今回は”琉球開闢”について言及します。というのも当ブログ開始から2年強、おかげさまで配信記事も550を超えましたが、そのなかで琉球神話を取り上げたトピックがひとつもないことに気が付きました。苟も歴史ブログを運営している以上、琉球神話に触れないとさすがにまずいかなと思い、今回ちょっとした考察記事を纏めてみました。まずは羽地朝秀編纂『中山世鑑』から琉球開闢に関する記述を紹介します。ただし原文は読みづらい部分があるので、比嘉朝潮著『沖縄の歴史』からの現代語訳を掲載しました。読者のみなさん、是非ご参照ください。
コラム
125年前の那覇港の様子
今回も笹森儀助著『南島探験』から明治26年(1893年)当時の那覇港の様子を紹介します。大正・昭和の時代の史料を参照すると、沖縄から大阪へ砂糖樽を輸送する運賃より、台湾から大阪まで輸送する(砂糖樽の)運賃のほうが安いとの記述が散見されます。ブログ主は沖縄より台湾のほうがはるかに多くの砂糖を輸出していたから(台湾 – 大阪間のほうが)輸送賃金が廉価でも引き合ったと考えていましたが、どうやらそれだけではなかったようです。先ずは下記史料をご参照ください。
125年前の首里の様子
今回は明治26年(1893年)当時の首里の様子を紹介します。笹森儀助著『南島探験』からの引用ですが、明治12年(1879年)の廃藩置県から14年、旧都の寂れっぷりが予想の斜め上を行くレベルでブログ主は衝撃を受けました。著者の笹森儀助は青森県出身で、明治26年5月11日青森を発し、青森→東京→神戸→鹿児島を経由して同年6月1日に無事那覇港に到着します。彼が首里の尚氏宅の訪問および墳墓(玉陵)の参拝を試みたのが翌日の2日ですが、その時の様子を抜粋しましたので是非ご参照ください(原文およびブログ主による意訳を掲載しました)。
Windows 10 に関する誤解について
本日付(11月23日)の沖縄タイムスに Microsoft Windows に関するコラムが掲載されていました。そのなかで気になる部分を見つけましたので全文を書き写しました。読者の皆さん、是非ご参照ください。
琉球の先人の主体性はなぜ全うできなかったのか
本日(11月20日)付琉球新報に興味深い記事が掲載されていましたので紹介します。琉球藩末期(1876年以降)の脱清人に関する内容で、先日の玉城デニー知事の訪米活動と当時の救国運動の精神とが重なって見えてくると言及していることと、清国に渡った琉球人たちが廃藩置県後も王家の復活のために尽力した行動を”琉球の主体性”として捉えているのが特長的です。全文を書き写しましたので是非ご参照ください。
自由と平等の観念に対する誤解を憂うお話
いまさらブログ主が指摘するほどの案件ではありませんが、廃藩置県以前の琉球社会において “自由と平等” という観念は全くといっていいほど存在しませんでした。先日『太田朝敷選集』をチェックしている際に、そのことに触れた箇所を見つけましたので今回当ブログにて掲載します。(今回取り上げた史料の全文『琉球新報は何事を為したる乎』は後日当ブログにて掲載します)
※令和5(2023)年1月16日、アイキャッチ画像を変更ました。4年ほど前に調子に乗って書いた “作文” ですが、令和の今日でも「うちあたい」する輩が多いと感じるのは気のせいだと思いたいです。
大島出身者の悲劇
先日ブログ主は戦後の新聞(うるま新報ほか)をチェック中に、気になる社説を見つけました。原文をそのまま書き写しましたので是非ご参照ください。
*社説に「先發の壷屋における殺人事件なども」とありますが、これは昭和26(1951)年1月13日に壷屋で発生した一家惨殺事件のこと(壷屋強盗殺人事件)。
ファクトチェック
