アヌヒャー・デージ・ウシェーテル(あの野郎超むかつく)

ここ数日、ブログ主は大正時代に起きた政争(いわゆる大正シルークルー政争)についていろいろ調べていました。この案件は現代の沖縄の歴史家がほとんど取り上げない、事実上の黒歴史扱いで資料探しにも一苦労ですが、その過程で実に面白いことを発見しました。この騒動の発端は、大正13年(1924)の衆議院選選挙における岩元禧(いわもと・き)知事と伊礼肇(いれい・はじめ)の先輩・後輩関係のもつれが原因だったことです(ネタ元は新聞五十年高嶺朝光(著)

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オスプレイよりも先に撤去してほしいもの

10月10日公示された第48回衆議院議員選挙も中盤にさしかかって、我が沖縄では予想どおり違法(と思わしき)ポスターが街中を彩るようになりました。そこでブログ主が沖縄1区と2区をちょっとだけ散策して、裏打ちポスター&電線等に掲示という違反の疑いが極めて高いケースを撮影してきました。

1時間程度の散策なのであまり多く見つけることはできませんでしたが、違法と思わしきポスター掲示は圧倒的にオールおきなわの陣営のほうが多かったです。国場、宮崎陣営も掲示違反(の疑い)は確認はしましたが、裏打ちポスターは見当たりませんでした。車窓からですが公明党の裏打ちポスター掲示もチェックしました。

ハッキリいって撤去すべきはオスプレイではなく街中の景観を害してしまう裏打ちポスターで、優先順位が何か違うんじゃね?と思いながら撮影しました。読者の皆様、是非ご参照ください。

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大正シルー・クルー政争 史料その3

泡瀬復興期成会より昭和63年(1988)に発行された『泡瀬史』に、大正シルー・クルー政争の生々しい体験者談が記載されていましたので抜粋します(435~438ページ)。地元宜野湾に関しては、体験者の証言や地域史『ぎのわん』から市役所襲撃事件等の話を知っていたのですが……けっこうエグい話です。

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でも、何かが違うと思った件

第48回衆議院選挙が10月10日に公示され、12日間の選挙戦に入りました。全国で1180人が立候補、我が沖縄県でも12人の候補者が熱い選挙戦を繰り広げています。11日の新聞には一面で候補者の写真が掲載されていましたが、一人だけ明らかに目立つ候補者がいることに気がつきました。

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真栄原2丁目(旧真栄原社交街)に行ってきたよ 続編

唐突な感じもしますが、散歩企画として真栄原2丁目(旧真栄原社交街)の現在の様子を再アップします。キッカケは以前掲載した真栄原社交街の記事のアクセス数がここ数日激増しているため、ここは調子に乗らざるを得なくなりブログ主は夕暮れ→夜間の街並みを散策してきました。

今回は下図を参考に ① から ⑩ の順番で現在の様子を撮影して来ました。廃墟好きの読者の皆様、是非ご参照ください。

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俺が調子に乗って“第67回沖縄県高等学校野球秋季大会”の決勝戦の観戦結果を語ってみよう

本日(10月8日)13時、沖縄市のコザしんきんスタジアムで第67回沖縄県高等学校野球秋季大会の決勝戦が絶賛開催されました。決勝のカードは沖縄尚学と興南の私学2強対決になりましたが、実はこの2チーム、公式戦であまり対戦しない傾向があるんですよね。直近の対戦は今年の春季大会の準決勝で、この時は沖縄尚学が 5-3 で興南高校に勝利しました。

意外だったのは、ブログ主が私学2強の対決を現地観戦するのは、2008年の夏の県大会準決勝以来10年ぶりで、この時は東浜投手と島袋投手の歴史的な投手戦を見ることができました(試合は 3-1 で沖尚の勝利)。今回はどのような結果になったか?野球好きの読者の皆さん、是非ご参照ください。

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俺が調子に乗って“第67回沖縄県高等学校野球秋季大会”の準決勝2試合の観戦結果を語ってみよう

本日(10月7日)コザしんきんスタジアムにて第67回沖縄県高等学校野球秋季大会の準決勝が開催されました。今大会の特徴の1つは波乱らしい波乱がなかったことでしょうか。強いて言えば前年度1年生大会優勝チームの未来沖縄がベスト16で敗退したぐらいで、8月の新人戦の4強チーム(石川、中部商業、沖縄工業、沖縄尚学)がすべてベスト8に勝ち進み、優勝チームの石川高校が4強に進出、私学2強の興南や沖縄尚学、そしてひさびさに4強に進出した沖縄水産という実に楽しみな対戦カードに恵まれて、ブログ主は朝からハイテンションでコザしんきんスタジアムに乗り込みました。

準決勝の第一試合は新人戦王者の石川高校と新人戦4位の沖縄尚学との対戦、第二試合は夏の甲子園に出場した興南高校と元糸満高校監督で名将上原亘さんが率いる沖縄水産とのカードになりました。では早速調子に乗って観戦レビューを掲載しますので、野球好きの読者の皆さん、是非ご参照ください。

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大正シルー・クルー政争 史料その1

大正時代に沖縄県全域で発生した政争についての史料です。近現代の沖縄における屈指の黒歴史ですが、近代デモクラシーの本質を考える上で極めて重要な事件なので、可能なかぎり史料を掲載します。今回は『沖縄大百科事典』と『近代沖縄のあゆみ』からの抜粋です。

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おもろまちのとある選挙事務所を見てびっくりしたこと

先月25日に安倍晋三首相が衆議院の解散を正式に表明しました。我が沖縄県でも候補者が事務所開きを行うなど、選挙ムードが高まってきましたが、先日那覇市おもろまちにある赤嶺政賢氏の事務所の前を通り過ぎた際に、思わぬことに気がついたので写真に収めてきました。

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ちょっとした“借り”を返してきたお話

本日(9月29日)、那覇新都心に5本指シューズの専門店Vibram Island(ビブラムアイランド)”がオープンしました。オーナーは砂川伸彦氏、ハッキリ言ってブログ主は面識ありません。ただし砂川さんにはちょっとした“借り”があります。それは以前当ブログで那覇市議会選挙のポスターに関する記事で砂川さんを取り上げたところ、予想の斜め上を行くアクセス数があり、結果として新規読者の獲得に成功したことです。

今回は軽い恩返しの気持ちで、本日開店のシューズショップへの来店レポートを掲載します。読者の皆さん、是非ご参照ください。

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宮城嗣吉さんのおかしすぎるエピソードで打線を組んでみた

1981年沖縄タイムス刊行の『私の戦後史 第5集』に掲載されている宮城嗣吉さん(1912~2001)のエピソードがあまりにもおかしすぎて、ブログ主はつい調子に乗って打線を組んでみました。スヤーサブローの異名で知られる沖縄空手界の大御所で、映画『ベストキッド』に登場するミヤギのモデルになった人です。佐野眞一さんの著作『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史(上)』にも登場しますが、インタビューで息子が「やりたい放題のことをやって死にました(笑)」と答えているようにハチャメチャなエピソードが満載です。

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裁判移送問題と中村議員の失踪

昭和41年(1966)7月5日、東京で起こった中村晄兆(なかむら・てるあき)立法院議員失踪事件の顛末について、当時立法院の議長を務めていた長嶺秋夫さんの回想録『私の歩んだ道』(昭和60年刊行)に事件の詳細が記載されていましたので掲載します。ブログ主が確認できた限り、この事件の詳細を記載しているのはほか昭和41年7月の琉球新報縮小版と、この回想録の2つだけです。

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