著作・論文・まえがき

琉球新報社編 – ことばに見る沖縄戦後史

今回は参考までに琉球新報社編『ことばに見る沖縄戦後史』より、戦果に関する記事を紹介します。ブログ主が確認した限りですが、この記述が一番わかりやすい内容となっています。読者のみなさん、ぜひご参照ください。

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昭和天皇崩御三十年に思うこと

本日(1月7日)は昭和天皇崩御から30年です。ブログ主は毎年この日が訪れるたびに悔やまれるのが、復帰直後の天皇行幸が実現しなかったことで、当時の沖縄県民の抱える被差別意識を払しょくする最大のチャンスを逃してしまったことです。『屋良朝苗回顧録』を参照すると、天皇行幸のチャンスは二回あり、一つは昭和47年11月26日の植樹祭、もう一つが翌年5月に開催された若夏国体です。両イベントともに天皇・皇后両陛下のご臨席を慣例としていましたが、沖縄の特殊事情を鑑みて両陛下をお迎えすることなく開催されました。

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蔡溫時代の人民 – 眞榮田義見

正月休みの炉辺の話題になつたらという積りで標題の事を旧こうの中から二三を拾ろい集めてみる。

世界は人民に依つてのみ成立し発展して来たのに人民は過去に於いて不当にしいたげられていた。人民が自由をかち得たのは近世になつてからの事で、近世史は庶民と封建勢力との血の斗争を示している。沖縄の歴史も支配者の政●史支配の歴史は今まで教えられて来た。

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中世的意識のままのソ連労働者

今回は、沖縄の歴史とは直接関係はないのですが、小室直樹著『ソビエト帝国の崩壊』(光文社)の一節を紹介します。同著第1章第3節「中世意識のままのソ連労働者」(51~59㌻)からの抜粋ですが、資本主義社会とそれ以前の社会における労働者の意識の違いを分りやすく説明しています。我が沖縄における廃藩置県以前の労働者の行動様式を理解するうえでのもっとも参考になる一節ですので、読者のみなさん是非ご参照ください(文章のなかに現代にはなじまない表現が一部ありますが、今回は訂正せずに原文をそのまま書き写しました)。

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佐々淳行氏死去のニュースで思い出した話

今月10日、安全保障のパイオニアとして知られる佐々淳行氏が死去したとのニュースが報じられました(産経ニュース – 佐々淳行氏死去)。我が沖縄とは直接関連性はないのですが、治安あるいは抑止力の本質に触れた一節を思い出したのでこの場をかりて紹介します。長谷川慶太郎著『2016年世界の真実』の第5章「朴槿恵の韓国と習近平の中国」(146~150㌻)の中で佐々氏のエピソードが記載されていました。読者の皆さん是非ご参照ください。信じるか否かの判断はお任せします。

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対談 – 復帰の“意味”を追求する

本日は46回目の復帰の日、そこでブログ主にて当時の新聞をチェックしたところ、実に興味深い記事を発見しましたので今回全文を掲載します。昭和47年5月15日 – 琉球新報復帰特集号の第2集に佐久川政一さん(当時沖縄大学学長)と復帰協事務局長との対談が掲載されていました。佐久川政一という極めて香ばしい名称に心魅かれて記事をチェックしたのですが、当時の復帰協(祖国復帰協義会)と革新系知識人の考え方を推察することができる貴重な内容となっています。

ただし予備知識なしで読むと意味不明なところもありますので、捕捉として、①対談者が「(戦後)民主主義=反ファシズム」と考えている、②冷戦は単なるイデオロギー闘争である、③そして日本国憲法を遵守することが戦前の大日本帝国の政治体制との決別と考えていることを念頭におけば対談の意図が理解できると思われます。読者の皆さん是非ご参照ください。(主体という言葉でちょっと吹いてしまうのは内緒でお願いします)

