去年の今日(2016年9月16日)、Twitter 上で「来年の今日。沖縄独立。」とつぶやいて大炎上させた人がいました。本日もあと3時間ほどで終了ですが、まだ沖縄は独立する気配がありません。
別に「不屈」は瀬長亀次郎さんだけではないお話 その2
今回は昭和40年(1965)10月の琉球漁業が提訴した第二のサンマ裁判における中央巡回裁判所の判決(いわゆる“前田判決”)の歴史的意義について説明します。その前に、琉球政府および司法機関の設立について簡単に述べると、
ハニートラップがなくても朝鮮労働党と“お友達”だった沖縄の知識人たち
9月13日付の文春オンラインで「前原誠司民進党代表と北朝鮮美女“親密写真”を入手」の Web 記事が掲載され、14日現在のネット上では大騒ぎになっています。本当に“親密”になっているのかは気になるとして、ブログ主が思ったことは、我が沖縄県には別にハニートラップを仕掛けなくても朝鮮労働党と“お友達”になった人たちがいたな……ということです。
ブログ主の知り合いにかつての軍雇用員で、全軍労(全駐留軍労働組合沖縄地区本部)に加入していた人がいます。彼から組合活動の闇の話を聞かせてもらいましたが、裏が取れていないのでそれらの話をブログ上でアップすることはできません。だがしかし、下記に掲載の文章から沖縄の親北知識人の正体をある程度把握することはできると思います。是非ご参照ください。
別に「不屈」は瀬長亀次郎さんだけではないお話
2017年8月12日にドキュメンタリー『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』が公開され、我が沖縄県ではちょっとした亀次郎ブームになっています。瀬長亀次郎さんのキャッチフレーズはご存知の通り「不屈」で、彼はアメリカ軍の占領行政に立ち向かったヒーロー扱いになっています。
たしかに人民党事件で逮捕・投獄されましたし、那覇市長に就任もその後追放され、しかも10年間公民権を剥奪されても志を曲げることはありませんでした。たしかにその点では「不屈」です。だがしかし、瀬長亀次郎さん以外にも米軍の施政に立ち向かった無名の沖縄人(今回は敢えてこの名称を使います)は多数いるわけで、今回はその中から一人前田武行裁判長について取り上げます。
西銘県政における最大の業績は何か?
以前に当ブログ内で西銘順治知事時代の業績について記事にしましたが(八重山日報「調査の中で分かった西銘順治氏の存在感」の記事について思ったこと)、今回は西銘県政における最大の業績について考察します。
突撃グルメレポート~大衆食堂ミッキーに行ってきたよ
少し前の話になりますが、沖縄市立図書館の郷土本コーナーに立ち寄った際、ついでにと言ってはなんですが八重島地区とパークアベニュー内にある大衆食堂ミッキーを訪れましたので、今回突撃グルメレポートとして記事にまとめました。
沖縄市八重島地区は戦後初めてと言っていいでしょうか、アメリカ軍人・軍属の歓楽街が建設された場所です。その後米軍人相手の歓楽街はBC通り(現在のパークアベニュー)や照屋黒人街、あるいは旧美里村吉原地区に赤線地帯が新設され結果として八重島は寂れてしまいます。現在は単なる住宅街ですが、当時の名残りを残す建物がまだ数件残っています。
大衆食堂ミッキーはいつごろから営業しているか残念ながら調べることが出来ませんでした(創業40年以上とか)。コザのグルメとしては超有名なスポットですが、よく考えるとブログ主が大衆食堂ミッキーに訪れたのは今回初めてかもしれません(コザでの食事はフィリピン料理店『ブンガロー』を利用するケースが多いから)。では初大衆食堂ミッキーの突撃レポートをご参照ください。
沖縄の高校野球のもうひとりの恩人について
去る8月11日に行われた第99回全国高等学校野球選手権大会の大会第4日目、興南高校と智弁和歌山高校との一戦は6-9で智弁和歌山高校が勝利しました。我が沖縄代表の興南高校は健闘むなしく初戦敗退しましたが、この悔しさをばねに興南高校がより強いチームを作り全国の舞台で活躍することを強く期待します。
