血で血を洗う全面抗争へ…。県内最大の暴力団三代目旭琉会(翁長良宏会長)が二つに分裂した。以前からくすぷり続けていた会長派、理事長派(富永清理事長)の対立が、〔平成二年〕十三日の発砲事件により、再燃。理事長派が会長派から絶縁され、新組織「沖縄旭琉会」を結成。県内暴力団情勢は、一気に緊迫の度を増してきた。
さらに〔同年〕二十一日には会長派の丸長一家組員が、富永一家組員数人に暴行を受けて重傷を負うなど、一日で四件の発砲事件が発生した。両団体の勢力争いが、全面抗争へと向かう情勢に、県警では「三代目旭琉会対立抗争事件特別捜査本部」を設置し、三百人、二十四時間態勢で各事務所などの警戒を強化している。旭琉会誕生から分裂の経緯、過去の抗争事件、県警の対応などをリポートした。
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(続き)今回は、長らくお待たせいたしましたが、ブログ主なりに解明した金城正雄さんの “実像” について言及します。
前回の記事で金城正雄さんの履歴について紹介しました。その中で “三代目旭琉会金星一家・金城正雄総長は、ごく初期のころから那覇派の首領・又吉世喜の舎弟分として那覇派の実務面を取り仕切ってきた(以下略)” と記載されてますが、那覇派の実務面とは何かを窺える記事を見つけましたので全文を紹介します。沖縄ヤクザネタ好きの読者のみなさん、是非ご参照ください。
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今回は、二代目旭琉会で長らく事務総長を務めてきた金城正雄さんについて言及します。金城正雄さんて誰?と思われる読者もいらっしゃるかと思われますが、彼は那覇派時代は中堅幹部、そして又吉世喜の弟分として活躍し、昭和45年(1970)以降の旭琉会では長らく事務総長を務めるなど、組織にとって重要な人物であり続けました。
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今回は、本来であれば5月15日に合わせて公開予定だった “沖縄ヤクザ関連” の史料をアップします。前回は復帰50周年の記念日のため、できる限りいい記事を選んで当ブログで紹介したわけですが、今回は “ガチ” な内容となります。
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今年は我が沖縄が本土に復帰して50周年の節目にあたります。それに関連して本土の組織暴力団(山口組)の沖縄進出について調べつつ、これまで蒐集したヤクザ関連の史料を整理したところ、興味深い事実を再発見することができました。
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◎朝鮮人は 白衣(麻○絹)を着、異様の帽子を戴き、何んとなく神代ゆきたる感あり。朝鮮鞋(=靴)又甚だ面白し。士族以上の女は頭より衣服を被(かぶ)り居れり、之又甚だ異様に感じぬ。始めて来たる日本人が遠望して「扨ても朝鮮は美人多き所よ」と思ひしに、よく見れば痘痕(朝鮮は痘痕の多き由)あとにて失敗せし話ありと〔云ふ〕。彼等は常に長き(三尺ばかり)烟管(えんかん=キセル)を持てり。あゝ之れ彼の国民をして懶情(らいだ)不活発となせし一原因か!
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(続き)尚円王妃である彼女はりうきう・おきなわの歴史において特別な存在です。その理由のひとつが「おぎやか」の名称で、ブログ主が知る限り「童名(わらびなー)」で呼ばれてきた歴史的人物は彼女一人だけです。
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(続き)前回の記事で「りうきう・おきなわの歴史上で童名(わらびなー)に “おぎやか(神の血縁者)” と名乗った人物はたった一人しかいない」と指摘しました。童名については改めて言及するとして、今回は史料上に残された名前から彼女の正体を考えてみます。
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今回は趣向をかえて真面目に古琉球の謎について言及します。実は去年からブログ主は『おもろさうし全釈』(鳥越憲三郎著)の写本に取り組んでおりまして、現時点で巻一から巻五までのオモロを書き写しました。
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今回は、最近さぼり気味だった “沖縄ヤクザ関連” の記事をアップします。昭和50(1975)年10月16日早朝、識名霊園前で又吉世喜理事長(当時)が射殺されて46年が経過したわけですが、今回はそれに関連して琉球新報に掲載されていた解説記事全文をアップします。
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果たして内部抗争はあるのか、そして会長の跡目はだれが継ぐのか – 。旭琉会の多和田真山会長射殺事件は、犯人の組員2人が早期逮捕されたことで、今後は旭琉会の内部がどうなるかに焦点が絞られてきた。
今のところ、主流派と反主流派が和解し、犯人を出した一家の総長が謹慎することで、組織の内部は一応の結着を見た格好。下部の組員にも事件発生直後から、「しばらくは動くな」との指令が出されていたといい、表面的には抗争の動きは見られない。
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“一家総長制度” や “島割り” など組織固めの新しい構想を次々と打ち出し、ようやく安定期を迎えようとしていた二代目旭琉会にとって、多和田真山会長射殺事件は “晴天のへきれき” として大きな衝撃を与えたにちがいない。事実、多和田会長自身もわずかの取り巻きを連れて沖縄市中の町を飲み歩いていたほどで、ほとんど無防備に近い状態。撃たれたその瞬間までよもや自分をつけ狙っている者がいたとは考えもしなかっただろう。しかし、ことしに入ってすでにトラブルの兆しはあったと断言する声もある。
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「会長はワンマンで、あまりの横暴さにことしの夏ごろから組織内でも不満が沸き上がっていた」。今回の多和田会長射殺事件の主犯・糸数真は逮捕後の取り調べに対し、こう動機を自供している。単純にそれだけとは思えないが、県警の暴力団担当の捜査員らの話を総合しても、多和田会長の独裁ぶりは最近とみに強まって来ていたという。
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県内最大の組織暴力団・二代目旭琉会の多和田真山会長(49)が射殺された事件は、暴力団の組織壊滅に力を入れて来た県警にとっても大きな衝撃だった。組織内では “天皇” とも呼ばれるほどの絶対的な権力を握り、一家総長制を取り入れるなど内部体制も磐石に固まったと見られていただけに、言わば県警も虚をつかれた格好だ。
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以前にも言及しましたが、沖縄ヤクザ史において最も興味深い人物は誰かと問われるならば、ブログ主は多和田真山(1933~1982)と即答します。それゆえに不定期ではありますが、ブログ主が蒐集した新聞史料を当運営ブログでアップしたところ、ネット上では “多和田ウォッチャー” として認知された感があることに気が付きました。
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