本日(12月24日)はご存じのとおりクリスマス・イブですが、当運営ブログでは数年前から “風俗関連” の記事をアップしています。ただし、今年はちょっと趣向を変えて、「公式のやらかし」のテーマで記事を作成しました。
実はこのネタを思いついたのは、今年8月に中央パークアベニューを散策した際に見つけた1枚の写真がキッカケです。そしてクリスマス前には複数の史料を仕入れることができましたが、今回は厳選した3つのネタを紹介します。ブログ主から読者へのささやかなクリスマスプレゼントを是非お愉しみください。
本日(12月24日)はご存じのとおりクリスマス・イブですが、当運営ブログでは数年前から “風俗関連” の記事をアップしています。ただし、今年はちょっと趣向を変えて、「公式のやらかし」のテーマで記事を作成しました。
実はこのネタを思いついたのは、今年8月に中央パークアベニューを散策した際に見つけた1枚の写真がキッカケです。そしてクリスマス前には複数の史料を仕入れることができましたが、今回は厳選した3つのネタを紹介します。ブログ主から読者へのささやかなクリスマスプレゼントを是非お愉しみください。
12月某日、ブログ主は沖縄県立図書館へ年末年始のブログネタ蒐集に訪れましたが、併せて “歴史的建造物” もチェックしてきました。去年も同じ企画で記事をアップしましたが、今年は那覇市若狭の「波の上クリスタルホテル」への潜入レポートをアップします。
前回の記事で、「あいろむチェック」と題して復帰後の米軍人・軍属による犯罪発生件数について考察しましたが、その際に蒐集したデータを基に、今回はかつて公開した「我が沖縄社会の犯罪統計を調べてみた結果」のセルフ検証記事をアップします。
ちなみに、令和02年(2020)1月20日にアップした同記事は “現代の史料” を基にアメリカ世時代の犯罪発生率を算出しましたが、今回は琉球警察が編集した犯罪統計を利用して改めて犯罪発生率を算出しました。なお、参照した史料は以下の通りです。
ここ数日、ブログ主は昭和47年(1972)の新聞記事をチェックしていますが、印象的なのが(現代に比べると)米軍人たちのやらかしがとにかく酷い件です。この年の(県内の)犯罪発生率は大雑把に言うと現代の3倍ぐらいですが、それにしても同年だけで加害者米兵、被害者沖縄県民の殺人事件が4件も発生してますので、当時の人達が「米軍は諸悪の根源」と叫びたくなる気持ちは理解できます。
ここ数日、ブログ主は昭和47年(1972)12月の新聞記事をチェックしています。復帰前後のりうきう・おきなわ社会の様子を推察するには、やはり公開情報、とくに “社会の本音” が伺える事件を重点的に調べていますが、その過程で我が沖縄における「基地問題」の変遷について思いつきましたので、今回試しに記事にまとめてみました。読者のみなさん、是非ご参照ください。
今月24日付沖縄タイムス1面によると、「台湾有事」を念頭にした軍備増強に反対する初めての大規模集会「全国連帯!沖縄から発信しよう!11.23県民平和大集会」(主催・沖縄を再び戦場にさせない県民の会)が(同月)23日、那覇市の奥武山公園陸上競技場で開かれ、約1万人(主催者発表)が参加したとのことです。
本日は勤労感謝の日なので、本来ならゆっくり過ごしたいところですが、残念ながらブログ主は忙しい一日となりました。その代わりと言ってはなんですが、前日に歴史的建造物への “潜入” を兼ねつつ、リフレッシュタイムを満喫してきました。
本日付(11月21日)沖縄タイムス5面オピニオン(以下読者投稿欄)をチェックした際、すごく気になる投稿を目にしました。それは、「国の冷酷さ 軽便鉄道で知る」と題した那覇市在住の購読者からの投稿で、内容は同月6日付沖縄タイムス1面「大弦小弦」に対する反響投稿です。
3年前の令和02年(2020)、「平和教育の致命的な欠点」と題した記事を掲載したところ、予想の斜め上を行く反応がありました。3年後の今日に改めて該当記事を読み直しつつ、今回は別の視点から沖縄の平和教育の “原点” について考察します。
本日(11月6日)付沖縄タイムス1面の名物コラム〈大弦小弦〉をチェックした際、「渋滞は紛れもなく基地被害の一つ」との気になるフレーズを目にしました。実際ににそう感じている購読者も多いと思われますので、試しにブログ主がファクトチェックを試みてみました。
参考までに、沖縄の渋滞のピークは復帰後の昭和52年(1977)ごろで、特にひどかったのが国際通りを通過するバス運行であり、渋滞のあまりの惨状に当時の新聞記事をずいぶんとにぎわしていましたが、それはさておき大弦小弦の一部を書き写しましたので、読者のみなさん、是非ご参照ください。
今月3日から首里城公園を中心に「第58回琉球王朝祭り首里」が3日間の日程で開催される旨の記事が、地元新聞1面に掲載されていました。6年ぶりの通常開催の模様ですが、この手のイベント告知をチェックしてつくづく思うのは、「ついうっかり歴史を美化してしまう」人間心理の根強さです。
先月26日に開会された沖縄県議会の9月定例会は、初日から最終本会議の23日まで歴史に残る荒れ模様の展開になってしまいました。結果的にかつてないレベルで玉城県政の “無能ぶり” が日本中に知れ渡ったわけですが、個別事案はさておき、今回は(県政のやらかしに対する)知事を支える支持者たちの反応が極めて興味深かったので、ついうっかり調子に乗って考察してしまいました。
普天間基地の名護市辺野古移設に関わる、大浦湾側の地盤改良工事の設計変更申請を「承認」するよう国が県に求めた「指示」に絡んで、前回の記事の中で(結果として)玉城知事が二度も “民主主義の失敗” に関わった政治家である件に言及しました。今回は「現時点(5日)では承認とも不承認とも確定できないとして、判断できないと回答した」との、いわゆる「判断困難」について考察します。
令和5年10月5日付沖縄タイムス1面によると、「玉城デニー知事は4日、名護市辺野古で国が進める新基地建設の軟弱地盤改良工事を巡り、設計の変更申請を承認するよう求めた斉藤鉄夫国土交通相の指示に従わず、同日までの期限内には承認しないと発表した。「期限までに承認を行うことは困難」と文書で回答した。」とあり、それを受けて国交相が5日にも代執行訴訟を提起した経緯については、これまで沖縄二紙をはじめ、様々なメディアで報じられてきました。
既にご存じの読者もいらっしゃるかと思われますが、普天間基地の辺野古移設に伴う工事を巡り、軟弱地盤改良工事の設計変更申請を「承認」するよう国交省大臣が県に求めた「勧告」について、玉城デニー知事が期限内の〔9月〕27日までに「判断困難」を理由に承認の是非については判断せず、引き続き検討する考えを示しました。