現在の沖縄の高校球児は本土チームに対するコンプレックスはありません。「普通にやれば勝てる」と思っているので、近年は全国あるいは九州大会でコンスタントに実績を残しています。典型例が今年春の九州大会初戦で、九州国際大付属高校にコールド勝ちした美来工科高校でしょう。かつてよく言われた「ユニフォーム負け(相手チームの名前にびびって本来の力を出せないこと)」することは最早ありません。実に頼もしい限りです。
西銘順治さんがやらかした「失言」のお話(重箱の隅発言)
ここ数日、アメリカ世を生きた世代の回想録をいろいろ読み漁っているうちに、昭和43年(1968)の主席公選における西銘順治さんの歴史的なやらかし案件を見つけましたので、ゆるい話題として当ブログにて取り上げます。
北朝鮮のミサイル発射を受けて実際の沖縄2紙の社説を掲載・解説するよ~沖縄タイムス編~
前回のブログで8月29日の北ミサイル発射に関する琉球新報の社説(8月30日付)を掲載しました。今回は同日掲載された沖縄タイムスの社説を全文掲載します。正直なところ突っ込みどころ満載な内容です。
北朝鮮のミサイル発射を受けて実際の沖縄2紙の社説を掲載・解説するよ~琉球新報編~
前日(8月29日)の当ブログにて、北朝鮮のミサイル発射に対する沖縄2紙の社説をブログ主なりに予想してみましたが、本日(8月30日)琉球新報、沖縄タイムスともに社説で北ミサイル発射について掲載していました。ブログ主は両社説をチェックしたのですが、琉球新報は冷静な論調であったのに対して沖縄タイムスは混乱極まりない内容の印象を受けました。先ずは琉球新報の社説を掲載しますので、読者の皆さん是非ご参照ください。
俺が調子に乗って明日の沖縄2紙の社説を予測してみたよ。
本日(8月29日)の午前6時ごろ、北朝鮮の西岸から日本上空を越えてミサイルが発射されました。この事態を受けてテレビやネット上ではミサイル発射のニュース一色ですが、今回ブログ主が調子に乗って明日(8月30日)の沖縄2紙の社説を予測しました。少し昭和チックな内容になりましたが、思ったよりいい出来になったので読者の皆さん是非ご参照ください。
琉球・沖縄における国防意識の変遷 沖縄戦後から現代にいたるまで
琉球・沖縄における国防意識の変遷について、これまで調子に乗ってあれこれ考察しましたが、最後に沖縄戦後から現代にいたるまでの意識の変遷について述べていきます。その前に沖縄戦がどれほど厳しい体験だったか、よろしければ下記をご参照ください。
翁長助静氏の足跡を訪ねて~魂魄の塔
先日、沖縄タイムス社編『私の戦後史 第5集』に掲載されている翁長助静氏(1907~1983)の章を参照中、意外な記述を発見しました。それは糸満市米須にある「魂魄の塔」のネーミングは助静さんが提案したとの内容です。ひめゆりの塔、健児の塔、そして魂魄の塔は当時(昭和21年)、糸満市米須に一時収容されていた真和志村民の手によって遺骨収集およびこれらの碑が建立されたのは有名ですが、だれがネーミングを提案したか今回初めて知って驚きました。よろしければ下記をご参照ください。
*現沖縄県知事の翁長雄志氏は助静氏の三男です。
沖縄市照屋1丁目(旧照屋黒人街跡)に行ってきたよ
前回の記事で沖縄市のゲート通りおよび中央パークアベニューの散策レポートを掲載しましたが、今回は旧照屋黒人街(現在の沖縄市照屋1丁目の銀天街付近)の画像をアップします。琉球新報社編『ことばに見る沖縄戦後史』によると、「数年前(1965年前後)まで黒人兵が一晩に4~5百人も出入りしていたが」と記載がありますが、現在では当時の面影を見つけることすら難しい廃墟になっていました。当然黒人さんや韓国人女性の特殊婦人は見当たりません。では今回も調子に乗って突撃レポートを掲載します。
検証・夜のコザは本当に危険地帯か?
以前に「SNS 香ばしすぎるブログを発見した件」を掲載した際に、当然ながら「夜のコザは本当に危険地帯か?」との疑問が湧いてきましたので、実際にブログ主が当地へ赴いて検証してきました。例の香ばしいブログには「コザ」とのみ記載があって、具体的な地名はありません。そのため今回ブログ主が「ゲート通り」「旧センター通り(中央パークアベニュー)」と中心に徒手空拳にて突撃取材してきました。是非ご参照ください。
なお旧照屋黒人街(現在の銀天街)は現地取材していきましたが、すっかりさびれていたので今回は割愛します。八重島も同様の理由で掲載しません。旧吉原社交街は後日改めて取材します。