突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – その3

今回の突っ込まざるを得ない記事シリーズは、昭和37年から38年にかけて沖縄社会で大問題になった”少年非行”に関する記事を取り上げます。琉球新報の社会欄を参照すると、連日のように少年少女の非行に関するニュースが報じられ、昭和38年には計7回の特集記事まで掲載されていました。ブログ主が一番驚いたのがとにかく”少年院の脱走”の記事が多いこと、そして意外だったのがシンナーなど薬物乱用のニュースが殆んど見当たらないことです。その中でもひときわ目立つのが”桃色遊戯”に関する記事が散見されていることで、今回は7件程当ブログにて紹介します。読者の皆さん、是非ご参照ください。

・1962年1月27日付琉球新報(夕刊)から抜粋した記事です。「コザ市胡屋のA少年の間借り先で勉強するといって男六人、女三人が桃色遊戯をしていたもの。部屋の中には寝台やフトン、寝巻きなどもあり、また酒ビンなどもちらばっていた。」と記述がありますが、いったい何の勉強をしていたのか気になってしょうがないところです。

・次は1962年4月24日付琉球新報(夕刊)からの抜粋です。前述のコザの不良と違って部屋の間借りができないから、橋の下で桃色遊戯などの不良行為をしてたのでしょうか。

・1962年8月23日付琉球新報からの抜粋です。言わばアメリカ世時代の”毛遊び”でしょうか。

・1962年8月25日付琉球新報からの抜粋です。白昼、学校で桃色遊戯(しかも男一人に女三名)に耽るとは実にうらやまけしからんと突っ込みを入れたい気分になります。

・次は1963年2月20日からの琉球新報特集記事『黒い芽 – 暴力追放決起運動』からの抜粋です。桃色遊戯に関連する項目のみを抜粋しました、是非ご参照ください。

黒い芽暴力追放総決起運動(1)暴力地図

(中略)最近は、あき巣に入って酒でパーティするなど大胆を極めている。”桃色グループ”もさいきんとくに多くなった。中高校生、中学卒業の非行少年らがこれも”少女夜の蝶”で自認しているズベ公グループとくっついて、酒を飲んだり、ダンスをしたり、桃色遊戯にふける。一四、五歳から一七歳前後の少女たち。「スケ(情婦)」ヒモ(情夫)」といういん語を使って得意がるというしまつだ。(下略)

引用:1963年2月20日付琉球新報

黒い芽暴力追放総決起運動(2)たまり場

(中略)一目で町のチンピラとわかるマンボズボン、赤シャツ、学生服の非行少年たち七、八人。いくら警察が取り締まっても、パトロールのスキをぬってぞろぞろとグループが寄り集まってきて、かくのごとき乱痴気さわぎを演じる。常識を通りこした少年少女の無軌道さだけがそこにはあった。

経営主側も手放しで、喫茶店をそのまま非行グループの”楽園”にさせている状態。数回「青少年に飲酒、喫煙の場を供したり、酒類を販売……」との風俗営業法違反で取締まりにひっかかったこともあるが、このごろではたくみに法の目をくぐっているという。こうした非行少年の”楽園”が那覇市内だけでも五、六か所、警察のリストにのぼっている。なかには、喫茶店の奥部屋を明け渡し、桃色遊戯の場に提供、何がしかの”お礼”を受けとっているのもいるといわれる(下略)

引用:1963年2月21日付琉球新報

黒い芽暴力追放総決起運動(5)桃色遊戯

那覇市寄宮の沖縄大学裏通りから国場方面へ抜ける農道のそばに俗称”七つ墓”と呼ばれる墓地があり、ススキやカヤ、草の低い雑木などにおおわれている。ここで昨年夏、O少年ら”黒い芽”の不良グループが、桃色遊戯にふけって検挙された。福利墓地で、どの墓もここ数年、放ったらかされたままで、持ち主もお参りにこないようす。(下略)

引用:1963年2月25日付琉球新報

2月25日付の特集はおそらく前年8月23日の記事との関連性があると思われます。該当記事を貼り付けしますのでご参照ください。

アメリカ世時代のヤナワラバーたちのレベルの高さには驚きを覚えつつ、今回の記事を終えます。

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