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「和歌」の前に平等な日本人 – 渡部昇一

カーストを超越して成立した「万葉集」

ある国民の特徴を見るとき、彼らが「何の前において万人は平等と考えているか」ということが、おおいに参考になる。

たとえばユダヤ=キリスト教圏においては、「万人は神の前において平等」という考えが圧倒的である。だから中世の宗教画を見ると、ローマ法皇が地獄に堕ちたりしている。どんなに教会的に高位を占める法皇でも、神の目から見れば奴隷と同じなのである。

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桑を指して槐を罵る – 望月依塑子、森ゆうこ著 『追及力』 の書評

先日ブログ主は望月依塑子記者と森ゆうこ議員の対話録 『追及力』 を購入しました。望月さんは菅官房長官との会見でいちやく有名になった東京新聞の記者ですが、正直なところ「おバカな質問を連発しているな」ぐらいの印象しかありませんでした。だがしかし、彼女の著作を参照した際に面白いことに気がついたので当ブログで書評として記事を掲載します。 

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琉球共和社会憲法C私(試)案 – 全文

今回は昭和56(1981)年5月15日起草、そして『新沖縄文学 6月号(48)』に掲載された、「琉球共和社会憲法C私(試)案」の全文を掲載します。なお解説(という名の突っ込み)は後日改めて述べることにして、先にこの私案が起草された背景について説明します。

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仕方ない書評

12月25日の日刊ゲンダイDIGITALに掲載された、朝日新聞論説委員の高橋順子氏のインタビューがネット上で絶賛大炎上しています。その原因がインタビュー冒頭の部分、「新聞記者は、ウラを取って書けと言われるが、時に〈エビデンス?ねーよそんなもん〉と開き直る。政治部次長だった時に書いた朝日新聞社のコラム「政治断簡」をまとめた著書『仕方ない帝国』(河出書房新社)が評判だ。」の部分です。ちなみにエビデンス(evidence)の意味は大雑把に言って、「確固たる証拠、裏づけ」になります。果たして裏づけ(エビデンス)なしで本当に記事を書いていたのか、興味を持ったブログ主は早速ですが『仕方のない帝国』を入手して呼んで見ました。

〈エビデンス?ねーよそんなもん〉の部分は19㌻の中にありまして、その前後の部分を抜粋すると、

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上り日ど拝みゆる、下り日や拝まぬ

以前当ブログで掲載した翁長助裕さんの論文の記事が予想の斜め上を行くアクセス数を獲得し、ブログ主は大いに驚いた次第であります。Facebook ページで賀数仁然さんはじめ多数の“いいね”の反応があり、50年前の論文とはいえ現代の沖縄県民も“うちあたい”しているんだなと実感せざるを得ませんでした。

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翁長助裕さんが指摘した沖縄の人たちの欠点

ここ数日、ブログ主は伊波普猷先生の論文、「沖縄人の最大欠点」を読んだのがキッカケで、各時代における識者が指摘する沖縄県民(あるいは沖縄県人、琉球人)の欠点についてあれこれ調べていました。ちなみにブログ主は現在の沖縄県民の大欠点の1つは“テーゲーとシムサの発想にある”と仮定していますが、この件については後日記事を掲載する予定です。今回は1960年代の琉球新報に掲載された2つの論文を紹介します。

執筆者は翁長助裕(おながすけひろ)氏で、現沖縄知事の雄志氏の兄にあたります。法政大学大学院を卒業後に琉球新報に掲載された論文ですが、当時の沖縄の人たちの欠点を実に見事に指摘しています。50年後の今日も通じる面がありますので、読者の皆さんご参照下さい。

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琉球見聞録 – 序

20170524

今回は史料として『琉球見聞録』の序文を掲載します。歴史的に有名な伊波普猷先生の「琉球処分は一種の奴隷解放也」の論文が有名ですね。琉球見聞録の著作者である喜舎場朝賢氏の序文は意訳等はなしでそのまま掲載します(伊波先生の論文は旧漢字を訂正しました)

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