今月6日の沖縄タイムスに掲載された〈大弦小弦〉の内容がちょっと香ばしかったので、当ブログにて紹介します。説明不要かと思いますが、10月23日にトルコ政府に保護された安田純平さんに対する(ネット上における)バッシングに対して苦言を呈する内容です。一見もっともなご意見にも思えますが、ブログ主は「何か違うのでは」という違和感を拭い去ることができません。全文を書き写しましたので、読者のみなさん是非ご参照ください。
恩知らず考
すでに当ブログに取り上げた案件ですが、伊波普猷先生の『古琉球』の論説 – 沖縄人の最大欠点 – についてブログ主が調子に乗って言及します。
ちなみにこの論説が『沖縄新聞』掲載されたのは明治42年(1909)2月21日であることを考慮の上で下記引用をご参照ください。
我が沖縄県の学力低下の原因を歴史的に考察してみた
今回はちょっと真面目に我が沖縄県の学力低下の原因を歴史的に考察します。正直なところ現在のブログ主のレベルでは手にあまるテーマではありますが、歴史的にさかのぼって考察すると面白い仮説ができあがりましたので、この場を借りて紹介します。拙文ではありますが読者の皆さん是非ご参照ください。
その前に琉球藩時代の士族における学問の目的について言及します。明治8年(1875年)に来琉した河原田盛美(かわらだ・もりはる)氏の『琉球紀行』より、那覇士族の実態について言及している箇所を抜粋します。
津田大介さんに送りたい言葉
今月14日の沖縄タイムス社会面(30)に『デマの訂正が必要』と題した記事が掲載されていました。内容は先の県知事選におけるネット上の誤情報に対する会合が開かれ、ジャーナリストの津田大介さんが講演したとのこと。さっそくですが該当記事の全文を抜粋しましたので、読者の皆さんぜひご参照ください。
2018年沖縄県知事選挙についての考察
先月30日に投開票された2018年沖縄県知事選挙は周知のとおり玉城デニー氏が佐喜眞淳候補に圧勝しました。すでにWebやSNSでは選挙に関する記事や書き込みが目立ちますが、ブログ主も調子に乗って今回の選挙結果の歴史的意義などについて言及します。ただしブログ主は選挙の素人のため勝因あるいは敗因について語る資格がありません。あくまで第三者の立場から見た所感になります。この点を考慮したうえで読者のみなさん是非ご参照ください。
翁長知事の遺志を受け継ぐとは
以前、当ブログにて『琉球・沖縄における国防意識の変遷』と題して旧革新勢力の日米安保および在沖米軍に対する考え方について言及しました。これまで革新共闘会議(かくしんきょうとうかいぎ)は日米安保反対、在沖米軍の即時撤退のテーゼで国政および地方選挙を戦ってきましたが、その根拠の一つに「基地があるから沖縄は戦争に巻き込まれる」との発想があります。
以前は小室直樹著『ソビエト帝国の最期』からの一節を紹介して、彼らの安全保障に関する考え方を説明しました。小室博士の指摘は日本人の戦争に関する観念を上手に説明していますが、我が沖縄の場合はそれだけではありません。「日共の対琉要綱」も大きな役割を果たしていることが分りましたので今回当ブログにて言及します。
今回の沖縄県知事選挙の構造を図解してみた
今月30日、我が沖縄県では2018年沖縄知事選挙が予定され、現時点で届出順で佐喜眞淳(さきま・あつし)、玉城デニー(たまき・でにー)、渡口初美(とぐち・はつみ)、兼島俊(かねしま・しゅん)の4人が立候補して激しい選挙戦が展開されています。今回は佐喜眞、玉城両候補が想定しているであろう支持者の構造について図解しましたので、読者のみなさんぜひご参照ください。(渡口、兼島両候補については今回は言及しません)
【現代版】沖縄県民の最大欠点
いきなりですが、もしも現代社会に伊波普猷先生が降臨されたらこのような論文を掲載するのではと思いつき、調子に乗って書き下してみました。『古琉球』に掲載された『沖縄人の最大欠点』のパクリですが、現代沖縄県民の欠点を普猷先生風に指摘するとこのようになりました。是非ご参照ください。