無理やりOSに例えた琉球・沖縄の歴史の概要

琉球・沖縄の歴史の概要その11

ここまでは調子に乗って1260年(正元2)から1872年(明治4)までの歴史を記載しました。1872年(明治5)以降の通史は後日記載するとして、ざっと目を通したところ過去の成功体験が結果として琉球の社会全体を疲弊の極に追いこんでしまった印象があります。

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琉球・沖縄の歴史の概要その10

斉彬くんの死後は島津家では久光くん*が実権を握ります。久光くんは斉彬くんの時代と違って諸外国のネットワークにはあまり関心を示しません。ただし薩摩藩内で銅の価格が高騰したことによる対策として尚泰くんに無慈悲な指令*を下してPCを破壊一歩手前までに追い込みます。

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琉球・沖縄の歴史の概要その9

1849年(嘉永2)に尚泰くん*が新しいPCユーザーになりますが、すでにPCはポンコツ1歩手前の状態でした。こんなときに登場したのがアメリカ合衆国のペリィのおっさん一味*です。尚泰くんに大して「新たに合衆国とのネットワークを敷設しろ」と無理難題を吹っかけます。

*尚泰(しょう・たい:1843~1902):尚円王統最後の琉球王。即位は1849年(嘉永2)で冊封は1866年(慶応元)。1872年(明治5)に明治天皇より琉球藩主に封じられます。

*マシュー・ペリー(1794~1858):アメリカ海軍の軍人。旗艦サスケハナ号など数隻の軍艦を率いて1853年(嘉永5)3月に琉球王国に来航。首里城訪問を果たします。

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琉球・沖縄の歴史の概要その8

18世紀前半になるとPCの動作はまたまた機能不全の一歩手前に陥ります。羽地の爺さんがせっかく精魂こめてアップグレードを施してもやはり時代の変化には対応できなかったのです。そこで満を持して蔡温先生が登場してOSのアップグレードを敢行します。

*蔡温(さいおん:1682~1761):那覇久米村出身。1392年に明国より帰化した中国人の末裔。時の国王である尚敬の信任厚く、1728年(享保13)に三司官に任命されて琉球国の建て直しに尽力する。当事としては異例の長寿であることも注目。

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琉球・沖縄の歴史の概要その7

さて、琉球に戻ってきた尚寧くんはPCユーザーとしての地位は確保されましたが、薩摩おいどんに配慮しながら操作せざるを得ない立場になります(下図参照)。

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*本来であれば尚寧くんは管理者としてPC利用できる立場です。ただし1609年(慶長14)の薩摩入りで管理者権限を剥奪され、標準ユーザーとしてPCを操作せざるを得なくなります。御国許(おくにもと)とは薩摩藩のことをさし、管理者としてPCにアクセスできる権限を獲得するも、実際の操作は尚寧くんが担当します。

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琉球・沖縄の歴史の概要その6

薩摩おいどん側はそれこそ難癖をつけて尚寧くん*とそのスタッフの非を責めます。そして1609年(慶長14)に琉球に侵攻*します。これが薩摩入りで琉球側は敗北、尚寧くんは薩摩に連行されて2年間もPCを利用できなくなります。その間に薩摩おいどんはPCを徹底的にチェックして年間でどの程度利益を上げることができるかを算出します。

*尚寧(しょう・ねい:1564~1620)尚円王統7代目の王。在位は1589~1620年の31年間。
*財政が悪化しているにも関わらず、莫大な費用がかかる渡航作戦を敢行するところに戦国大名の怖さを感じます。「島津に暗君なし」とよく言われますが、現代のセンスからすると無茶苦茶もいいところです。

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琉球・沖縄の歴史の概要その5

尚真くんの時代に完成したバージョン・ショウシンのおかげでPC操作は快適になりましたが、前説で記述したとおり1511年(永正8)のポルトガルのマラッカ占領の影響でネットワークが事実上明⇔琉球⇔薩摩経由の日本に制限される事態が発生します。

当時の琉球は軍事力でポルトガル人を駆逐することができなかったため、東南アジアとのネットワークを復旧することができません。そうなると薩摩の琉球における優位性がますます高まります。琉球側もなすすべなく、いたずらに時が過ぎて7人目のPCユーザーである尚寧くんの時代にはPCを維持する財源に苦労するまで財政が悪化してしまいます。

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前置き・13世紀後半から16世紀末にかけての琉球国の中継貿易について 2

(続き)琉球国からすればこの慣例は邪魔そのもので、しかも京都の足利家*と薩摩の島津家で勝手に決めた政策ですから腹立たしいことこの上ないのですが実力でひっくり返すだけの国力はありません。残念ながら黙って従うしかなかったのです。そのため琉球国側でも薩摩の島津家との関係*は中国大陸の皇帝と同じく重要な課題になっていたのです。

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琉球・沖縄の歴史の概要その4

前述した巴志くんの系統(思紹王統)は7代目の尚徳くん亡きあと、伊是名島出身の内間金丸爺さん*にPC利用権を簒奪されます(下図参照)。金丸爺さんは6代目の利用者の尚泰久くん*の信頼厚き家臣でしたが7代目の尚徳くんに疎まれて隠居せざるを得ない状況になっていました。

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*尚泰久(しょう・たいきゅう:1415~1460)思紹王統6代目の王。在位は1454年から1460年の6年間です。

*内間金丸(うちま・かなまる:1415~1476):伊是名島出身の農民。思紹王統6代目の尚泰久王に見出されて側近として大出世するも7代目の尚徳王からは疎まれて隠居する羽目になります。ただし1469年(応仁3)尚徳王亡きあと群臣の推挙により王位を簒奪することに成功します。

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