが「自衛隊受け入れ」で、この問題は昭和の沖縄県政の難題となったのは言うまでもありません。

だがしかし、我が沖縄の先輩方がこれらの難題を粘り強く解決していったからこそ、「本土復帰してよかったが8割を占める」現代の社会が存在する訳であり、だからこそブログ主は先輩たちの歩みに対して素直にすごいと言わざるを得ないのです。

ちなみに沖縄における “本土並み” が受け入れられた最大の理由は、復帰前の琉球住民にその覚悟があったからです。その傍証となる新聞投稿全文を紹介しますので、読者の皆さん、是非ご参照ください。

差別意識にとらわれるな

待望の祖国復帰の日も近いというのに、沖縄では終戦後27年の歳月が流れ去った今日、久米島住民虐殺犯鹿山元兵曹長の言に端を発して、反目する言動がめだつようになり、そのうずは日増しに大きくなって、芝居にまで仕組まれて舞台に登場するようになったと伝えられているが、私はこのような反目は、県民の行動が一億本土同胞の共感と同情を呼び、県民念願の沖縄県民に対する差別観念が決して改められるとは思わない。

かえってそうした反目的言動は、戦前の事情を全く知らない戦後の若い人たちまで、沖縄県民に対する差別観念を植えつけ、差別観念の解消どころか、新しい差別理念を増長させはしないかと憂えるものである。

元来、差別とは、相対関係を有するものであり、こちらが相手を差別すれば、相手も自然にこちらを差別するようになるのが必然である。こうした観点からすればわれわれ沖縄県民が同じ日本国民として、本土同胞とこんぜん一体となって、融和の道を図らなければ、沖縄県民は違和物異質物として永久に他府県人から差別され、平等な国民生活と繁栄は期待できないだろう。

最近、本土要人の間で「沖縄県を甘やかすな」との声が出たりするのも、沖縄県民の国民意識の薄さと、反目的言動の高まりが、反発的に本土の人びとに影響を及ぼしている結果だと思われてならない。とにかく、このさい、沖縄県民は5月15日で、本土の人びとの仲間入りをするのだから、過去のことは過去のこととして、これから本土の人びとの理解と同情、それに協力なしには沖縄の繁栄と幸福は達成されないことを、肝に銘じて、本土を自ら差別することなく、かえって融和一体となるよう努力すべきではないか、と思うがどうだろう。

自衛隊配備問題にしても、本土並みであれば受け入れるべきであり、いまさら阻止運動を起こしたりして、いたずらに懇談を招く理由がどこにあるのか、読者諸君のご意見をうかがいたい。(石垣市登野城・商業・上江洲定政・50歳)

引用:昭和47年(1972)4月29日付琉球新報04面

この投稿を読み終えたブログ主は、当時の人たちの「覚悟」に静かな感動を覚えつつ、

沖縄に生まれて本当によかった

と実感した次第であります。