闘いからの卒業

既にご存じの読者もいらっしゃるかと思われますが、我が沖縄でも昨日梅雨が発表され、本日からは例年通りのクッソ暑い夏がやってきます。それに反比例してオール沖縄関連からは実に寒いニュースしか聞こえてきませんが、そのトドメは今月23日の慰霊の日の式典ににおけるヤジ騒動です。その結果、ブログ主は9月13日投開票の沖縄県知事選における玉城デニー氏の “落選確率” は極大化したとみています。

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読谷の謎

今回も真面目な古りうきうネタをアップしますが、個人的には弄びたくて弄びたくてたまらない “読谷回” になります。現在の沖縄本島においては中部にもヤンバルにも属さない孤高の存在である読谷ですが(当社比)、『おもろさうし』が編纂された際は「浦添、北谷、読谷山」に分類され、11のおもろが掲載されています。今回はそれらの史料をチェックした上で、調子に乗って読谷の「語源」を考察しますので読者のみなさんぜひご参照ください。

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めんそーれの考察 その2

前回の記事において “めんそーれ” の誕生についてざっと説明しましたが、今回は「海洋博における県民の合い言葉」がその後どうなったかについて言及します。結論を言えば全国的な知名度は上がりましたが、大城先生曰く「すべての文化運動は、沖縄のすべての庶民に通用するものでなければならないのだ。」の理想からはほど遠く、本島内でのみ利用されている感があります。

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めんそーれの考察 その1

先日ブログ主が史料チェックしている際に、めんそーれは「造語」だった?と題した琉球新報のWeb記事を見つけました。その内容に興味を覚えたブログ主は(ファクトチェックも兼ねて)沖縄県立図書館で関連史料を確認しているうちに興味深いことに気が付きましたのでためしに当ブログにまとめてみました。方言ネタ好きな読者のみなさん、ぜひご参照ください。

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具志川の謎

今回はひさびさに真面目な古琉球ネタをアップしますが、「おもろさうし」などのりうきう古典をチェックするたびに地名の難読さに辟易しているブログ主であります。一例をあげると「宜野湾」はGinuwann(ジ・ヌ・ワン)と読ますために「きのわん」と表記し、現代ではzinooN(ジノーン)と読むので、(かつて試みた)勝連のように強引に語源を推測することすら困難を覚えます。

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辺野古沖転覆事故の教訓

3月16日に起きた辺野古沖転覆事故について、ブログ主は沖縄2紙の記事を中心に精力的にチェックしていますが、事件から2カ月たった今日においても(事件に関連した)炎上案件が出てくる異例の事態になっています。

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参列は取材目的でしたが…(その2)

(続き)ご存じの通り、ここ最近の沖縄2紙は辺野古沖転覆事故のニュースが盛りだくさんですが、ブログ主は先月25日の旭琉會の糸数真会長の葬儀に参列した記者のその後が知りたくで、ほぼ毎日のように琉球新報を購入してチェックしました。

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いま悪事を働いてます

既にご存じの読者もいらっしゃるかと思われますが、本日(21日)はユニオンスカラうるま店のオープン日なので、ひさびさに「速報企画」として開店初日の凸レポをまとめてみました。

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平和活動と二重思考

今回はちょっと予定を変えて2015年の研修旅行と題した「note」についてブログ主なりの見解をまとめてみました。既にチェック済の読者もいらっしゃるかと思われますが、2015年3月の講演の際の磯野直氏(沖縄タイムス)の講演後のQA(質疑応答)について疑問を呈している箇所があります。

その箇所を引用すると

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参列は取材目的でしたが…(その1)

既にご存じの読者も多いかと思いますが、先月25日に沖縄市で執り行われた糸数真旭琉會々長の葬儀に関して、琉球新報の記者が個人名で参列していたことがちょっとしたニュースになっていました。なおこの案件について、琉球新報社は「参列は取材目的でしたが、適切な行為とは言い難く、事実関係を詳細に確認した上で、厳正に対処します(令和8年5月3日付23面)」とコメントし、遺憾の意を表明しています。

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【追悼】糸数真會長の経歴(4)

(続き)今回からは平成23年(2011)11月27日における「旭琉會(ぎょくりゅうかい)」の誕生からの糸数會長の経歴を紹介します。ただしここからは公開された情報が極めて少ないため、沖縄2紙のお悔やみ広告など限られた史料を元に作成してますのでご了承ください。

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【追悼】糸数真會長の経歴(3)

(続き)前回の記事において、出所後に沖縄旭琉会に復職した糸数さんについて言及しましたが、第六次沖縄抗争(1990.9~1992.2)から10年以上を経過したころには、(当時分裂していた)沖縄旭琉会と三代目旭琉会との幹部交流が再開します。その流れで糸数さんと三代目旭琉会沖島一家に所属していた知念秀視若頭との付き合いが始まり、最終的には狩俣重三さん(沖縄旭琉会功揚一家若頭)も含めて五分の兄弟分となります。

※このあたりのエピソードは「旭龍」からの引用になりますが、必要に応じて他史料も参考にしています。

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【追悼】糸数真會長の経歴(2)

(続く)前回の記事において、糸数真會長の青年時代の経歴について言及しましたが、今回は皆さん(特に党運営ブログの読者であれば)ご存じの昭和57年(1982)10月9日未明の多和田真山旭琉会会長(当時)射殺事件について触れます。

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