血縁が担うカリスマ

今回は沖縄社会における血縁カリスマについて言及します。タイトルの「血縁が担うカリスマ」という語句は聞きなれないかもしれませんが、大まかに説明すると血縁を通じてカリスマが継承される思考になります。もちろん血縁とカリスマは独立した概念であって、血のつながりによってカリスマが保持されるという考え方は一見すると奇妙に思えるかもしれません。だがしかし、昭和の日本社会にはこの発想が散見されたのです。

そのまえに血縁とカリスマについて簡単に説明すると、血縁は文字通り「血のつながり」を意味します。ではなぜ血縁が社会学的に重要視されるのか、それは共同体を形成するからです(血縁共同体)。代表的なのが中国大陸(および台湾)における宗族で、我が沖縄社会においては門中(もんちゅう)がそれに該当します。

次にカリスマですが、「天与の才能」あるいは「非日常的な特殊能力」と解することができます。つまり一般人ではどんなに努力しても身につけることができない能力のことで、そしてカリスマの保持者はその特殊能力により社会に大きな影響を与えることが可能です。具体的にはカリスマ保持者は権威を生み出し、それによって非保持者の意識を変えることができるのです。これがカリスマの凄さになります。

では血縁が担うカリスマ(以下略して血縁カリスマ)とは、上記で説明した通り、血のつながりを通して子孫代々にカリスマが継承される発想ですが、面白いのは血縁カリスマにおいては血縁(系図・族譜)の正確さよりも祖先にカリスマ保持者が居るかどうかが重要になることです。具体的にはご先祖様をたどると必ず歴史上の有名人にたどり着く、あるいは皇室の家系に連なるなど、つまりカリスマを保持していたであろう人物にたどり着くことが大事であって、血縁の正確さはあまり考慮されない傾向があります。ためしに血縁カリスマの一例として下記の引用をご参照ください。

著者紹介

1964年沖縄県那覇市生まれ。父方は琉球戦国時代の忠臣「護佐丸」の末裔。母方は琉球王国時代の役人「親雲上(ペークミー・ペーチン)」の末裔。父親の転勤で小2で福岡へ。小5から高校卒業までを佐賀で過ごす。(以下略)

これは『基地反対運動は嫌いでも、沖縄のことは嫌いにならないでください』の著者・知念章さんの巻末に記載されている著者紹介の一文ですが、ブログ主が注目したのはわざわざ父方と母方のご先祖様を明記していることです。実はこの記述方法は沖縄生まれの沖縄育ちの人であればあまり使いません。彼は小学校の早い段階で九州に移住していますので、その結果日本式の血縁カリスマの発想で著者紹介を記述したのではと推測します。

沖縄社会には血縁カリスマはありません。少なくとも昭和の時代までは間違いなくなかった、これは断言できます。だからこそブログ主は上記の著者紹介にすごい違和感を覚えたのです。そしてその傍証のため知念さんの著者紹介を引用したのです。

沖縄社会に血縁カリスマがなかった例

沖縄社会に血縁カリスマが無かった一例として、高嶺朝光著『新聞五十年』を挙げます。著者の高嶺朝光さんは高嶺間切を領有する高嶺御殿(たかみね・うどぅん)の末裔で12代当主でもあります。王族で名家中の名家であり、実際に彼は父である11代当主の朝教さんに連れられて東京在住の尚泰候にも会っています。

そんな朝光さん、著作中ではご自身が12代当主であることには触れず、祖父や父の人間エピソードをさらっと紹介するに留めています。なぜ名家であることを前面に出さないのか?他府県出身者であれば知念さんのような著者紹介のスタイルになること間違いありませんが、高嶺さんはご自身の体験でそれは無意味であることを知っていたからです。その理由はただひとつ、沖縄社会には血縁はあっても血縁カリスマがないからです。

血縁はあっても血縁カリスマのない沖縄社会

ではなぜ沖縄社会に血縁カリスマ的な発想がないのか?理由としては、士族においては系図作成を正確に行う必要があったこと、農村部においては地縁共同体の傾向が極めて強かったこと、そしてなによりも王家にカリスマ性がなかったことなどが考えられますが、現時点でこれといった名答はできません。今回は沖縄社会には血縁カリスマがなかったという指摘だけに留めておきます。そしてこの点が意外にも日本と沖縄の大きな違いであることに気が付いていない人が大勢いる、この点も併せて指摘して今回の記事を終えます。

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