おきなわのくろいおはなし

今回は県知事選にインスピレーションを得て、ちょっと黑い話題を提供します。実は我が沖縄の政局を語るうえで欠かせないのがアメリカ世を生きた世代に顕著な “現状維持願望” ですが、試しにブログ主なりにいろいろ考察したところ、興味深いことに気が付きましたので当ブログにまとめてみました。

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県知事選について - その3

昭和43年(1968)11月に行われた第一回行政主席通常選挙を含めて、我が沖縄では14回の民選知事選挙が行われてきました(昭和25年の群島知事選挙は例外とします)。

過去の選挙すべてに通じているわけではありませんが、ブログ主からみて今回の選挙の特徴は “あまりにも静かすぎる” この点に尽きます。とはいえ、やはり大選挙なので予想の斜め上を行く出来事が起こるのは避けられません。

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りうきうの闇深な話 – プロローグ

今回も(当ブログ読者の意に反して?)真面目な歴史記事を提供しますが、今回は明治5年(1972)年9月に琉球國王尚泰が “琉球藩王” に封じられて以降のドス黑案件について言及します。

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砂糖前代とりうきう

今回は当運営ブログらしく?真面目な歴史ネタをアップします。1623年に我が沖縄において製糖業が始まったとされますが、興味深いことに大城立裕先生は著書『沖縄歴史散歩』の中で “これが沖縄にとって幸せであったか不幸であったかは決めがたい” と言及しています。

同著89ページによると、

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県知事選について - その2

前回は宮崎政久先生の Facebook を引用して、玉城県政の欠点について(ブログ主らしくなく)厳しく批判しましたが、今回は県知事選へ2度目の挑戦となる佐喜眞淳氏について、ブログ主なりに調子に乗って言及します。

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県知事選について - その1

9月11日投開票(予定)、今月25日に公示の沖縄知事選挙選は、既報通り現職の玉城デニー氏、佐喜眞淳氏、下地幹郎氏の3氏が立候補しますが、今回は当ブログに似つかわしくなく、真面目に県知事選について言及します。

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金城正雄 – まとめページ

今年の6月30日から数回にわたって金城正雄(三代目旭琉会金星一家総長)関連の記事を数回にわたってアップしましたので、読者の便を図るためにまとめページを作成しました。

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俺が調子に乗ってとある噂を確かめに現地を訪れてみたお話

今月15日、ブログ主は宜野湾市民として聞き捨てならない噂を耳にしたため、事の真偽を確かめるべく現地を訪れてみました。

これまで当ブログのグルメ記事において、最終営業日の様子を数回アップしてますが、今回もその類となります。アメリカ世から昭和にかけた一つの時代の終わりを痛感したブログ主でありますが、最終日の様子は改めて紹介するとして、とりあえず記事を作成してみました。読者のみなさん、是非ご参照ください。

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ポーク三昧カレーを食してUSAを超えたお話。

今日は何故か朝から無性の “coco壱番屋のカレー” が食べたくなったので、宜野湾市真志喜にあるラウンドワン宜野湾店を訪れてきました。

実はこの店舗もUSAのお客様が多いことで(宜野湾市民には)知られてますので、今回は前回を超えるメニューを注文・完食してきました。ココイチ好き読者のみなさん、是非ご参照ください。

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金城正雄氏が語る「首領」たち / 沖縄ヤクザの生き字引が「英雄」を語る – 又吉世喜(3)

(続き)復帰後にも心配された本土ヤクザの進出もなくて、結成から3年半ほどが無事に過ぎて、ホッとしていたときに上原勇吉の事件が起きたんです。

じつを言うと、勇吉と私は親しい間柄だったんです。もう1人、山原派の理事の座安久市と3人でよく飲みに行って、いろんな話をしたもんです。勇吉と座安の2人がターリーから1000ドル、私がスターさんから1000ドルもらって、3人で遊技場を経営することにもなってもいたんです。

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金城正雄氏が語る「首領」たち / 沖縄ヤクザの生き字引が「英雄」を語る – 又吉世喜(2)

(続き)金城「スターさんは沖縄のヤクザの世界を守った人です。そして、そのために命を落としたんですよ。あの人を亡くしたことは大きな痛手でしたが、戦中から戦後にかけての沖縄はそういう血をたくさん流さなければならなかったんです。そういう犠牲なくして、沖縄人は生きてはいけなかったんです。命がけで守らなければ沖縄社会はヤマトンチュー(本土人)のものになってしまった。スターさんの死はそういう犠牲の一つなんです。

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金城正雄氏が語る「首領」たち / 沖縄ヤクザの生き字引が「英雄」を語る – 又吉世喜(1)

(続き)那覇派はコザ派よりはかなり遅れて、昭和35年ごろにようやくまとまりを見せたのであるが、首領としてそれを率いたのが、通称「スター」こと又吉世喜だった。

那覇派の母体は空手道場の門下生のグループで、「戦果アギャー」が主体のコザ派とは性格を異にする。どちらかといえば沖縄の武芸者集団といった色合いがあり、コザ派よりも保守的で、本土ヤクザとの交流もまったくなかった。

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金城正雄氏が語る「首領」たち / 沖縄ヤクザの生き字引が「英雄」を語る – 田場盛孝、喜屋武盛一、多和田真山

(続き)那覇派幹部の田場盛孝が、組員約70人を率いて那覇派を離れ、宜野湾市普天間に普天間派を結成したのは、昭和39年4月のことだった。

田場は元は米軍のトラックの運転手をしていて、「戦果アギャー」のリーダーだった。だから、立場としてはコザ派に近かったのだが、彼は喜舎場朝信とも新城喜史とも折り合いがわるかったので、コザ派には加わらなかった。

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金城正雄氏が語る「首領」たち / 沖縄ヤクザの生き字引が「英雄」を語る – 新城喜史

(続き)金城「喜史さんは、情に厚くて面倒見がいい人でした。とにかく気前がよくて、物だろうがカネだろうが惜しみなく人にあげてしまうんです。そのうえ気さくで遊び好きで、社交性が抜群でしたから、若い連中に慕われて人気がありました。

その一方で、非常に感情の激しい人でもあったんです。空手はさほど強い方ではなかったですが、激しやすくて、何かあれば真っ先に飛び出していく行動的なタイプです。ターリーにもかわいがられて跡を継いだわけですが、喜史さんの性格の激しさが、沖縄ヤクザの歴史にかなり影響したと思います」

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金城正雄氏が語る「首領」たち / 沖縄ヤクザの生き字引が「英雄」を語る – 喜舎場朝信

中国が「三国志」なら、コザ派(山原派)那覇派、普天間派、泡瀬派の四派が覇を競ってせめぎ合った沖縄ヤクザは、さながら「四国志」の世界だった。

そこで主役を張ったのはどういう男だちだったのか?

ここでは、その中の六人に焦点をしぼり、三代目旭琉会・金星一家金城正雄総長のコメントをもとに、その人物像を描き出してみた。

三代目旭琉会金星一家・金城正雄総長は、ごく初期のころから那覇派の首領・又吉世喜の舎弟分として那覇派の実務面を取り仕切ってきた。その実績が買われ、彼は沖縄連合旭琉会の結成時から二代目旭琉会の時代まで、事務総長の要職を務めた。三代目になって役職は後進に譲ったが、三代目旭琉会にあってはいわば長老格にあたる人物である。

金城総長は若い時代、又吉世喜と起居を共にしていたこともあって、連合以前の那覇派はもとより、沖縄ヤクザ全般についての生き字引的存在である。

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