コラム

黒い祖国復帰運動

今回もアメリカ世時代の新聞ネタをもとに記事を作成しますが、昭和39(1964)年8月7日付琉球新報夕刊1面に”ものくゆすどわが御主”というタイトルで祖国復帰に関する世代間対立のコラムが掲載されていました。

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ファンタジスタ

昭和36(1961)年から2年近くにかけて、山里永吉先生が『壷中天地』と題したコラムを琉球新報に掲載していました。後にその一部が単行本化されますが、今回この中でもっとも香ばしいコラムを紹介します。

当時はアメリカ施政権下の時代ですので、「昔に比べて云々」のコラムが大衆受けしていた傾向があります。それにしてもいわゆる「大交易時代」あるいは「万国津梁の鐘」についてここまでロマンティックに記述した文章はなかなかお目にかかれません。読者のみなさん、是非ご参照ください。

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岸本賀昌さんから学ぶこと

今回は岸本賀昌(1868~1928)さんについての記事を掲載します。現代の沖縄県民にとっては忘れられた存在かもしれませんが、戦前の沖縄県においては、漢那憲和屋部憲通などと並び称された三大有名人でした。

彼は明治15年(1882年)に県費留学生として上京し、慶應義塾を卒業後つねにエリートの先端を切って歩いた人物です。その経歴は『沖縄の百年 – 第一巻人物編』から抜粋しましたので是非ご参照ください。

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とみに逝くながきにわたりきよしかな

本日午後3時ごろ、当ブログにてかつて取り上げたことのある人物の訃報のニュースに接し、さっそくブログ主はその真偽を確かめてきました。そしてそれが事実であることを知り現地で驚いた次第であります。

平成30年から令和元年にかけて”昭和の往ける伝説”と称しても過言ではない人物の訃報が目につきます。先日もジャニー喜多川さん、竹村健一さん、そして本日といい一時代の終わりを痛感せざるを得ません。簡単ではありますが現地レポートをまとめましたので読者のみなさん是非ご参照ください。

*余談ですが、本日午後あたりから該当の人物を取り上げた記事のアクセス数が異様に伸びてましたので、この件は案外世間に知られているんだなと実感しました。

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託孤寄命章

以前、ブログ主は「選挙における候補者選びについて真面目に考えて見たところ」というお題の調子に乗った記事を配信しました。いま読み直すと表現がどぎつい箇所が多々ありますが、考え方そのものは今もかわっていません。

だがしかし、今回はちょっと趣向を変えて「こういう候補者選びの方法もある」ということについて紹介します。まずは『論語』の一章をご参照ください。

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自衛隊は日本軍の後継者なのか、違うのか

今回はひさびさに沖縄タイムスのコラムに対する真面目なツッコミ記事を掲載します。令和元年6月24日付沖縄タイムス1面〈大弦小弦〉を読んだところ、見過ごすことができないミスリードがありましたので、勝手ながらブログ主にて訂正記事を掲載します。

全文を書き写しましたので、読者のみなさま是非ご参照ください。

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琉球王国時代の穴屋を見にいったお話(2年ぶり2度目)

実は以前に当ブログにて掲載したことありますが、今回は2年ぶりに琉球王国時代の民家について言及します。明治34年1月11日付琉球新報に「芋の葉露」と題打ったコラムが6回掲載され、当時の田舎社会の暮らしぶりが詳しく記述されていました。その中に住宅に関する記述がありましたので、参考までに現存する海洋博記念公園内「おきなわ郷土村」に展示されている穴屋(あなや)を再び取材してきました。

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上級県民の一例

以前、当ブログにて「上級県民の考察」と題した記事を配信しました。今回は昭和52年(1977年)に実際に起こった出来事を例にして、ブログ主なりに上級県民の生態について言及します。

その出来事とは毎年15日に行われる那覇市主催の成人式に自衛隊員を招待しない問題で、昭和52年1月12日に自衛隊側が那覇市に対して質問状を提出したことから大問題になりました。その時の記事は以下ご参照ください。

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琉球古代史の難問

ここ最近ブログ主は血縁カリスマの考察のために、『中山世鑑』などの史料を中心に琉球古代史についてチェックしています。よく考えてみるとブログを運営して3年経過しましたが、琉球古代史はあまり触れてきませんでした。その理由が ① 四書五経など朱子学の知識が足りないこと、② 漢文や読み下し文の史料を読みこなす力が不足していたこと、③ そしてなにより琉球古代史は地雷原そのものなので、うかつに手を触れるのは危険かなと思ったからです。

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