続・琉球藩の時代 朝鮮民主主義人民共和国との比較 その2

King_Sho_Tai

前回の記事において、琉球藩と北朝鮮では「支配者一族が、権威と権力と財を一手に握っている」ことについて記述しました。両者の共通点は、支配者階級内に儒教的な発想があること、家族主義的な考え方が根強いことによって、支配者一族に名誉や富が集中してしまう傾向が出てくることです。違いは、琉球王国の場合は「王国」ですので一族に社会のすべてが集中してもおかしくない政治体制ですが、北朝鮮の場合は結果としてそうなってしまったことです

その他の共通点を探っていくと、以下の2点があります。一つは「民間にお金持ちが見当たらない」ことと、もう一つは「官吏の腐敗堕落が著しい」点です。これらについて説明します。

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続・琉球藩の時代 朝鮮民主主義人民共和国との比較

King_Sho_Tai

今回から数回にわたって、琉球藩当時の社会と朝鮮人民民主主義共和国(以下、北朝鮮)との比較記事を掲載します。以前当ブログにおいて、現在の北朝鮮が150年前の琉球王国の状態と同じと記載しましたが、今回は真面目に「本当に同じ状態かどうか」と検証します。ちなみに前回の記載の内容は下記参照(当ブログ、琉球藩の時代 その9より抜粋)。

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続・琉球藩の時代 クズエピソード再考 その3

King_Sho_Tai

前回の記事で、島尻地方(沖縄県南部)の間切において、甘藷畑をつぶしてサトウキビを栽培し、黒糖を販売することで借金(宿債)を償却したエピソードを紹介しました。その結果、間切住民の食料である甘藷(唐イモ)が不足して、2~3月ごろにはソテツを食せざるを得ないという、まことに悲惨な状況になってしまいます。なぜそんなことになったのか、その理由は間切を領有する地頭と、実際に間切の行政を担当する「おえか人」(官吏)、そして百姓の間に「我々は同じ琉球人だ」という連帯感が全くなかったからです。

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続・琉球藩の時代 クズエピソード再考 その2

Mochinori_Uesugi

ご存知の通り、琉球藩は1879年(明治12)に廃され、沖縄県が設置されます。それから2年後の1881年(明治14)に第2代沖縄県令として上杉茂憲氏が赴任します。そしてその年の11月に上杉県令は吏員数名を引き連れて沖縄各地を巡回していますが、そのときのエピソードを紹介します。

上杉県令は1881年(明治14)11月8日に那覇の公舎(当時は泉崎にあった)を出立して島尻地方を巡回します。11日には東風平間切の番所に到着します。上杉県令は島尻地方を巡回中に、各地で住民の食料である甘藷(イモ)が不足していることに気がついて、なぜ住民の食料である甘藷が不足しているのかを東風平の吏員に詰問します。そのときの問答を「沖縄県史」より抜粋します。

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続・琉球藩の時代 クズエピソード再考

King_Sho_Tai

今回、琉球藩の時代の連載を再開するにあたって、過去の記事を読み返しましたが、やはりクズエピソードの部分が強烈な内容になっています。これらのエピソードは「沖縄県史」や比嘉春潮著「沖縄の歴史」、あるいは真境名安興著「沖縄一千年史」などからの抜粋ですが、現在の歴史教科書では余り取り上げることがありません。〈琉球・沖縄は薩摩の侵略以来ずっと差別されてきた〉という歴史観が、これらの事実に目を閉ざす最大の理由になっていることは間違いありません。

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突撃グルメレポートシリーズ~フジヤマドラゴンカレーに行ってきたよ。

昨日Facebook上で、たまたまフジヤマドラゴンカレーのオープンキャンペーンの投稿を見ました。カレー680円がワンコイン500円でお得とありましたので、仕事が速く終わったのも幸いして、フジヤマドラゴンカレー沖縄国際通り店へ突撃しました。ブログ主はインスタントカレーなら200銘柄近く、スーパーのカレー販売棚の有名銘柄はほとんどすべて制覇した実績がありまして、カレーにはちょっとうるさ型です。ではフジヤマドラゴンカレーへのグルメレポートをアップします。

