年末から年始にかけて、ブログ主は可能な限り時間をつくり、過去に蒐集した史料の整理・整頓を行ないました。その際、昭和43年(1968)7月5日に起こった「琉球銀行若松支店強盗事件」の新聞史料をチェックしたところ、驚くべき記事を発見しました。
人物
“長寿県沖縄” という戦後最大のユクシムニーの考察(3)
(続き)前回の記事の〆で、「長寿県沖縄というブランドを確立してジン儲けしようという品性卑しい大人が存在する限り、県民が本気で生活習慣の改善に乗り出すことは絶対にありえない」などど、ブログ主らしからぬ(?)キツいことを言ってしまいましたが、実はちゃんとデータがあっての発言なのです。
金城正雄氏が語る「首領」たち / 沖縄ヤクザの生き字引が「英雄」を語る – 田場盛孝、喜屋武盛一、多和田真山
(続き)那覇派幹部の田場盛孝が、組員約70人を率いて那覇派を離れ、宜野湾市普天間に普天間派を結成したのは、昭和39年4月のことだった。
田場は元は米軍のトラックの運転手をしていて、「戦果アギャー」のリーダーだった。だから、立場としてはコザ派に近かったのだが、彼は喜舎場朝信とも新城喜史とも折り合いがわるかったので、コザ派には加わらなかった。
三代目旭琉会 – 分裂〈下〉
二代目多和田会長が射殺された後、三代目翁長良宏会長が就任。表面上は対立もなく、平静さを保っていた。しかし、今年の五月三日夜、那覇市内の翁長会長宅と沖縄市の富永一家事務所にそれぞれ配下多数が終結したことから、内部対立が再び表面化した。
この時は双方の幹部が山口組の仲介で話し合いを持ち、そのままの体制を維持することで一応の決着が図られた。しかし、月に一回定例で開かれていた総長会議は、和解後も開催されていなかったことから、双方の緊張状態は解消されず、一色即発の “火ダネ” がくすぶり続けていたといえる。それが連続発砲事件で一気に噴き出した形だ。
三代目旭琉会 – 分裂〈上〉
血で血を洗う全面抗争へ…。県内最大の暴力団三代目旭琉会(翁長良宏会長)が二つに分裂した。以前からくすぷり続けていた会長派、理事長派(富永清理事長)の対立が、〔平成二年〕十三日の発砲事件により、再燃。理事長派が会長派から絶縁され、新組織「沖縄旭琉会」を結成。県内暴力団情勢は、一気に緊迫の度を増してきた。
さらに〔同年〕二十一日には会長派の丸長一家組員が、富永一家組員数人に暴行を受けて重傷を負うなど、一日で四件の発砲事件が発生した。両団体の勢力争いが、全面抗争へと向かう情勢に、県警では「三代目旭琉会対立抗争事件特別捜査本部」を設置し、三百人、二十四時間態勢で各事務所などの警戒を強化している。旭琉会誕生から分裂の経緯、過去の抗争事件、県警の対応などをリポートした。
昭和の沖縄社会とヤクザ
今回は、本来であれば5月15日に合わせて公開予定だった “沖縄ヤクザ関連” の史料をアップします。前回は復帰50周年の記念日のため、できる限りいい記事を選んで当ブログで紹介したわけですが、今回は “ガチ” な内容となります。
日常生活には役に立たない沖縄ヤクザ・トリビア
今年は我が沖縄が本土に復帰して50周年の節目にあたります。それに関連して本土の組織暴力団(山口組)の沖縄進出について調べつつ、これまで蒐集したヤクザ関連の史料を整理したところ、興味深い事実を再発見することができました。
満韓旅行雑感(下)/ 中学生生徒 又吉康和
◎朝鮮人は 白衣(麻○絹)を着、異様の帽子を戴き、何んとなく神代ゆきたる感あり。朝鮮鞋(=靴)又甚だ面白し。士族以上の女は頭より衣服を被(かぶ)り居れり、之又甚だ異様に感じぬ。始めて来たる日本人が遠望して「扨ても朝鮮は美人多き所よ」と思ひしに、よく見れば痘痕(朝鮮は痘痕の多き由)あとにて失敗せし話ありと〔云ふ〕。彼等は常に長き(三尺ばかり)烟管(えんかん=キセル)を持てり。あゝ之れ彼の国民をして懶情(らいだ)不活発となせし一原因か!
古琉球の深淵 – おぎやかの謎(3)
(続き)尚円王妃である彼女はりうきう・おきなわの歴史において特別な存在です。その理由のひとつが「おぎやか」の名称で、ブログ主が知る限り「童名(わらびなー)」で呼ばれてきた歴史的人物は彼女一人だけです。
古琉球の深淵 – おぎやかの謎(2)
(続き)前回の記事で「りうきう・おきなわの歴史上で童名(わらびなー)に “おぎやか(神の血縁者)” と名乗った人物はたった一人しかいない」と指摘しました。童名については改めて言及するとして、今回は史料上に残された名前から彼女の正体を考えてみます。
古琉球の深淵 – おぎやかの謎(1)
今回は趣向をかえて真面目に古琉球の謎について言及します。実は去年からブログ主は『おもろさうし全釈』(鳥越憲三郎著)の写本に取り組んでおりまして、現時点で巻一から巻五までのオモロを書き写しました。
骨肉の争い / 旭琉会会長射殺 ■4■ / 和解
果たして内部抗争はあるのか、そして会長の跡目はだれが継ぐのか – 。旭琉会の多和田真山会長射殺事件は、犯人の組員2人が早期逮捕されたことで、今後は旭琉会の内部がどうなるかに焦点が絞られてきた。
今のところ、主流派と反主流派が和解し、犯人を出した一家の総長が謹慎することで、組織の内部は一応の結着を見た格好。下部の組員にも事件発生直後から、「しばらくは動くな」との指令が出されていたといい、表面的には抗争の動きは見られない。
骨肉の争い / 旭琉会会長射殺 ■3■ / 火ダネ
“一家総長制度” や “島割り” など組織固めの新しい構想を次々と打ち出し、ようやく安定期を迎えようとしていた二代目旭琉会にとって、多和田真山会長射殺事件は “晴天のへきれき” として大きな衝撃を与えたにちがいない。事実、多和田会長自身もわずかの取り巻きを連れて沖縄市中の町を飲み歩いていたほどで、ほとんど無防備に近い状態。撃たれたその瞬間までよもや自分をつけ狙っている者がいたとは考えもしなかっただろう。しかし、ことしに入ってすでにトラブルの兆しはあったと断言する声もある。
骨肉の争い / 旭琉会会長射殺 ■2■ / 亀裂
「会長はワンマンで、あまりの横暴さにことしの夏ごろから組織内でも不満が沸き上がっていた」。今回の多和田会長射殺事件の主犯・糸数真は逮捕後の取り調べに対し、こう動機を自供している。単純にそれだけとは思えないが、県警の暴力団担当の捜査員らの話を総合しても、多和田会長の独裁ぶりは最近とみに強まって来ていたという。
骨肉の争い / 旭琉会会長射殺 ■1■ / 結束
県内最大の組織暴力団・二代目旭琉会の多和田真山会長(49)が射殺された事件は、暴力団の組織壊滅に力を入れて来た県警にとっても大きな衝撃だった。組織内では “天皇” とも呼ばれるほどの絶対的な権力を握り、一家総長制を取り入れるなど内部体制も磐石に固まったと見られていただけに、言わば県警も虚をつかれた格好だ。