本土と沖縄の「保守」の違いについて

本日フェイスブックの玉城有一郎先生の投稿に対して次のような返信がありました。

玉城有一郎 「再び問う。保守とは何か?私自身の為に。」

Akira Chinen 「僕は沖縄生まれの本土育ち。最近沖縄に戻って来ました。沖縄で保守を名乗る人たちは本土の保守とは少し違う沖縄ナショナリストだと感じます。根っこには「沖縄は日本と違う国」だという意識がどこかにあるのではないかと分析しています(中略)。

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キャンプ・シュワブゲート前で女性活動家が負傷した案件について

本日朝、ブログ主が6時半起床後にフェイスブックをチェックした際、実に気になる投稿があったので掲載します。投稿主は横山知枝さん、内容は「辺野古ゲート前で機動隊の暴力により2名が救急搬送されたって聞いたけど、そのういの1名はそのまま入院したって?……。」の物騒な書き込みでした。投稿のスクリーンショットを保存しましたので掲載します。

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明治29年4月20日の女子講習科の入学試験

今回はブログ主が確認した限りですが、おそらく歴史上初の女子に対する選抜入試試験の内容を紹介します。

琉球・沖縄の歴史において女子が小学校へ入学したのは明治18(1885)年ですが、それから11年後の明治29(1896)年に女子講習科(速成の女子教員養成学校)の選抜入試試験が行われます。その内容が非常に興味深いので今回ブログで公開します。

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現代社会の古典離れを憂うお話 その2

Junji_Nishime

現代社会において、「若者の○○離れ」という言葉があります。マスメディアが作り出した言葉のようですが、代表的なのが「若者の車離れ」という語句ではないでしょうか。実は古典も当てはまります。昨今に出版された沖縄本を参照すると、明らかに古典の知識が欠けているなと思われる書籍が非常に多いのが気になります。

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琉球見聞録 – 序

20170524

今回は史料として『琉球見聞録』の序文を掲載します。歴史的に有名な伊波普猷先生の「琉球処分は一種の奴隷解放也」の論文が有名ですね。琉球見聞録の著作者である喜舎場朝賢氏の序文は意訳等はなしでそのまま掲載します(伊波先生の論文は旧漢字を訂正しました)

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産経ニュースの我喜屋優氏のインタビュー記事を読んで思ったこと

20170522

5月22日の産経ニュースに興南高校野球部監督の我喜屋優氏のインタビューが掲載されていました。ブログ主はzakzakの「高校野球名称列伝」などで我喜屋氏のインタビュー等は何度か読んだことがありますが、今回の記事は予想以上に政治的な内容も含まれていて正直な所ビックリしました。全文を掲載しますので先ずはご参照下さい。

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沖縄が日本に復帰した理由の一つを見つけたお話

Chobyo_Yara

本日(5月19日)は当ブログを開始して1周年にあたります。これまで251記事を掲載してきましたが、振り返るとアメリカ軍の占領行政時代の話題がほとんどないことに気がつきました。そこで手持ちの屋良朝苗回顧録(1977年、朝日新聞社刊行)を改めて読み返しているのですが、その中でアメリカ軍の時代において何故日本国への復帰が実現できたのか、理由の一つを見つけることができましたので、そのエピソードを紹介します。

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閑話 我々のご先祖は賢い外交をしてきたのか その9

King_Sho_Tai

これまで長々と、明治8年(1875)5月29日の明治政府の御達書に対する松田道之と琉球藩(交渉役は主に三司官が担当)について言及しました。なぜこれ程惨い交渉になったかと言えば、国王尚泰の決断力のなさが最大の原因であることは間違いありません。補足として琉球藩の行政組織は下図をご参考ください。

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本土復帰の日のコメントを調べてみた

前日(5月15日)は我が沖縄県が本土復帰して45年の節目の年でした。ブログ主は突如世界的に爆発的に蔓延したウィルス(ランサムウェア)「Wanna Cryptor」の対策でPCのセキュリティチェックに忙殺されていましたので、本日(16日)改めて復帰の日に際しての沖縄県知事および各政党のコメントをチェックすることができました。

復帰の日のコメントは大まかにいってパターンが決まっています。テンプレ化していると言っても過言ではありませんが、

「沖縄が本土に復帰してよかった→だがしかし基地問題が云々」

の流れです。それでは沖縄県知事のコメントから紹介します。

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閑話 我々のご先祖は賢い外交をしてきたのか その8

先にフェイスブック上で、明治8年(1875)の松田と三司官との交渉をテンプレ形式でまとめて投稿しました。思った以上に出来がよかったので、一部訂正して当ブログ内でも掲載します。余談ですが大城立裕著「沖縄歴史散歩」のなかで、著者は琉球処分官として来琉した松田道之のことを絶賛していますが、ブログ主も同じ感想です。

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閑話 我々のご先祖は賢い外交をしてきたのか その7

我々のご先祖は賢い外交をしてきたのか?の連載が意外に長引いています。本来ならその5ぐらいで終わらすつもりでしたが、琉球藩時代の当局の対日外交が余りにも稚拙なため、予定を変更して(当時の対日交渉の)失敗の本質の考察を詳細な限り行います。

前回の記事で、明治8年の5月29日の明治政府の御達書に対する琉球藩当局の対応について、

・明治政府の全権委任で来琉した松田道之のメンツを潰していること。

・二枚舌を使ったこと

の2点を厳しく批判しました。実は琉球藩当局が明治政府から委任された松田を頭ごなしにして、直に政府に嘆願しようとしたのは訳があります。ブログ主は、「琉球見聞録」に記載された松田と三司官との間の論戦において、何となくではありますがその理由を垣間見ましたので紹介します。(旧漢字はブログ主で訂正すみ)

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2017年5月6日 とある Facebook の投稿に対して思うこと 続報

5月6日の石嶺香織市議のフェイスブックへの投稿→その投稿を見た支持団体の南西諸島ピースネットの関係者がファミリーマートに苦情を申し入れて自衛隊のDVDを撤去させた件の続編です。案の定5月9日のネット上では炎上していました。ブログ主もこの件で記事を配信したので結果的には炎上に一役かった形ですが、今回の問題点は

石嶺さんの投稿がキッカケで支持団体が動く→実際にDVDの撤去の流れ。

になったことで、彼女が政治家の発言の重みをまったく理解していないことを再表示したことです。しかも支持団体の南西諸島ピースネットが良かれとして行った抗議活動が結果的に石嶺さんを窮地に追い込んでしまいました。だからブログ主は前回の記事において南西諸島ピースネットの対応を「稚拙」と表現しました。その流れを把握した上で、5月11日の沖縄タイムスの記事全文を掲載しますのでご参照ください。

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