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続・琉球藩の時代 プロローグ

今回の記事から、琉球藩の時代の連載を再開します。まだ公同会事件(1896~1897)のまとめ記事が残っているのですが、平行してブログ内にアップします。

その前に、以前当ブログ内にアップした琉球藩の時代の記事を改めて読み直して、いくらなんでもご先祖様のことをボロクソに書き過ぎじゃないのかと反省し、その後数多くの琉球・沖縄史や史料などを参照しました。そして出た結論が「もっとボロクソに書いていいいんじゃね」という……

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公同会運動の顛末 失敗の本質 その2

SEALDs

前回の記事において、琉球沖縄の歴史では遂に尚家の存在を絶対化するイデオロギーが誕生しなかった件を指摘しました。よく考えると当たり前のことで、1609年(慶長14)の慶長の役の敗戦の結果、戦勝国である薩摩藩の要請で、王家が存続された歴史がある以上、そんな都合のいい基本思想が生まれる訳ありません。

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公同会運動の顛末 失敗の本質 その1

Yamazaki_Ansai

今回からは公同会運動の失敗について、ブログ主が大胆な仮説をもとに検証します。この運動に関しては、今まではネガティブな印象が強かったのですが、実際に調べてみると実に面白く、そして廃藩置県後の沖縄社会の変遷を理解する上で格好の素材であることが分かりました。この運動がなぜ失敗したかについて、これまでの歴史教科書等では「復古的」「旧士族の最後のあがき」などで簡単に片付けられているケースが多く、正直ちょっと勿体無い気がするので、ここはブログ主が調子に乗りまくって失敗した理由を検証します。

公同会運動のきっかけは、沖縄県庁をはじめ当時の社会が他府県人に牛耳られていることに対する不満です。県庁の職員だけでなく、甚だしきは学校の先生や、警官までが県外人主体になっている有様です。しかも鹿児島県人の抜擢が著しく、当時の沖縄県人、特に留学帰りの新知識人が社会の現状に不満を持つもの無理はありません。

ただしこの運動の面白さは

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公同会運動の顛末 琉球新報社が果たした役割 その6

前回の記事で、琉球新報社の伝統は社員たちのエリート意識にあることを説明しました。ここでのエリートとは、現在の学歴エリートやスポーツエリートの意味ではなく、「自分は使命を全うするために生まれてきた」ことを自覚した人のことを指します。言わば太田朝敷氏らの初期の琉球新報の社員たちは、日清戦争の結果後にエリートとして生きることを宿命つけられたのです。

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公同会運動の顛末 琉球新報社が果たした役割 その5

ootatyoufu

前回までに沖縄タイムス社に対するブログ主の仮説を掲載しました。今回からは本題である琉球新報社が沖縄社会に対して果たした役割について述べます。

琉球新報社は前述の通り、1893年(明治26)に奈良原知事の提案と尚家がスポンサーになって設立されました。その経緯ゆえに機関紙的な性質が極めて強い新聞社だったのですが、日清戦争(1894~1895)の結果、新報社は社風の変質を余儀なくされます。

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公同会運動の顛末 琉球新報社が果たした役割 その4

前回は、公同会運動とは直接関係ない沖縄タイムスの沿革について記述しました。せっかくの機会なので、この場を借りて沖縄タイムスがなぜ偏向とまで呼ばれるような論調を記載し続けるか、ブログ主なりに整理しましたのでご参照ください。

沖縄タイムスは伝統的に既存の権威や権力、および社会的勢力に対して徹底的に距離を置くスタイルです。それ故に旧革新勢力(現オールおきなわ)や市民団体等よりの記事が目立ちますが、理由は

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