りうきう病の考察

平成28(2016)年5月から運営を開始した当ブログですが、気がついたらあっという間に4年が経過し、まもなく5年目に突入します。琉球・沖縄という地域史のジャンルの中で予想の斜め上をいく新たな発見の連続があり、そして当初の目標である1000記事発信が現実味を帯びてきました。

続きを読む

沖縄県民の凄さ

先月16日に政府が全国に新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言を行い、それに伴い我が沖縄でも同月20日「沖縄県緊急事態宣言」を発出して県全体で新型コロナウィルスの感染拡大防止に全力で取り組んできました。

続きを読む

沖縄県民が忘れてはいけない人々 – 医生教習所の話

4月30日時点でグーグルニュースが公開している我が沖縄の新型コロナウィルス感染者は141名、そのうち死亡が4名となっております。この数字が多いか少ないかブログ主は専門家ではないため判断できませんが、歴史的に見ると未知の病の蔓延にしてはきわめて少ない印象があります。

続きを読む

続・沖縄の証言 変転10年を刻む – 暴力団抗争(4)

手向かうなら撃て本部長も強い姿勢

第四次抗争は、第三次抗争までと異なり、白昼堂々と発砲を繰り返したことやつぎつぎにアジトを襲撃するなど一般社会への影響に見境なく銃器を使用した事件が続発した。なかでも初めて警備にあたっていた警察官に短銃を向けて発砲、負傷させたことによって、斉藤県警本部長は、警察への挑戦として「手向かうなら撃て!」と異例の強い姿勢での決断を下し指示した。このように強い姿勢で暴力団抗争に臨んだ例はかつてなかったことであり、この指示は当時の情勢からして「当然だ」とする県民の支持する声もあった。直接の担当だった三島はこう語る。

続きを読む

続・沖縄の証言 変転10年を刻む – 暴力団抗争(3)

葬儀参列で30人が来沖、県警追い返す

しかし、執念深く挽回を図る上原組は山口組大平組と手を組み、山口組系大平組内上原組を旗揚げした。この動きに呼応するように、東亜友愛事業組合沖縄支部の幹部(仲本政弘)が山口組系大平組内古川組組長の舎弟となり、同会を脱退して琉真会を結成、那覇市内に看板を掲げた。第四次抗争の後期は、沖縄に山口組の進出がなるかという新しい要素が加わり、旭琉会対上原組・琉真会という図式での抗争となった。後期の主要事件は

続きを読む

これを堕落と言わずして……

今月18日、県庁前の広場で1万枚のマスクを無料配布して現地を混乱に陥れた会社社長さん(68)についてですが、この案件について公開情報を調べたところ、実に面白いことが分かりました。

続きを読む

大正六年の沖縄の野球 – 試合報道(1)

今回から数回に渡って、大正6(1917)年9月9~10日に行われた琉球新報社主催「第二回県下野球大会」の試合報道を紹介します。

スポーツイベントに熱狂するのは古今東西を問わず我が沖縄も例外ではありませんが、それにしても当時の新聞報道を参照すると、

続きを読む

続・沖縄の証言 変転10年を刻む – 暴力団抗争(1)

本土暴力団の進出警戒して結束強化

「沖縄の暴力団の歴史は、鮮血に彩られた対立抗争の歴史である。縄張りと権利の維持と拡張にとりつかれた欲張り徒輩が分裂しては戦い、つぶし合い、そして統一し、再び争って分裂することを繰り返してきた歴史である」竹花豊(前沖縄県警本部捜査二課長)は「沖縄県における暴力団の実態と取り締まり」(東京法令出版社刊)のなかでこう記述している。

続きを読む

【緊急まとめ】やらかしちょうすけさんの迷言で打線を組んだ【拡散不要】

今月18日に沖縄県庁前でマスク配布のデモンストレーションを行い、大騒動を巻き起こした琉球独立芸人さんの迷言で打線を組んでみました。

新型コロナウィルス関連では大部分の沖縄県民は冷静に対処している感がありますが、やはり100万も県民がいればひとりやふたりおバカが誕生します。その中でも彼はぶっちぎりの優勝候補で間違いありません。直近のツイッターなどのSNS上での彼の言動を纏めてみました。読者のみなさん、ぜひ笑ってやってください。

続きを読む

論説 – 野球優勝試合

大正6(1917)年9月10日付琉球新報2面上段に”野球優勝試合”と題した論説が掲載されていました。無署名記事ですが、内容を吟味するに太田朝敷先生の論説の可能性が高いです。

論説の流れは大雑把に見ると、大きい視点(沖縄県における急務の問題についての言及)→対応策の提示→対応策を講じることによって生ずる弊害についての言及になっていて、これは太田先生がよく使う手法です。それ故ブログ主は太田先生の論説で間違いないと判断しています。論説全文(原文)と旧漢字訂正分を掲載しますので、読者のみなさん是非ご参照ください。

続きを読む

大正六年の沖縄の野球 – まとめページ

大正6(1917)年9月から数回に渡って琉球新報で掲載された「本社主催第二回県下野球大会」に関する記事のまとめページです。参加チームの紹介、沖縄県の野球に関する論説や試合結果などを随時更新しますので、野球好きの読者の皆さんぜひご参照ください。

続きを読む