木を見て森を見ず – その3

7月18日に発売された「新潮45」に寄稿された杉田論文に関して、本日(27日)新たに気になる点が見付かったので紹介します。

琉球新報7月27日付の社説「LGBTへの差別 – 自民党は容認するのか」をチェックしたところ、同月25日の朝日新聞に掲載された社説とそっくりな内容のため、当ブログにて全文を掲載します。26日の沖縄タイムスの社説も朝日社説に近いものはありましたが、琉球新報の社説は「そっくりそのまま書き写し???」と疑わざるを得ない内容となっています。沖縄を代表するメディアがこんなことをしてもいいのでしょうかねと突っ込みながら全文を書き写しました。

現時点で考えられることは、琉球新報の執筆者は「新潮45」に記載された杉田論文を読んでいないのではということです。そのあたりの事情を存じませんが、2日前に発表された他社の社説をそっくりそのまま書き写しじゃね?と疑われるような社説を掲載するようではいかがなものかと思いつつ記事を纏めた次第であります(終わり)。


平成30年(2018年)7月27日琉球新報社説 LGBTへの差別 – 自民党は容認するのか

性的少数者(LGBT)のカップルに関し「生産性がない」と断じる、差別と偏見に満ちた見解が自民党国会議員から出た。看破できない。自民党の二階俊博幹事長が「人それぞれ政治的立場、いろんな人生観がある」と、全く問題にしていないことにも驚く。これが公党の見解なのだろうか。

自民党の杉田水脈衆院議員(比例中央ブロック)が月刊誌「新潮45」への「『LGBT』への支援の度が過ぎる」と題した寄稿で、同性カップルに関して持論を展開した。

「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」とし、行政が支援策を取ることを批判した。

「生産性」という経済的なものさしだけで人を切って捨てる。ナチス・ドイツが優生思想に基づき障がい者や働けない人を「価値なき」者として殺害したT4作戦を思い起こさせる。

杉田氏は、日本はLGBTの人たちへの迫害の歴史や差別はなかったという。本当にそうか。

各種の調査で、LGBTの人たちが学校でのいじめや職場での差別を訴えている。だからこそ多くの人がLGBTであることを公にできず、生きづらさに苦しむ声を上げられなかった。

杉田氏は、さまざまな性的指向を認めれば「ペット婚や、機械と結婚させろという声も出てくるかもしれません」と主張する。まともな感覚とは思えない。

国連はLGBTへの差別や暴力の解消を求めている。日本社会でも積極的な取り組みが始まっているのに、政権与党の国会議員が逆に差別を助長する見解を示した。国際的にも批判されるだろう。

しかし、自民党では認識が違うようだ。二階幹事長は杉田氏の寄稿について「党は右から左まで各方面の人が集まって成り立っている。人それぞれ、政治的立場はもとより人生観もいろいろある」と、静観する姿勢を示した。自民党はLGBTへの差別を事実上、容認しているように映る。

自民党内には伝統的家族観が根強く、二階氏自身、6月に「子どもを産まない方が幸せはないかと勝手なことを考える人があり」と述べ、世論の反発を招いた。

杉田氏も自身のツイッターに「先輩議員から『間違ったことを言っていないから胸を張っていれば良い』と声を掛けられた」「自民党の懐の深さを感じます」と書き込み、党内の意見を紹介している。

自民党は2016年に「性的指向、性自認の多様な在り方を受け止め合う社会を目ざす」との基本方針を公表したが、形骸化していると言わざるを得ない。

少数者の人権を尊重し、異なる価値観の人々を受け入れる多様性のある社会を目指すのが国会の役割だ。一議員の問題では済まされない。


前回記事ですでに掲載済みですが、読者の便宜を図るため、再掲載します。

平成30年(2018年)7月25日 朝日新聞社説 LGBT – 自民党の認識が問われる

性的少数者をあからさまに差別し、多様な性のあり方を認めていこうという社会の流れに逆行する。見過ごせない見解だ。

自民党の杉田水脈衆院議員(比例中央ブロック)が「『LGBT』支援の度が過ぎる」と題した月刊誌「新潮45」への寄稿で、同姓カップルを念頭にこんな持論を展開した。

「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。そこに税金を投入することが果していいのかどうか」

異性のカップルであっても、子どもを産むか産まないかは、個人の選択である。それを「生産性」という観点で評価する感覚にぞっとする。歴史的に少数者を排除してきた優生思想の差別的考えとどこが違うのか。

杉田氏は、日本は寛容な社会で、LGBTへの差別はそれほどでもないという見方も示した。事実誤認もはなはだしい。学校や職場、地域での偏見や差別は各種の報告でも明らかだ。

さまざまな性的指向を認めれば、「兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころかペット婚や、機械と結婚させろという声も出てくるかもしれません」という主張に至っては、噴飯物というしかない。

同じ自民党内の若手議員から「劣情をあおるのは政治ではなくて単なるヘイト」といった批判があがったのも当然だ。

ただ、こうした認識は党内で共有さえていないようだ。

驚いたのは、きのうの二階俊博幹事長の記者会見である。

「人それぞれ政治的立場、いろんな人生観がある」「右から左まで各方面の人が集まって自民党は成り立っている」

杉田氏の見解を全く問題視しない考えを示したのだ。

自民党はもともと伝統的な家族観を重んじる議員が多い。しかし、国内外の潮流に押される形で、昨秋の衆院選の公約に「性的指向・性自認に関する広く正しい理解の増進を目的とした議員立法の制定を目指す」と明記、「多様性を受け入れていく社会の実現を図る」と掲げた。杉田氏の主張は、この党の方針に明らかに反する。

杉田氏はSNSで自身への批判が広がった後、ツイッターで「大臣クラス」の先輩議員らから「間違ったことは言ってないんだから、胸張ってればいいよ」などと声をかけられたとつぶやいた。こちらが自民党の地金ではないかと疑う。

少数者も受け入れ、多様な社会を実現する気が本当にあるのか。問われているのは、一所属議員だけではく、自民党全体の認識である。