先日ブログ主はアメリカ世の昭和32(1957)年1月に日本プロレスの力道山一行が来島して、3日間にわたって那覇市久茂地でプロレス興行を開催した記事を見つけました。
突っ込まざるを得ないシリーズ
ものくゆすど、わ御主
先日ブログ主は史料チェックのため沖縄県立図書館の郷土資料館でまったりと涼んでいました。その際に山里永吉先生*の著作を読んでいたところ、突っ込まざるを得ない記述があるのを発見しました。
せっかくなのでその部分をコピーして全文を書き写しました。読者のみなさん是非ご参照ください。
*山里永吉(ヤマザト・エイキチ:1902~1989)戦前・戦後を代表する文化人の一人。画家、作家、歴史家、陶芸家。琉球史劇「首里城明け渡し
突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – やべーじじい発見
今回は沖縄ヤクザ関連の史料をチェックしているうちに発見した “カジマヤー” の記事を紹介します。昭和37(1962)年10月5日の琉球新報夕刊に前里宗快さん(97)のカジマヤーを祝う記事が掲載されていました。すごくいい話ですが、少しひっかかった部分があったので記事の一部を書き写しました。読者のみなさん是非ご参照ください。
*カジマヤー:数え年97歳のときに行われる長寿祝いで、旧暦9月7日に盛大に催されるのか慣例です。
ウチナータイム
先日よりツイッターで話題になっている不良マンガ「東京から沖縄に転校してきた不良の四コマ」でいわゆるウチナータイムに言及している箇所がありました。ウチナータイムはウィキペディアにも登場する程のウチナーパワーワードですが、ウィキの説明はちょっと凝りすぎるところがありますので、わかりやすい例として斎湖 伴仗さんのツイッターを引用します。読者の皆さん是非ご参照ください。
突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – 明治廣告編
今回の突っ込まざるを得ないシリーズは、明治時代の琉球新報に掲載されたじわじわくる広告を紹介します。明治33年(1900年)7月15日付で琉球新報は紙面を拡張しますが、実は17日付の2面で新聞広告についての論説を掲載しています。この論説は後日改めて紹介しますが、その内容は新聞広告は単に新聞社の利益のみならず、広告主や読者にも多大な利益になることを丁寧に説明しています。当時の琉球新報が如何に広告を重視していたかを伺わせる内容ですが、では実際にどのような広告が掲載されたのか気になるところです。
実際に当時の新聞をチェックすると大半は真面目な内容ですが、中には突っ込まざるを得ない広告もありましたので、今回はその中から選りすぐりの広告を抜粋しました。読者の皆さん是非ご参照ください。
突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – 大弦小弦
今回は平成31年4月7日付沖縄タイムス〈大弦小弦〉について言及します。まぁいろいろツッコミどころ満載の内容でしたが、要は普天間基地の辺野古移設反対運動をサポートする目的で執筆・掲載されたと見做して間違いありません。結論が決まっていて、それに合致する事柄をペタペタ貼り付けているので、どうしても文章に無理が生じます。しかも500字程度にまとめる制約がありますので、執筆者の苦労は察するに余りありますが、とりあえず全文を書き写しましたのでご参照ください。
突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – 大正編
今回は突っ込まざるを得ない大正時代の事件を紹介します。大正2年(1913年)に県庁放火(1月18日)と東町大火(2月11日)という歴史的な事件が発生し、それに関連して『琉球新報』の記事をチェックしていると目を疑うような内容のニュースを複数目の当たりにしました。その中から3つほど記事を紹介しますがブログ主判断で旧漢字を訂正し、必要に応じて句読点を配置しています。読者のみなさん、気合を入れてご参照ください。
昭和あるある – 暴力追放宣言決議(全文)
昭和 51 年(1976 年)12 月 6日、暴力団上原組が那覇市安謝の曙町に”山口系大平組直系上原組”の看板を掲げたことで、地域住民および那覇市が大さわぎになった案件があります。第四次沖縄抗争のいきさつについての説明は割愛させていただきますが、同月 12 月 17 日の那覇市定例議会では、本会議冒頭にて「暴力追放宣言」を採択、同月 19 日には那覇市安謝で「暴力追放住民総決起大会」も開催され、その結果上原組は安謝から撤退せざるを得なくなりました。この件に関して 17 日付琉球新報から該当する記事を書き写しましたので、読者の皆さん是非ご参照ください。
突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – 戦果編
戦後から復帰前までの沖縄を舞台に「戦果アギヤー」をヒーローにした青春小説「宝島」が、沖縄県内で異例の大ヒットを飛ばしているようで、沖縄県立図書館にも貸出予約が殺到しているようです。
直木賞「宝島」、読めるのは3年後!? 沖縄県立図書館に予約殺到
残念ながらブログ主はまだこの小説を読んでいませんが、昭和 20 年から 27 年ごろにかけての”戦果”の実態についてはある程度把握してますので、今回蒐集した史料の一部を公開します。注意点として現代人にも読みやすいように記事の旧漢字は訂正し、必要に応じて句読点も追加しました。あと印刷つぶれの箇所は無理に推測はせず●で表記してます。ホントは怖い”戦果”のお話、読者のみなさんぜひご参照ください。
突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – スポーツ編
平成30年(2018年)10月6日付の “Number Web” に “プロ野球選手の昔の風格が凄かった!衣笠祥雄の秘蔵写真とカメラマン秘話” と題したコラムが掲載されてましたが、その中の全日空ボーイング737機のタラップから降りてくる広島東洋カープの選手たちの写真を見たときに、ブログ主は最初絶句その後爆笑してしまいました。
突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – ツミジュリの情夫狂い
気が付くと当ブログも今回で 600記事の配信となりました。平成28(2016)年5月19日から開始して2年余り、よくぞここまで続けることができたもんだとちょっと自分を褒めつつ、目標の 1000記事配信まで気合を入れて頑張ろうと決意を新たにした次第であります。
今回は600記事配信企画として、明治時代の鬼女のお話を紹介します。明治31(1898)年8月29日から3回にわたって琉球新報にて連載された『ツミジュリの情夫狂い』と題する物語で、現代の”鬼女速”に掲載されているような内容です。ただし現代ではあまり使われない用語が複数ありましたので、ブログ主でいくつか説明すると、
突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – うるま新報編
今回の突っ込まざるを得ないシリーズは、昭和24年から25年にかけて『うるま新報』に掲載された記事をピックアップしました。沖縄戦後のドサクサで社会秩序が混乱していた時期らしく、じわじわくる事件が満載です。秀逸なのがタイトルの付け方で、この点は現代の記者よりも優れているのではと思います。読者のみなさん、ぜひご参照ください。
突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – 明治編
突っ込まざるを得ない記事シリーズも5回目になりますが、今回は明治時代の琉球新報から選りすぐり?の記事を掲載します。当時の新聞をチェックすると雑報として地域のニュースが報じられていて、これがなかなか面白く不覚にもブログ主ははまってしまいました。その中から無駄に文章がうまく、なおかつツッコミどころ満載の記事を書き写しましたので読者の皆さん是非ご参照ください。
突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – その4
今回は昭和38(1963)年の琉球新報社会面を中心に “突っ込まざるを得ない記事” の特集です。当時の記事を参照して痛感するのはアメリカ世時代の琉球住民と現代の沖縄県民との意識の違いです。
突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – その3
今回の突っ込まざるを得ない記事シリーズは、昭和37年から38年にかけて大問題になった “少年非行” に関する記事を取り上げます。琉球新報の社会欄を参照すると、連日のように少年少女の非行に関するニュースが報じられ、昭和38年には計7回の特集記事まで掲載されていました。