ユタとりうきう その3

(続き)今月19日から第49回衆議院選挙が公示され、我が沖縄でも連日激しい選挙戦が繰り広げられています……といいたいところですが、今回はコロナ禍のため、前回や前々回、あるいは知事選に比べると街頭活動は抑え気味の感があります。

国政や知事選などの大型選挙に限らず、選挙になると各候補者は必ずと言っていいほどゲンを担ぎます。そして昭和の時代には選挙になると候補者の親族や支持者がこっそり “ユタ詣” するお話をちらほら聞いたことがあります。

ちなみに戦前は選挙におけるユタ詣での話は寡聞にして存じません。理由は候補者たちはユタ詣での前に地域の有力者を買収するか、大正シルークルーの時代なら殴り込みに行くパターンが一般的だったからです。ユタの権威にすがる前に金や暴力で対処するあたり初期の普通選挙の闇が伺えるのですが、それが戦後になって再びユタ詣でが行われるようになります。

選挙だけではありません。友寄隆静著『なぜユタを信じるか〈その実証的研究〉』によると、校長先生がユタに転職したケースや、宜野湾市大謝名に住んでいたユタの予約ノートを見ると、夏休みの予定は殆ど教師で占められるなど、戦前の社会ではちょっと考えられない事象が散見されます。

つまり大日本帝国の時代よりもアメリカ世から現代社会のほうがユタが生息しやすい、つまりユタの権威が増しているわけですが、その理由はやはり学校教育において「権威とは何か」を教えなくなった点が一番かと思われます。

現代社会は憲法19条に記されているとおり、権力者は個人の内面には一切干渉できません。それは逆に言うと「何が正しいか否かは自分で決めなさい」であり、よくよく考えてみると我がりうきう・おきなわの歴史において個人で善悪を判断する社会はアメリカ世から現代にいたるまでのたった76年しかありません。

しかも大東亜戦争の敗北で天皇の権威が崩壊した直後に、権威の再構築を試みることなく、善悪の判断を個人にゆだねる

という極めて荒っぽい所業が、結果として沖縄社会に深刻なアノミー(権威崩壊後に発生する社会秩序の無原則状態)を発生させてしまい、それを埋め会わせるためにユタの権威が復活してしまったわけです。

戦後の民主教育でも道徳教育は行われていますが、それは教師の資質に大きく依存してしまう大欠点があります。つまり生徒が教師を信頼しなければいくら道徳教育を施しても無駄なのです。ちなみに戦前の場合は “教育勅語” という全国どこでも通用する最強ツールがあり、例えば「なぜ親孝行するのか」「兄弟仲良くするのか」あるいは「国法を守らないといけないのか」などの質問は、教師の

教育勅語に書いてあるだろ

の一言で生徒たちは納得できたのです。

上記の事例からもわかるように、沖縄におけるユタ征伐は伊波普猷先生の慧眼どおり、科学教育と宗教教育の両方が必要であり、現代社会は宗教教育の欠落によってユタ社会が復興したわけであります。その点を踏まえて令和の今日におけるブログ主なりのユタ対策としては

一 前回の記事でも言及したとおり、他の権威に服すること。既存の大宗教に入信すると間違いなくユタ依存は完治します。

一 既存宗教に嫌悪感がある場合は、共産党に入党する方法もあります。日本共産党は党中央が権威・権力・財力を一手に握っているため、トップが党員に対して「何が正しいか」を明示してくれます。だからユタの入り込むスキマはありません。

上記2つの方法はガチの特効薬ですが、既存宗教も共産党も嫌いな場合は、遠回りな方法にはなりますが、常日頃から

「~である」と「~であると言っている」

との区別をつけるよう心掛けることです。つまり事実と伝聞との違いをはっきりと認識し、ユタの言も「一つの意見」として割り切るようになればユタ依存は克服できます。そして善悪の判断を個人で行なうという現代社会のお約束のなかではこの方法が一番いいのではとブログ主は確信して今回のシリーズを終えます。

 

 

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