今年の1月21日から県内の各地映画館で “ミラクルシティコザ” が絶賛上映中です。昭和45年(1970)前後のコザを舞台にした映画ですが、実は50年後の今日でもコザでは “ミラクル” が起きることを痛感した出来事があります。
基地の街エレジー(1) 街角の女
夜更けの街角、詩になるようなこの言葉も中部の街で拾うと、面白い、おかしい悲しいエピソードの数々となってくりひろげられる。一言に基地の街とはいっても、そこに住んでいるのはやっぱり私たちの仲間だ。昼働く仲間、夜働く仲間、あすのために働く仲間の奏でる「基地の街・エレジー」にしばし耳をかたむけてみよう。
裏通りのオデン屋……その名はゆき子(26)。コクハイのグラスを右手にドロンとした赤い眼を向け、しんみりとした口調で訴えるように、あざけるように長々と語る。
私にだって青春が……短い青春だったが……あったんだ。中学を卒えた年、すぐ軍の洗濯女になり、小さい体で一生懸命働いたよ。
続・ウクライナ問題の教訓
前回 “ウクライナ問題の教訓” と題した記事を配信しましたが、現在進行中のロシアとウクライナの係争はクリミア半島と黒海艦隊の帰属問題とは切り離せない部分がありますので、追記という形で記事をまとめてみました。
【旭琉會】永山暫定代表の就任について
今月13日の琉球新報DIGITAL版に唐突な感じを受けましたが、”沖縄の指定暴力団「旭琉会」の暫定代表、永山幹事長が就任 世代交代への足固めか” と題した記事が配信されていました。
配信当時はあまり興味を持たなかったのですが、ヤクザ関連の史料整理中に、今回の人事の重大性に気が付きましたのでブログ主なりに解説します。
ウクライナ問題の教訓
今月24日、8年にわたる内戦状態にケリをつけるべく、ロシアのプーチン大統領がウクライナへの軍事行動に踏み切りました。
ブログ主はもちろん国際政治の専門外であることは承知の上で、今回のウクライナ危機から “教訓” を見出しましたので、当ブログにまとめてみました。ぜひご参照ください。
祖国復帰運動の矛盾 – われら日本国民(強制したとは言ってない)〈その1〉
(続き)以前、当ブログで掲載した記事、 “復帰協が残した教訓 – その2 経歴” の中で、復帰運動を主導する民間団体の結成が当初はうまくいかなかった件について言及しました。
祖国復帰運動の矛盾 – プロローグ
今年は我が沖縄が本土に復帰して50年の節目の年にあたります。ちなみに恒例の “復帰についてのアンケート” では、毎回 “復帰してよかった” の回答が8割前後を占めることはよく知られています。
沖縄タイムスの本質
前日(15日)にツイッター上で(偶然にも)石井孝明さんと沖縄2紙について少しだけやりとりをしましたが、それにヒントを得て、今回はブログ主なりに沖縄タイムスの “本質” について言及します。
日常生活には役に立たない沖縄ヤクザ・トリビア
今年は我が沖縄が本土に復帰して50周年の節目にあたります。それに関連して本土の組織暴力団(山口組)の沖縄進出について調べつつ、これまで蒐集したヤクザ関連の史料を整理したところ、興味深い事実を再発見することができました。
うちなーの正覚者
当ブログにおいて、前回 “うちなーの奥義” と題した記事が意外な反響を呼びましたので、今回はそれに関連して “うちなーの正覚者” について言及します。
国琉会について
前回の記事で復帰前後の山口組の沖縄進出について説明しましたが、今回は昭和45年(1970)4月に沖縄に進出した “国琉会” について言及します。
山口組の失敗
(続き)前回の記事で、アメリカ世から復帰後にかけて山口組の沖縄進出が失敗した理由はただ一つ “人材選びを誤った” と言及しました。今回はブログ主の手持ちの史料を利用して、この点について言及します。
アメリカ世時代の沖縄と山口組
昭和47年(1972)5月14日付琉球新報12面に” 沖縄に任侠道を…” と題して復帰後の沖縄に山口組が本格的に進出する(であろう)記事が掲載されていました。
参考までに当時の沖縄には親山口組の組織として “東亜友愛事業組合” が存在していましたが、それとは別に山口組は2年前の昭和45年(1970)4月に “国琉会” として那覇進出を試みましたが、わずか一か月で撤退した過去があります。
うちな~の “奥義”
今月23日に投開票が行われた名護市長選挙は、大方の予想通り現職の渡具知武豊氏が新人候補に圧勝しました。傍目で見ても岸本候補の力量不足は明らかであり、この案件については後日言及するとして、今回は我がうちな~の “奥義” を大公開します。
醜い “反差別運動”
すこし前の話ですが、令和3年(2020)3月10日の参議院財政金融委員会で麻生太郎氏が「武漢発のウィルスの話で、『武漢ウィルス』というのが正確な名前だ」と発言したことに対し、既存マスコミから批判の声が相次ぎました。