沖縄における差別言動についての考察 – その2

県民の間では周知の事実ですが、我が沖縄においては高齢者になればなるほど差別的言動が激しくなります。この案件はしょうがない部分があって、戦前のムラ社会の名残りとも言えますが、その主因はやはり琉球・沖縄の歴史において “社会慣習として平等観念が一度も生まれてこなかった” ことにあります。

琉球・沖縄の歴史をチェックして印象的なのは、「~の前の平等」という発想が一つも見当たらないことです。社会秩序を維持するために階級社会が形成されてきたのは世界共通ですが、そのなかで平等の観念が誕生した地域もあります。代表的なのは “神の前の平等” とか “法の前の平等” あたりでしょうか。

興味深いのが日本で、明治維新後に無理やり感溢れるやり方ですが、“臣民の観念” つまり “日本人は天皇陛下の前では平等である” という方針で国家を運営し、それがうまくいったのです。我が沖縄も明治12(1879)年の廃藩置県後に、大日本帝国の一員となり、大正9(1920)年の法改正で名実ともに大日本帝国の臣民になります。

つまり我が沖縄では、社会の中から平等の観念が生まれることなく、外部から “政治制度” として導入されます。しかも沖縄県人の同意を得ずに政治改革として断行されたのです。大日本帝国が沖縄県人を “臣民” として取り扱ったことは、当時の日本人たちが沖縄を植民地視していなかった証拠ではありますが、前回も言及したとおり制度の変更と沖縄県人の意識の変化は別問題です。沖縄の場合、民間に平等の観念が皆無なため、外部から導入された “~の前の平等” の観念が社会に根付くのに長い時間を要することになってしまいます。

沖縄において平等観念の浸透に時間がかかったもう一つの理由が、歴史的に “平等に扱われた期間が極めて短い” ことがあります。ブログ主が知る限りで、沖縄県人が為政者によって平等に扱われた時期は大正9(1920)から昭和20(1945)年の25年間と、昭和47(1972)年から現在にいたる48年の、計73年しかありません。つまり歴史のなかで為政者たちから不平等に扱われた時期が長すぎるため、沖縄県民は “平等という考えを全面的に信用できない” 傾向があるのです。

大雑把にまとめると、我が沖縄において差別言動がなくならない理由は歴史的にみると、

・住民合意を得ない形で、平等の観念が政治制度として導入されたこと。

・歴史的に為政者たちによって不平等に扱われた時期が長いこと。

・その結果、平等の観念を全面的に信用できない傾向が生じてしまったこと。

になりましょうか。特に平等の観念に信用が置けない件は高齢者になればなるほど強くなります。このあたりの歴史的経緯を十分理解した上で差別言動に対する撤廃活動を推進すれば、それなりの効果を得られると思いますが、果たして現在の反ヘイトスピーチカウンター運動はそこまで考慮しているのかきわめて疑問です。つまり、

オバーは頭悪いから何言っているかわからんさ~

で敬して遠ざけられるオチになるのが目に見えているのです。

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