すでにご存じの読者もいるかと存じますが、今月17日に「高校生失明事件」に端を発した沖縄署襲撃事件に関し、”襲撃を主導” したとみられる22歳の暴力団構成員が逮捕されました。
コラム
俺が疲れ直しに那覇市辻を散策した結果……
本日、ブログ主は沖縄県立博物館に籠って、「おもろそうし」の写本や必要な史料をコピーしてきました。ひさびさの写本作業はさすがに疲れたので、帰りがけに疲れ直しに那覇市辻町を散策中、じわじわする光景に出くわしました。せっかくなので写真撮影し、当ブログでアップします。最近真面目なネタが多かったので、読者の皆さん、息抜き代わりにお愉しみください。
今帰仁延子さんの考察 – その3
(続き)10代の経験が、後年に及ぼす影響についてはよく知られていますが、今帰仁さんも例にもれず、13歳から17歳までの4年間に受けた教育がその後の生きざまに決定的な影響を及ぼしたことは間違いありません。
その前に、彼女が如何に “特別な存在” であったかについて同級生の証言を紹介します。
今帰仁延子さんの考察 – その2
(続き)今回は、ブログ主が確認できた史料を基に、作成した今帰仁延子さんの年表をアップします。すると、幼少期の体験が今帰仁さんに決定的な影響を与えていたことが理解できますので、そのあたりをできる限り、そして調子に乗って分かりやすく説明していきます。
今帰仁延子さんの考察 – その1
年末から年始にかけて、ブログ主は可能な限り時間をつくり、過去に蒐集した史料の整理・整頓を行ないました。その際、昭和43年(1968)7月5日に起こった「琉球銀行若松支店強盗事件」の新聞史料をチェックしたところ、驚くべき記事を発見しました。
俺が調子に乗って那覇市内を散策した結果…
本日(4日)、ブログ主は正月休みで暇を持て余していたので、ひさびさに那覇市内の散策と、首里グルメを楽しんできました。やはり今年は去年と違って観光客や地元の人たちの外出が多いなと実感しながら、あれこれブログネタになりそうなポイントを撮影しました。まずは、ひさびさにグルメネタをアップしますので、B級グルメ好きの読者のみなさん、ご参照ください。
“長寿県沖縄” という戦後最大のユクシムニーの考察(3)
(続き)前回の記事の〆で、「長寿県沖縄というブランドを確立してジン儲けしようという品性卑しい大人が存在する限り、県民が本気で生活習慣の改善に乗り出すことは絶対にありえない」などど、ブログ主らしからぬ(?)キツいことを言ってしまいましたが、実はちゃんとデータがあっての発言なのです。
“長寿県沖縄” という戦後最大のユクシムニーの考察(2)
(続き)前回の記事において、「平均余命の順位低下は生活習慣があまり好ましくない面があるのも否めません」と言及しましたが、ハッキリいって我が沖縄における平均余命の順位急降下の直接的な原因を特定するのは極めて難しいと言わざるを得ません。というのも、実はこの案件、「必ずこうなる」との十分条件なんてどこにも存在しないのです。
“長寿県沖縄” という戦後最大のユクシムニーの考察(1)
今月23日に厚生労働省によって公表された「令和2年都道府県別生命表」によると、我が沖縄男性の平均余命は80.73歳、女性は87.60歳であり、順位を見ると、男性は43位、女性も16位と大幅に順位を落とす結果となりました。
俺が調子に乗って真栄原二丁目の現在を詳細に説明してみた件
今日は令和に入って4度目のクリスマス・イブですが、今年はさすがにコロナ禍で自粛ムードが強かった過去2年間に比べると街が華やいだ印象があります。なお、当運営ブログでは毎年クリスマスの時期に “風俗関連” の記事をアップしており、先行して「ホテルいぶき」の潜入取材の記事をアップしましたが、今日は今年の本題である “真栄原二丁目の現在” について言及します。
クリスマス前にサンタがやって来た
12月某日、ブログ主は旧真栄原社交街(通称・新町、現真栄原二丁目)を訪れて、現在の状況をチェックしてきました。ただし、今回は昭和46年(1971)と、平成20年(2008)、そして、令和03年(2021)の地図を事前にチェックして、詳細な現場検証を行ないました。
コザ騒動の “教訓” に目を向けなかった結果…
本日(20日)はコザ騒動が起きて52年目となります。50周年のイベントが(ブログ主から見て)不発&不評のせいか、今年はマスコミ等でもほとんど取り上げられていないように見受けられます。
ついうっかり本音を…
今月16日、政府が「国家安全保障戦略」など防衛3文書を改定し、敵の基地などを叩く反撃能力の保有方針を閣議決定した件について、ネット上ではさまざまな議論が沸き起こっています。増税がらみの案件なので、総じて「やり方がまずい」との反対意見が多い傾向がありますが、ブログ主が怪訝に思うのが、日ごろから「中国の脅威」を唱える輩が、この件に関しては沈黙をしているように見受けられる点です。
50年前の黑いりうきう社会
今年は、ご存じの通り、我が沖縄が本土に復帰して50年の記念すべき年です。そして、それに伴いさまざまなイベントの開催や、復帰前後の沖縄社会を題材にしたドラマや映画が放映されたりしました。
至誠にして動かざる者は未だこれあらざるなり
ここ数日、ブログ主は積み史料の整理に悪戦苦闘していますが、偶然にも興味深い記事を発見しましたので、試しに全文を書き写しました。それは10月27日付琉球新報08面の “対話は希望” と出した論説で、我が沖縄における明治以来の伝統的発想が、こんな形で継承されているのかと、驚きを覚えながら写本しました。