琉球・沖縄の歴史上最も偉大な女性の思い出話

先日ブログ主は沖縄県立図書館において、昭和7(1932)年に琉球新報に掲載された『あの頃を語る』の記事を閲覧中に、ずっと探していた安村つる子女史(1881~1943の思い出話を見つけることができました。安村つる子(旧姓久場ツル)さんは明治14(1881)年首里にうまれ、沖縄初の女性教員として首里尋常高等小学校に勤務、琉球・沖縄の歴史上初めて学業によって身を立てた女性です。実はそれだけではなく、安村女史は

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【暫定】尚王家の悪行で打線を組んでみた。

今回はちょっと趣向を変えて、ブログ主独断で尚王家の悪行で打線を作成してみました。

昔、琉球王国時代のぐう畜エピソードで打線を組んだことありますが、王家限定でもハイレベルの悪行が確認できます。上位打線が鬼畜レベルで草も生えませんが、いまから紹介するエピソードは紛れもない史実です。今回は解説はなしで淡々と事例のみ紹介しますので、読者の皆さんぜひご参照ください。もちろん異論は認めます。

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那覇市久米付近を散歩してみた結果…

今回は史跡めぐりの一環で那覇市久米を散策したところ、予想の斜め上をいく”じわじわくる”ポイントが複数見つかりましたので、ためしに記事にまとめてみました。

ちなみに旧久米村は以前は唐栄(閩人=福州出身の中国人)たちの居住地で、廃藩置県後に那覇に合併された歴史があります。琉球・沖縄においては古い歴史を持つ地区であり、いまでもその痕跡は残されています。読者のみなさん、ぜひご参照ください。

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図解してみた – 幻の組織”極南会”

昭和38(1963)年11月21日から、又吉世喜殺害未遂事件(ほか証人脅迫)の裁判が米国民政府高等裁判所で始まりました。被告人は喜舎場朝信、新城喜史で、実はこの裁判は琉球・沖縄の歴史上初の”大陪審員制度”で行われた歴史的な出来事です。

ちなみに実行犯の(疑いがある)山中一夫は国外である”宮崎県”で逮捕されるというこれまた異例の展開ですが、この裁判においてコザ派内部に”組織”が存在していたという証言が飛び出して世間は騒然とします。

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黑い首里城

令和元(2019)年10月31日の首里城正殿および関連7棟の火災がキッカケで、ブログ主も改めて首里城関連の史料をいろいろチェックしようと思い立ちました。実は建築に関しては素人(プラスあまり興味がない)であることと、首里城に関しては語り尽され感があったので当ブログでもほとんど取り上げていませんが、今回改めて調べてみること思わぬことに気がつきましたので早速ですが纏めてみました。

首里城正殿は令和の火災を含めると5回焼失しています。1回目から3回目までは『球陽』の記載をまとめると、

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ぶっそうな琉球社会

いまさらですが、アメリカ世の時代は琉球・沖縄の歴史上もっとも物騒な時代だったと考えています。象徴的なのが”交通事故”と”未成年者犯罪の激増”の頻発で、そこから生じる治安の悪さは琉球社会の大問題になっていました。

ちなみに治安が悪かった理由のひとつには、戦後の人口増に対して琉球警察の人員が足りなかったことがあります。たとえば中部地区で最も犯罪が多かったのが美里村吉原(当時)ですが、昭和38(1963)年の記事をチェックするとなんと警官不足で派出所が設置されていません。

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新城喜史さんとはこういう人なんだと思った件 – その2

今回は新城喜史さんのエピソードを紹介します。前回の記事で那覇市の繁華街で暴れた挙句に国外に逃亡したお話を紹介しましたが、今回も負けず劣らずのやらかし話ですので、読者のみなさん是非ご参照ください。

その前に彼のフルネーム(漢字)ですが、当時の新聞を参照すると「義史」「義文」あるいは「喜史」と記載されています。いったいどの表記が正しいのか気になりますが、昭和49(1974)年10月の新聞紙上に掲載されたお悔やみ欄には”新城喜史”と表記されていましたので、当ブログにおいては”喜史”と記載します。

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ありし日の首里城公園の様子

既にニュースなどで大々的に報道されていますが、10月31日に首里城公園内で、正殿をはじめ主要7棟が火災の被害にあいました。正殿と北殿は全焼とのこと、”復興の象徴”として再建に尽力してきた方々の思いを考えると心が痛みます。

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昭和&平成の香りただよう喫茶店でステーキを食してきたお話

先日那覇市泉崎あたりを散策している際に、”ステーキ200グラムで1000円”の看板に引かれて、ためしに立ち寄ってみたまんが喫茶があります。

今やまんが喫茶でも1000円ステーキを提供しているんだなと驚きつつ、意外にうまかったのでさっそく記事としてまとめてみました。簡単なまとめ記事ではありますが、B級グルメ好きの読者のみなさんぜひご参照ください。

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すごい写真が見つかったんだけど

先日、祖母の遺品整理中に「なんでこんな写真がうちにあるの???」という写真がいくつか見つかりましたので、その一部を掲載します。

戦前、戦後、復帰後、および外国、なぜか皇室の写真まで見つかったという驚きの内容です。大量の写真のなかのごく一部の写真を加工してアップしました。参考までに簡単な説明もつけましたので読者のみなさん是非ご参照ください。

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仮説『万国津梁の碑文』- その2

前回の記事で”万国津梁の碑文”についてブログ主なりに説明しました。今回はなぜ尚泰久王が仏教に”ハマったか”について考察します。

ちなみに尚泰久王は明暦景泰5年(1454年)、46歳の時に即位して、1460年に亡くなっています。その間に建立した寺院の一覧は下記参照ください。

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