ここ数日、ブログ主らしからぬ真面目かつちょっとホラーな記事を掲載してますが、史料作成中たまたま琉球独立に関するじわじわくるツイートを見かけましたので、息抜きがてら調子に乗って言及します。
※「二代目聞得大君の謎 – その3」は次回アップします。
ここ数日、ブログ主らしからぬ真面目かつちょっとホラーな記事を掲載してますが、史料作成中たまたま琉球独立に関するじわじわくるツイートを見かけましたので、息抜きがてら調子に乗って言及します。
※「二代目聞得大君の謎 – その3」は次回アップします。
(続き)今回は二代目の峯間聞得大君について考察しますが、彼女の存在は史料上で二例確認することができます。一つが18世紀初期ごろに編纂されたと考えられる『女官御双紙(にょかんおそうし)』、もう一つが向氏家譜(小禄家)の一世浦添朝満(うらそえ ちょうまん)の項です。
※実は「峯間」の読み方が伝わっていないため、とりあえず日本語の「みねま」のフリガナを宛てておきます。
80%は米軍人・軍属が占める 麻薬中毒者 – 。そのいまわしい幻覚のいきつくところには「死」と「犯罪」がまちうけている。“白い快楽のくすり” は人間を廃人に追いこむ。廃人に至る過程には、ヘロインに財産を吸い取られ、麻薬代を工面するために殺人すらいとわない凶悪犯罪の影がつきまとっている。麻薬のとりこになってしまうとおしまいだ。
警察 – 税関の合同捜査カラ振り 「宜野湾市普天間のアパートでヘロインの取引がある」– 。CIDからの情報だ。県警麻薬特捜隊の隊長・山城常茂警部は、小渡良勇警部補の第一班の出勤を指示した。指令を受けた小渡班は取引の舞台となる民間アパートの張り込みを昼から開始した。
取引は九月二十五日午後八時。同日午後七時三十分、小渡班は普天間署に集結した。沖縄地区税関の取締官の緊張した顔もみえる。県警と税関の合同捜査はまれだ。「きょうの家宅捜索は期待できる」張り込みを続けている捜査員からいい情報が舞い込む。那覇地裁から夕方に出た家宅捜索令状も届いた。あとはタイミングをみはからって踏み込むだけだ。
今年に入って、ブログ主は運営ブログ内の記事を大整理していますが、思った以上に「未完の記事」があることに気が付きました。その中の一つに “古琉球の深淵 – おぎやかの謎(1)” と題した記事があり、連載当時は興味深いテーマだったので、史料集めなど気合を入れて作成したのですが、気が付いたら続編をアップすることなく、1年以上放置されていました。
一日三万六千円も麻薬代につぎ込む 「一日六千円(約十七㌦)– この男はそれだけかかっているんだ、ひどいもんだ中毒っていうヤツは…」とある捜査員が言う。「この麻薬天国・沖縄にあてはめて考えてごらんなさい。少なくとも米兵など外国人三千五百人、沖縄の人らが千人。合わせて四千五百人の中毒患者がいるんですよ。たいていの患者は五千四百円から六千円は使う。なかには一万円、一万五千円というのもいる。ひどいのは一日三万六千円だ。一週間は七日ですよ。七日。とてつもないでっかい数字にふくれあがりますよ」
本日、ブログ主はネタ探しを兼ねてネットサーフィンで暇をつぶしていたところ、来月(2月)どん亭(現在那覇に3店舗)が豊見城にオープンするとの嬉しい記事が目に留まりました。実はブログ主も沖縄県立図書館で史料集めの帰りに、どん亭牧志店にはお世話になってますので、今回は “りうきうの漢の定食” ともいえる「どん亭スペシャル」の完食レポートをアップします。B級グルメ好きの読者の皆さん、是非ご参照ください。
すでにご存じの読者もいるかと存じますが、今月17日に「高校生失明事件」に端を発した沖縄署襲撃事件に関し、”襲撃を主導” したとみられる22歳の暴力団構成員が逮捕されました。
コザ市山里区の西 – 。郊外の松林は雑木にかこまれた金網の建て物がある。ここが琉球少年院 – 。”黒い芽” たちが裁判所を経て、最後に行きつく教育の場である。職員は、教官、事務員を合わせて50人。108人の男子と女子20人を収容する。
金網と官舎、狭い中庭と教室 – 。ここの設備は、いたって乏しく、定員の2.4倍を超越する収容児童たちは、文字どおりに身動きできない窮屈さと、うつ積するエネルギーのやり場のなさに “動物扱い” だと怒る。しかし少年たちの顔は明るい。それは “おかあさんが面会で笑顔をみせてくれた” から。そして “父が元気でやっているか” と、久しぶりに肩を抱いてくれたからだという。
本日、ブログ主は沖縄県立博物館に籠って、「おもろそうし」の写本や必要な史料をコピーしてきました。ひさびさの写本作業はさすがに疲れたので、帰りがけに疲れ直しに那覇市辻町を散策中、じわじわする光景に出くわしました。せっかくなので写真撮影し、当ブログでアップします。最近真面目なネタが多かったので、読者の皆さん、息抜き代わりにお愉しみください。
多和田会長射殺事件は犯人2人の早期逮捕と県警の厳重な警戒体制が功を奏して、今のところ内部抗争に発展する気配もなく、事態はいちおう沈静化の方向に動き出したようだ。しかし暴力をバックにした不法集団内部の陰湿な権力闘争によって、県民の受けた迷惑は計り知れない。
(続き)10代の経験が、後年に及ぼす影響についてはよく知られていますが、今帰仁さんも例にもれず、13歳から17歳までの4年間に受けた教育がその後の生きざまに決定的な影響を及ぼしたことは間違いありません。
その前に、彼女が如何に “特別な存在” であったかについて同級生の証言を紹介します。
(続き)今回は、ブログ主が確認できた史料を基に、作成した今帰仁延子さんの年表をアップします。すると、幼少期の体験が今帰仁さんに決定的な影響を与えていたことが理解できますので、そのあたりをできる限り、そして調子に乗って分かりやすく説明していきます。
タイ国、専売制度を設け売りさばく いわゆる「発見の時代」にヨーロッパ人がやってくるまで、東南アジアの人々は、アヘンを知らずにいた。アヘンが公然と流れるようになったのは十九世紀。それは、十八世紀にイギリスの「東インド会社」が中国にアヘンを持ち込んできたのが最初だという。アジア人にアヘンは膨大なもうけになることを教えたのは今世紀になってからといわれる。一九二〇年ごろになると、タイ政府がアヘンから吸い上げた利益は、国庫収入の十五 – 二〇%を占めたという。
現役女性軍人が重要な役割 麻薬を運ぶ方法は、直接人間が持ち運ぶのと、物だけを送るという方法があるのは前回で述べた。もっぱら人間に運ばせていた “沖縄マフィア” の場合はどうだったか – 。
“運び屋” ハリー・キャッシー(二六)は現役女性軍人である。彼女は “沖縄マフィア” の中でも重要な任務を背負っていた。県警では、春先に得たいくつかの有力な情報から “運び屋” の中心人物はキャッシーに間違いない – との確信を持った。それ以後八月十日に逮捕されるまで、まる五カ月間の追跡が昼夜を徹して行われたのである。張り込みにつぐ張り込みが根気強く続けられた。