コラム

【現代版】沖縄県民の最大欠点

いきなりですが、もしも現代社会に伊波普猷先生が降臨されたらこのような論文を掲載するのではと思いつき、調子に乗って書き下してみました。『古琉球』に掲載された『沖縄人の最大欠点』のパクリですが、現代沖縄県民の欠点を普猷先生風に指摘するとこのようになりました。是非ご参照ください。

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琉球王国はなぜ米仏蘭との国際条約に清国の暦法を使用したかの考察

先日、ブログ主は東恩納寛惇著『尚泰候実録』の351㌻(明治11年候36歳)の項目を読んでいたところ、同年10月7日付で在日清国公使の何如璋(か・じょしょう)が寺島宗則外務卿宛てに出した書簡についての記述に目が留まりました。その一部分を抜粋しますので、読者のみなさんぜひご参照ください。

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革新共闘会議とオール沖縄会議との共通点について

Chobyo_Yara

今月30日投開票の沖縄知事選に関連して、ブログ主は沖縄における県知事選挙の原型ともいえる昭和43年(1968年)の琉球政府主席公選について調べてみました。この時の主席公選は前年(1967年)11月15日の佐藤・ジョンソン声明に対する是非を問う選挙になりました。その声明における沖縄返還に関する項目は下記を参照ください。

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本音では沖縄を蔑んでいるものたち

8月31日のとあるツイートがちょっとした炎上騒ぎになっていました。その本文を書き写しましたのでご参照ください。

有田芳生@aritayoshifu-1時間前

沖縄の人たちは、日本に復帰する1972年までの27年間、本土に行くには「日本政府総理府」が発行する「身分証明書」が必要でした。この女性は鹿児島に行くために、この証明書を入手しました。

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中国共産党の崩壊に備えよ

かつて政治学者の小室直樹博士は、「日本人は中国に対してコンプレックスがある」と喝破しました。よく考えると日本文化の元ネタは中国発が多いですし、実際に古代から近世にかけて中華帝国は世界の超大国でした。想像を絶する巨大な領域を統治してきた歴史に対して隣国である日本は常に何等かの影響を受ける立場であったことは否定できません。

言い換えると、つねに「大」であった中国に対して「小」を意識せざるを得ない日本人はある種の劣等感から免れることができなかったのです。この点は沖縄も同等で、大である隣国の呪縛から免れることができない地理的宿命を抱えています。しかも戦後は「戦勝国と敗戦国」の関係が追加され、中国に対しては”配慮すべき”という妙な空気が社会全体に蔓延してしまいます。

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命あってのアイデンティティ その2

8月8日の翁長雄志氏の逝去に関連して、同月14日の沖縄タイムスに佐藤優氏の論説が掲載されていました。今回は「命あってのアイデンティティ」の第2弾として当ブログにて全文を紹介します。この作文を読んだとき真っ先に思い付いたのは、同月4日の琉球新報にて「沖縄人の矜持 翁長氏は知事選出馬を」という論説を発表した手前、何か弁解しないといけない佐藤さんの”おとなのじじょう”です。(自称)沖縄人って大変だなと思いつつも、ブログ主はこういう輩に囲まれたことが結果として翁長氏の寿命を縮めてしまったのではと疑わざるを得ません。

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メタボリック琉球

先日ひさびさに唐津一さんの著書を流し読みした際に、興味深い箇所を発見しました。全文を抜粋しましたので先ずはご参照ください。

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命あってのアイデンティティ

本日(8月8日)19時41分付、琉球新報電子版にて、『翁長雄志知事が死去 67歳』のニュースが報じられました。今年5月15日の記者会見で4月21日にすい臓がんの診断および摘出手術を受けた際のやつれた表情から”お察し案件”だったにも関わらず、実際に訃報に接するとショックを受けざるを得ませんでした。謹んでごめい福をお祈りします。

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戦後民主主義につきまといつづけた重大な誤解

以前、当ブログにて「選挙における候補者選びについて真面目に考えて見たところ」という記事を3回ほど掲載しました。その後、山本七平著『論語の読み方』という本を再読した際に、実に興味ある箇所を見つけましたので全文を抜粋します。読者の皆さんぜひご参照ください。

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木を見て森を見ず – その4

当ブログでめずらしく長々と取り上げることになった「新潮45」に寄稿された杉田水脈衆院議員の論文「LGBTの度が過ぎる」ですが、いろいろ調べているうちに面白いことに気が付きました。7月25日の朝日社説を筆頭に、彼女の論文を非難する論調が目立ちますが、これらを読むと彼女の論文を本当に読んで批判しているのか極めて疑問に思わざるを得ません。

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木を見て森を見ず – その2

前回の記事において「新潮45」に寄稿された杉田水脈さんの論文を掲載しました。個人的には全文を読んだかぎりごく当り前のことを淡々と述べた印象ですが、朝日新聞や沖縄二紙、そして立憲民主党などから杉田論文に関して非難の声があがっています。

今回、当ブログにおいて7月25日付朝日新聞の社説と、同日沖縄タイムス〈大弦小弦〉、そして26日の沖縄タイムス社説の全文を掲載します。これら3つの記事を参照したところ、共通して「生産性」という単語に過剰反応している印象があります。たとえば朝日新聞は、「異性のカップルであっても、子どもを産むか産まないかは、個人の選択である。それを『生産性』という観点で評価する感覚にぞっとする。歴史的に少数者を排除してきた優生思想の差別的考えとどこが違うのか。と激しく批判しています。

朝日新聞や沖縄タイムスの記事で気になったのは「生産性」の前後の文章を全く引用していないことです(下記参照)

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木を見て森を見ず – その1

今月18日発売の新潮社発行『新潮45』に掲載された杉田水脈さんの論文(57~60㌻)がどうやら物議をかもしているようです。たとえば25日付きの琉球新報3面には「LGBTカップル生産性ない」の見出しで批判記事が、同日沖縄タイムスの〈大弦小弦〉でも批判的なコラムが掲載されました。

杉田論文に対して批判的な人たちは、「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果していいのかどうか。」の部分を重要視して、彼女の人権感覚を疑問視しています。「そもそも人を「生産性」で区分けすること自体が、重大な人権侵害である(大弦小弦)」という論法で杉田さんの人権意識の欠如を非難するケースもありますが、はたしてこの指摘は正しいのでしょうか。

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大陸および台湾の中国人との付き合いについての考察

ここ最近、とあるSNS上で、台湾において我が沖縄のことを「琉球(沖縄)」と表記する旨の書き込みがあり、ちょっとした話題になっていました。ブログ主は中国の専門家ではないため、たとえば巷で唱えられている「中国脅威論」には一線をひいてますが、我が沖縄の隣国として中国大陸や台湾の政権および中国人たちの行動様式は無視することはできません。それゆえ彼らの行動パターンは如何なるものか、いろいろとブログ主なりに調べてみたことがあります。そのなかで今回は個人的に一番しっくりきたエピソードを紹介します。昭和61年(1986年)に刊行された長谷川慶太郎著『さよならアジア』からの抜粋で、読者の皆さんぜひご参照ください。

(中略)私は、1970年の大阪万博のとき、香港の華僑たちにそれこそ「脳天をなぐられた」感じをうけたことがある。それは、かれらが個人として二十五年前の戦争のことを一瞬たりとも忘れていないだけでなく、中国民族として、日本人にくわえられた戦争中の被害を一瞬たりとも忘れていないと思わせる事件を何度か経験したからである。

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