残念ながらいつのころか忘れてしまったのですが、とある新聞に「琉球処分が沖縄にもたらしたものはなにもない」と断言された投稿を読んだことがあります。はたして本当に何も無いのか?違和感を覚えつつ今日にいたるのですが、では実際に明治12年(1879)の廃藩置県が我が沖縄社会どのような影響を与えたかを考察してみます。
明治5年(1872)に時の明治天皇によって琉球国王尚泰は琉球藩に封じられます。そしてすったもんだのあげく明治12年の廃藩置県に至るのですが、その間の経緯説明は(今回は)割愛します。その詳細は喜舎場朝賢著『琉球見聞録』が最高の史料ですので、読者の皆さん是非ご参照ください。廃藩置県の結果、琉球藩は廃止され沖縄県が設置されるのですが、その後沖縄社会は漸進的ではありますが政治、社会および風俗文化の改革が行われます。その成果を振り返り、現代社会に影響を与えたものとして、
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早速ですが、孟子の一節をご参照ください。(梁恵王章句下 – 八)
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昨今の沖縄は格安ステーキ店が人気を博しています。そのブームの火付け役の一つである”ジャンボステーキハンズ(HAN’S)”の名物メニューである”ドデカ!! 1000g”シリーズ”に挑んだグルメレポートを掲載します。ステーキ好きな読者の皆さん、是非ご参照ください。
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これまで当ブログにて沖縄の選挙における候補者選び(どちらかといえばNG事項)について彼是述べてきました。3つのチェックポイントの最後の項目を説明する前に(補助線として)翁長雄志氏の著書『戦う民意』の165ページの一節を抜粋します。ご参照ください。
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先日、浦添市城間にある漫画喫茶ブックレストの前を通りがかったときに、「ブックレスト特製35cmメガ盛りカレー」の看板が目に留まりました。これはチャレンジせざるを得ないと決意し、本日(5月29日)実際に突撃したグルメレポートを掲載します。ちなみに35cmで思いつくのは(古い話ですが)12インチのレコード、あるいはステアリングホイールなどの大きさでしょうか。読者の皆さん是非ご参照ください。
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先日ブログ主は、沖縄セルラースタジアム那覇で開催された第47回招待試合(招待校:明徳義塾)の初日を観戦しました。結果は
第一試合 明徳義塾 6-2 KBC学園未来沖縄
第二試合 興南 2-0 明徳義塾
で、ブログ主お目当ての市川悠太投手(明徳)は第一試合に先発、そして完投しました。この結果を踏まえて、平成30年(2018年)6月23日から開催される県予選大会の展望をブログ主が調子に乗って語りますので、野球好きの皆さん是非ご参照ください。
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前回記事において、選挙における候補者選びの際に、「民主主義=反ファシズムである」と考えている(あるいは支持者、支持団体がそう思っている)候補者には投票すべきではない旨を説明しました。ちなみにこのセンスは思いのほか現代社会に根強く残っていて、近代デモクラシーの精神を阻害する最大要因になっていることは否定できません。
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本日は平成30年5月22日、ためしに当ブログの開始日を再確認したところ平成28年5月19日スタートですので、なんと地味に3年目に突入していることがわかりました。そうなると何か“記念企画”なる記事を提供したいところですが、残念ながら全くといっていいほどアイデアが浮かんできません。そこで今回は無理に運営3周年突入企画など行わずに平常運転で記事を掲載します。
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先日ブログ主は、宜野湾市大謝名にある「鳥と卵の専門店 – 鳥玉」に夕食を食べにいったところ、ポークたまご定食を提供していることに気がついて試しに注文してみました。ちなみにポークたまご定食は(ネット上の拾い画像ですが)こんな感じの大衆的な定食で、ブログ主の記憶では平成に入った辺りから(沖縄の)食堂で提供されるようになりました。
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今回は、“キャンプ・シュワブ誘致説”の根拠の一つでしょうか、平成4年(1992年)9月18日の沖縄タイムスに連載された『弁務官周辺の秘話 – ジョージ・サンキ語学将校の証言』の全文を抜粋します。読者のみなさん是非ご参照ください。
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唐突ですが、なんとなくゆるい記事を書きたいとの思いつきから、今回は小渡三郎(おど・さぶろう)さんのエピソードを掲載します。ちなみにこの人、追悼録を読むと打線が組めるほどエピソードが豊富ですが、今回はその中のひとつで昭和19(1944)年に海軍兵学校を受験するために鹿児島で起こした事件を紹介します。
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本日は46回目の復帰の日、そこでブログ主にて当時の新聞をチェックしたところ、実に興味深い記事を発見しましたので今回全文を掲載します。昭和47年5月15日 – 琉球新報復帰特集号の第2集に佐久川政一さん(当時沖縄大学学長)と復帰協事務局長との対談が掲載されていました。佐久川政一という極めて香ばしい名称に心魅かれて記事をチェックしたのですが、当時の復帰協(祖国復帰協義会)と革新系知識人の考え方を推察することができる貴重な内容となっています。
ただし予備知識なしで読むと意味不明なところもありますので、捕捉として、①対談者が「(戦後)民主主義=反ファシズム」と考えている、②冷戦は単なるイデオロギー闘争である、③そして日本国憲法を遵守することが戦前の大日本帝国の政治体制との決別と考えていることを念頭におけば対談の意図が理解できると思われます。読者の皆さん是非ご参照ください。(主体という言葉でちょっと吹いてしまうのは内緒でお願いします)
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今回は昭和31年12月の土地接収に関する記事を掲載します。前述したとおり、昭和30年(1955)年の2度の接収予告では比嘉村長を始め久志村の地主は反対の立場でした。ただし3度目にあたる昭和31年12月20日の新規接収予告においては、「契約を前提」として話がすすみ、そして同月28日にスピード契約という異例の展開となります。
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ここ数日キャンプ・シュワブ関連で昭和30年前後の新聞をチェックしているのですが、やはり時代というかなんというか映画等の広告が現代基準ではありえないほど“エグい”描写になっています。具体的にいえば“よい子が見てはいけない広告”が目立つのですが、この件に関して昭和31年(1956年)12月25日の琉球新報にコラムとして掲載されていました。読者のみなさん、是非ご参照ください。
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前回記事において、昭和31年(1956年)12月22日の沖縄タイムスの記事から比嘉久志村長の談話を掲載しましたが、今回は同日の琉球新報の記事を掲載します。
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