ソ連の裏と表 ⑷ – 全能の共產党に盲從 – 皮肉な声”一切の自由から解放された”

(四)【自由からの解放】 ソ連は一九三六年発布のスターリン憲法で市民に、出版、言論、集会、結社、信仰の自由を保証する旨明示してある。ところが実際にソ連の市民はそれだけの自由を享有しているのだろうか? 私の見たところでは、おそらくソ連ほど不自由な國はないと思われる。

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ソ連の裏と表 ⑶ – きりつめた市民生活 – 肉や砂糖はめったにない

(三)【市民生活】 終戰直後のソ連の疲弊状態は、非常にはなはだしかった。一九四五年入ソ当時、私はこれが戰勝國なのだろうか、と驚く反面よくこれまで我慢して戰ったものだ、と感心したものだった。衣食住ともに極度に不足している態だったから、満洲にある日本人の財産は何でも欲しがった。目に見えるもの、手にふれるものは、すべて彼等にとってはめずらしい貴重なものであった。

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ソ連の裏と表 ⑵ – 陰の声…第二の農奴制 – 極右と極左は同じ結末

(二)ソ連とは ソ連正しくはソビエット社会主義共和國連邦ということである。ロシア共和國、ウクライナ共和國、白ロシア共和國、ウズベック共和國、カザフ共和國、グルジャ共和國、アゼルバイジャン共和國、リトワニア共和國、モルダビア共和國、ラトビア共和國、キルギース共和國、タジック共和國、トルコメン共和國、アルメニア共和國、エストニア共和國、及びカルロヒン共和國の十六ヶ国からなる連邦である。

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久高島印象記 (4)- 又吉康和

 結婚 日本全國には結婚に關する奇が多からうが、我が久高島も亦その一つであらう。先づ婚約は男女幼い時兩方の親の勝手極めて置く、子供達の心中は始めから眼中にない。これからに現代離れして居る。

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華麗な郷土博物館 – 戦前の首里城北殿のお話

昭和11(1936)年6月の新聞切り抜き集をチェックしている際に、偶然ですが首里城関連の記事を見つけました。首里城正殿が沖縄神社の拝殿として利用されたのはよく知られていますが、北殿が郷土博物館として改修されていた事実は初めて知りました。

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人身売買の話

先日、沖縄県立図書館にて昭和11(1936)年の新聞切り抜き集をチェックしていたところ、『綠蔭閑話』と題した又吉康和さんの論説を3話見つけました。その中で義村按司朝明について言及した箇所があり、当時疲弊の極みにあった東風平間切(旧東風平町、現八重瀬町)の建て直しに彼が尽力したエピソードが記載されています。

ブログ主の注意を引いたのは東風平間切の疲弊ぶりで、その箇所を抜粋すると、

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久高島印象記 (3)- 又吉康和

 われ等は神の探し出す心持で此の憧憬の島に上陸した。此の島の住民は誰でもアマミキヨが島を造、白樽が開だと信じて居る。交通不便の爲め古い風俗慣が古の儘遺されてゐる。彼れ等は太陽は東の海より出て、西の丘の彼方に沒するものだと信じ、雨は龍が雲を集めて降らすものと信じて居る。草も木も神に依つて生じ、人間も犬も猫も神の使であると信じて居る。そこにはコロンブスの亞米利加發見もなく、ニユウトンの引力もなく、ダーウヰン進化論もない。地上の幸、不幸は總て神の喜怒哀樂に依つて支配されて居るものと信じて居る。

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花柳病と傾城證文

先日、沖縄県立図書館で明治時代の琉球新報をチェックしていた時に、三遊郭(辻、仲島、渡地)の赤札娼妓についての記事が目に留まりました。”赤札娼妓”とは”性病持ち”を意味し、当時は若狭町に設置されていた若狭病院で定期的に検査が行われていました。

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久高島印象記 (2)- 又吉康和

 白樽一男二女を擧げた。長女於戸兼樽(オトカネタル)は女の職に任ぜられ山嶽の祭を司つた。長男眞仁牛(マニウシ?)は父の家統を繼ぎ、其の子孫繁昌した。(外間根人は其の後裔である)二女思樽(ウミタル)は巫女になつたが後玉城間切の巫女に擧げられて、城内に居た。其の天姿の艶麗と貞操律儀堅く、物腰の端正なること常人の及ぶ所でなかつたのでち評判となり終には國王に召され宮中に入り其の寵愛を受けた。

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