“琉球国民” の考察

ここ数日、ブログ主らしからぬ真面目かつちょっとホラーな記事を掲載してますが、史料作成中たまたま琉球独立に関するじわじわくるツイートを見かけましたので、息抜きがてら調子に乗って言及します。

※「二代目聞得大君の謎 – その3」は次回アップします。

我が沖縄では少数ではありますが、琉球独立、あるいは自己決定権を主張する個人やグループが存在しますが、今回は独自の世界観を強く打ち出した言動が印象的な比嘉光龍(ふぃじゃばいろん)さんのつぶやきを紹介します。読者のみなさん、是非ご参照ください。

この発言には注目すべき点が2つあります。一つは彼が琉球国の起点を舜天王即位の1187年に設定していることと、二つ目は1187年から700年続いた琉球国に「琉球国民」が存在したと考えている点です。

つまり彼は、舜天王即位から始まる琉球国は「国家の三要素」を満たしているとの無意識の前提のもとに、上記のようなつぶやきを発しているのです。

ここで参考までに、国家の三要素とは「領土、主権、国民」を指し、現代社会における「国家」の承認要件として広く知られている概念です。そして国家の三要素は19世紀の法学者、ゲオルグ・イェリネックによって初めて唱えられたこともよく知られています。

実は、近代以前の社会には「国民」という概念はありません。「国民」とは支配地域の住民たちに「われわれは〇〇国民である」との緩い連帯感があって初めて成り立つ概念です。例えば江戸時代の住民には明治以降の「日本人」という概念が共有されていません。せいぜい〇〇藩の××村の何々という狭い連帯意識しか持ち合わせていなかったはずです。

そして、国民にはもうひとつ重要な要素があります。それは「すべての住民が同一の権利義務を有する」という理念であり、ちなみに我が沖縄で本島や離島の住民が同一の権利義務を有するようになったのは、大正10(1921)年に町村制が施行されて以降なのです。

となると、比嘉氏の唱える「琉球国民だった歴史」とは、1187年に琉球国が誕生して以来700年もの間、

国民国家という極めて近代的な理念で国家が運営されてきた

ことを意味し、従来の歴史観を覆す革新的な主張なのです。

ここまで説明するとお気づきかと思われますが、彼の歴史感には “古代” あるいは “中世” の設定がありません。そのため、現代のりうきう歴史学会では受け入れられない側面があると思われますが、我がりうきうの先人たちが19世紀の法学者よりも700年も早く近代的な概念で国家を運営していたとの主張には一種のロマンを感じます。そして、彼がりうきう独立芸人の中でも

孤高の存在

になっているのも宜なるかなと思いつつ、今回の記事を終えます。